ゲイがノンケに告白するのは迷惑だから告白すべきではないというのは本当か?

 

人生の中で、死をも恐れぬ行動を引き起こせ。

ゲイがノンケに告白するのは迷惑だから告白すべきではないというのは本当か?

・この世のすべての「好き」という気持ちは正しい
・ゲイからノンケへの恋は叶わない片思い
・人を好きになる気持ちは論理を超越する
・他人の迷惑になることはしてはならないというのは本当か?
・ゲイがノンケに告白するのは迷惑だから告白すべきではないというのは本当か?
・高校時代の初恋で、ノンケの友達に2回告白したぼくの体験記
・大学時代、片思いしていたノンケに告白したぼくの体験記

・この世のすべての「好き」という気持ちは正しい

ゲイとは男を好きになる男のことだ。対してノンケとは、女を好きになる男を意味する。世の中では女の肉体を求める男が圧倒的に多いので、ノンケは正常でゲイは異常だと見なされがちであるが、それは単なる数による多数決の問題で、人を好きになる気持ちに異常も正常もあるはずがない。この世に発生する「人を好きになる人の心」はどのような形であれ、どのような人に向けられるものであれ、すべて正しい尊い気持ちなのではないだろか。正しいもので必要だからこそ、神様や仏様や自然の摂理によって消滅させられることなく、この世に残存しているのだ。まずは自分の「好き」という尊い気持ちを否定せずに、このままでいいのだと自分の中で受け入れることが重要である。

 

 

・ゲイからノンケへの恋は叶わない片思い

ゲイは男が好きな男なので、当然ゲイがノンケを好きになることは日常生活でしばしばあり得る。しかしそれは十中八九というか、十のうちほとんど十くらいに叶わない片思いに終わることだろう。なぜならノンケとは女の肉体を求めるように本能をインプットされた生き物だからだ。ゲイとは男の肉体を持っている生き物であり、女の肉体を求めてこの世をさまよい歩くようにできているノンケの本能が、ゲイという男の肉体を求めるという可能性はほとんど無に等しいだろう。

それゆえにゲイからノンケに対する片思いは、悲しい結末を迎えることが多い。最初から叶わないことは十分わかっているのだけれど、恋というものは嵐や雷のように突然降りかかってくる天災みたいなものだから、恋する気持ちを避けることや退けることができずにゲイは傷つき、悩み、戸惑い、苦しい青春を送ることになる。男と女の恋愛ならば普通に友達などに相談できるかもしれないものを、自分は異常な恋愛をしていると世間では見なされることがわかり切っているので、誰にも相談できずに孤独に自分自身と向き合うことになる。

 

・人を好きになる気持ちは論理を超越する

好きになってしまえばその人に自分の気持ちを伝えたいというのは、人間としての当然の成り行きだ。好きな気持ちを伝え、相手の気持ちを聞き、もしも相手も自分を好きでいてくれるのならば、結ばれて幸せになるという未来の設計図を人間は誰しも本能の中に持っている。男女の仲ならば叶いやすいその設計図も、ゲイからノンケへの片思いの場合は叶う可能性は0に等しいので、告白する意味なんてなく、告白しない方がいいのではないかというのは理にかなった真っ当な意見だ。

「もしも叶わなかったら」という仮定法ではなく、この場合はほぼ確実に「叶わないことが決まっている」わけだから、告白したところで好きなノンケと今までの関係を続けていくことは困難になるだろう。避けられたり、気持ち悪がられたり、嫌われたりすることだって十分にあり得る。もしかしたら自分がゲイであることを誰かに言いふらされたりするかもしれない。ノンケにとっては友達だと思っていた人から性的な感情で見られていることがわかり、今までの普通の関係を保てなくなることへの戸惑いも感じるに違いない。もしも告白したならば、告白する前よりもつらい状況が待ち構えている可能性だって十分にあるのだ。

しかし好きだという根源的な情熱の炎を持っているのなら、自分の中で好きな気持ちが自分でも抑えられないくらいに大きくなっているのなら、そのような正常で論理的な思考が役立つはずもない。恋する気持ちというのは論理や損得勘定さえ超越した野生的な炎の濃厚な塊だ。濃厚な恋する炎を滾らせている生命に対して、論理的な思考を浴びせかけるほど野暮なものはないだろう。恋する気持ちよりも合理性が勝ると信じられるほど、恋する気持ちは薄弱ではない。

 

・他人の迷惑になることはしてはならないというのは本当か?

どうせ叶わないのにゲイがノンケに告白するのは無意味だし、ノンケにとっても迷惑だからやめておいた方がいいという意見も散見される。しかし告白というのは自分の気持ちを伝えたいという思いが基礎となっている限り、全ての告白は自己満足の自分勝手なもので、ある意味かなり迷惑な行為ではないだろうか。それはゲイからノンケの告白に限らず、男女の告白だって同じことだろう。ゲイからノンケに対する告白だけが迷惑だということは、決してないと断言できる。

そもそも恋する気持ちに「迷惑」という次元から言及することが的外れである。人間はよく「他人に迷惑をかけてはいけない」とさも正しそうに他人を諭すが、本当にそうだろうか。人間なんてすべてが、生きているだけで大迷惑な存在ではないだろうか。人間がひとり生きるためにたくさんの牛が殺されたり、豚が殺されたり、鶏が殺されたり、キャベツやニンジンが殺されたりしている。人間が生きていくためには食料が必要だからだ。食料というものは他者の生命を奪うことでしか得られず、食べるという行為は死体を貪る行為である。これだけでも人間がひとり生きているだけでどれだけ迷惑かよくわかる。人間が生きていることは牛にとっても、鶏にとっても、キャベツにとっても大迷惑だ。

また日常生活においても、満員電車の中で席に座っているだけでも他人の迷惑だと思われる。その人が存在さえしていなければ、誰か別の人がその席に座って安らぐことができるからだ。誰もが限られた席を他人に譲らずに自分が必死に奪い取ることで、自分がいかに楽をしようかと企んでいる。競い合い奪い合う世の中において、迷惑にならない人などこの世にはいない。受験勉強だって、就職試験だって、自分が受からなければ誰か他の人が受かることができたのにという場面ばかりだ。自分が幸せになりたいがために、知らず知らずにうちに他人を蹴落とし、他人にとって迷惑な存在になっている。

ぼくが言いたいのは「他人の迷惑になることはするな」とさも正しそうに言い放っている人間は信用できないということだ。人間はこの世界に生きている限りかなりの大迷惑であり、自分の迷惑さもしっかりと把握できずに、自分は迷惑な存在ではありませんよという顔をして「他人の迷惑になることはするな」と述べる人間は的外れで浅はかな人間である。人間は誰もみな、自分は他人に迷惑をかけている存在なのだと申し訳なさそうに、謙虚なふるまいで生きることこそふさわしい姿勢ではないだろうか。

 

 

・ゲイがノンケに告白するのは迷惑だから告白すべきではないというのは本当か?

だからゲイがノンケに告白するかどうかを「迷惑になったらどうしよう」という観点から悩むのは大きな間違いである。告白なんて男からでも、女からでも、ゲイからでも、レズからでも、すべての告白は自分勝手でわがままで迷惑なものなのだから、ゲイの自分からの告白だけ特別に迷惑になるのではないかという心配はお門違いだ。すべての告白は迷惑だということを自覚しつつ、みんなと同じように迷惑な告白をするだけのことだろう。

自分の中に大いなる根源の炎を感じるのなら、しかもそれが自分でも制御不能なくらいに燃え滾っているというのなら、どんなに相手に迷惑をかけようと自分の思いを伝えるべきだ。他人に迷惑をかけるくらいの勢いと潔さがなければ、人生はかなり味気ないものとして虚しく終わってしまうことだろう。時には自分の燃え盛る直感にしたがって正直に生き、他人に迷惑をかけるくらいの豪気なふるまいも必要だ。「迷惑」や「心配」や「不安」など通り越して、予想されるあらゆる痛みや苦しみを超越して、魂の死をも恐れずに人が行動を起こすとき、その行動は利害や損得勘定を超えた神聖で野生的な現象として、あなたの人生に深く刻み込まれることだろう。

死をも恐れぬ行動を引き起こすこと、死なないということよりもはるかに尊い願いを胸の中に抱くことほど、人生の中で重要なことはない。ぼくたちはよく死なないことが人生の目的だ、安全に生き延びるために世の中を渡っているのだと教えられるが、果たして本当にそうだろうか。死なないことが目的だなんて、安全なことが素晴らしいだなんて、なんと野暮で浅はかな人生だろうか。「死にたくない」という本能からの確固たる訴えさえ超越するほどの強烈な願いや思いを心の根源に抱く時にこそ、本当の人生は始まる。どんなに恐ろしくても、泣きたくなるほどに怖くても、自らの清らかな感性が指し示す道が目の前に明らかに立ち現れているというのなら、自分自身を信じて勇ましく歩みを進めて行くべきだ。

しかしその告白の先でどのような心の滅亡が起きようとも、残酷な魂の破壊がもたらされようとも、自分の選んだ道として運命を潔く引き受けることだ。それでも案ずることはない。死をも恐れずに行動を引き起こした人間の魂には、必ず聖なる超越の感覚が付随する。それはたとえ敗れてしまっても、ことごとく失敗に終わろうとも、後悔などひとつもしない不思議な聖域だ。愚かな奴だと罵られようとも、それ見たことかと見下されようとも、他人の目など無価値となってしまった、絶対的な存在感があなたを安からに支配する。

 

 

・高校時代の初恋で、ノンケの友達に2回告白したぼくの体験記

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