どうせ叶わないからゲイがノンケに片思いしても時間の無駄だし価値がないというのは本当か?

 

愛し返されなくても、ただ愛せ。

どうせ叶わないからゲイがノンケに片思いしても時間の無駄だし価値がないというのは本当か?

・ゲイからノンケへの片思いは時間の無駄だというのは本当か?

ゲイからノンケへの片思いは、絶対に叶うことがない。なぜならノンケというのは女性の肉体が好きな種類の人間のことを指すのであり、男の肉体を持っているゲイに恋情が向けられる可能性はないに等しいからだ。それでも恋する気持ちを止めることは難しく、論理的には叶わない恋心を抱くなんて時間の無駄だし、バカバカしいし、意味のない行為だとわかっていても、ぼくたちは好きな人をただ好きだという動かし難い本能的な直感に翻弄されながら生きていく。

返されない恋心なんて、無駄なものだと人の世では語られる。絶対に叶わない片思いなんてつらいだけで意味のない行為だと、人々は噂している。彼らの中では恋とは、返されてなんぼなのだ。人を好きになり、そのお返しにこちらが好きなのと同じ分量くらい、あちらから好きな気持ちを返されて「両思い」となることではじめて、恋心に価値がつくと信じている。好きな気持ちを抱き、その見返りに好きだという気持ちを返され、思いを通じ合わせ、肉体を重ね合わせ、子孫を残すという結果こそが、人を好きになる模範的な目的なのだと彼らは信じて疑わない。ぼくたちはそのように思い込む人の世で生まれ、育てられ、知らず知らずのうちに自分でもそのような恋に関する思想を抱きがちとなる。

片思いなんて意味がない。両思いになれてこそ、人を好きになる意味がある。両思いへと通じない恋なんて、そして生殖へと結びつかない恋なんて、非生産的だし非合理的だからさっさと捨て去り、新しい恋を見つけるべきだと主張する。人類の誰もが望んでいる彼らにとって利益となる最大の目的は、人間同士が生殖行為を行い、子供ができ、育てられ、人間の世界や文化が繁栄することなので、その損得勘定にそぐわない恋愛や好きな気持ちには、価値なんかないと見下されてしまう。

しかし本当にそうなのだろうか。ぼくたちが叶わない恋心を抱くことは、本当に無意味で、価値がなく、そして時間の無駄なのだろうか。

 

 

・恋と愛の決定的な違いとは?

「恋」と「愛」という言葉は、似ているようで全く異なるものだという。恋の語源は「恋ふ=乞ふ(こう)」という動詞だ。乞ふとはどういう意味だろうか。乞ふとは、欲しい欲しいと貪ることである。イメージが湧かなければ「物乞い(ものごい)」という言葉を想像してみるとよいだろう。物乞いという言葉はぼくたちにとって馴染み深い言葉だ。日本ではあまり見かけないが、東南アジアなどの発展途上国を旅していると頻繁に見かける、お金をくれ品物をくれと路上から手を差し伸べてくるような人々のことを物乞いという。彼らはただひたすらに、欲しい欲しいと願っている。与えられることを、慈悲の心を注がれることを望んでいる。

恋をするというのは、彼らのようになるということだ。すなわち、相手の「好き」という気持ちを欲しい欲しいとひたすらに貪ることだ。もちろんこちらが好きな気持ちを抱いていることを前提として、その見返りとして同じくらい愛し返してくれないかと、相手からの好きな気持ちを期待し、好かれることをただ必死に待ち続ける。「恋」の中で重要視されているのは、自分がその人を好きであるというよりはむしろ、その見返りとしてどれほどの好きな気持ちを相手からもらい受けるかという点にあるのだ。

その一方で「愛」という言葉は、自分がただ好きな気持ちを与えるということに重点が置かれている。愛という日本語も多様化し、ただ単なる性欲や発情のことを指す場合もあるが、愛という言葉の本来の意味と本質は、ただ「与える」という行為にある。それはすなわち愛においては、自分が好きな気持ちや慈悲の思いを与えるという行為こそが最も重要なのであり、その見返りとして自分が愛し返されるか、好きになってもらえるかは全く重要ではないことを意味している。

ぼくがこれまで生きてきた中で「愛」というものの本質に触れるために導き役となった2人の人物がいる。それはすなわち、トルストイというロシア人と、中島みゆきという日本人である。

 

 

・愛すること、与えることだけが人間を真実の幸福へと導く

トルストイはその著書「人生論」の中で、人間は誰もが幸福になるために生まれてきたのだと主張する。そして幸福になるための方法はただひとつ、「愛する」という行為によってのみ幸福は実現するのだと説いている。ただひたすらに「愛する」ということ、見返りを求めずに「与える」ということは、人間が絶対的な幸福へと導かれるための唯一の手段だとトルストイは断言している。

普通人間の世の中においては、これだけしてやったならどれだけを返されるだろう、どれだけ恩返しされるだろう、どれだけ利益を得られるだろう、どれだけ得をするのだろうなどと考えながら、損得勘定を働かせることによって「与える」という行為は実現される。何も返されないとわかりきっていながら、一体どれほどの人がただ「与える」という行為に従事できるだろうか。誰だって何かを返されるから頑張って人の役に立ち「与える」という行為を成し遂げているのだ。「労働」という行為だって、「商売」という行為だってみんなそうだ。返されるからやりがいを感じ、より多く返されるために、よりたくさん得をするために人間が労働することによって経済活動は成立している。

しかし多くの人々がそれでいいのだと信じ込んでいる「与えられるために与える」という行為では、決して人間の真実の幸福へとたどり着けないのだろうとトルストイは主張する。誰もが他人より多く与えられたい、他人よりも自分こそが最もたくさん与えられ、自分が最もたくさん愛されるべきだと心の中で密かに望んでいる世界では、浅ましい比較や無様な競争が繰り返されるのみであり、そのような迷妄の世界で人生を費やしているだけでは人間の幸福へとたどり着けるはずがない。

真実の幸福へと通じる唯一の道は「愛する」こと、「与える」ということなのだ。それは見返りを求めずにただひたすらに愛し続けるということ、与えられることなんか一切期待せず与えっぱなしになるということだ。有名な言葉でいえば「無償の愛」と言うこともできるだろう。そのような究極的な愛の行為に従事することによってのみ、人間は真実の幸福へとたどり着くことができるのだという感動的なトルストイ「人生論」を、ぼくは彼の出身地であるロシアのシベリア鉄道の中で読んでいた。するとシベリア鉄道に乗り合わせた地元のロシア人の乗客たちは、ひとりでシベリア鉄道に乗り込んでいる外国人のぼくを気にかけてくれ、興味を持ってくれたりたくさん話しかけてくれたり様々な食べ物を与えてくれたりした。シベリア鉄道の中で経験した素朴なロシア人の「与える」という行為を通して、このようなロシアの大地に生まれ育ったからこそトルストイ「人生論」のような思想が出来上がっていったのだろうと心の底から感動せずにはいられなかった。

 

・返される愛はなくても愛し続けることで、ぼくたちは生きたことになる

愛する気持ちを返される必要はない、愛し返されないからといって愛する気持ちを失ってはいけない、人を愛するということこそが、愛し返されなくてもただひたすらに人を愛するという経験こそが、人生において最も重要であり、たとえ返される愛はなくても人を愛したというその一点において、人は生きたことになると感動的に主張するのは、中島みゆきの名曲「I love him」である。

「I love him」の歌詞の中では、「愛する」ことは損得勘定で考えれば損ばかりする行為だと主張する。それにひきかえ「愛される」という行為は少なくとも損することはない得な行為だと論理的に解説し、それでも中島みゆきは「愛される」ことよりも「愛する」ことを選び取る方が人生においてはるかに重要だと指摘する。重要というよりも「愛する」ことなしに人は生きたことにさえなりはしないという歌詞は、衝撃的だ。ぼくたちは人を愛したことによってはじめて、自分は生きているのだと実感するのだ。

該当の歌詞はこちら!

(著作権法第321項に則った適法な歌詞の引用をしていたにも関わらず、JASRACから著作権侵害であるという指摘を受け歌詞を移動しました。)

人間の世の中では愛されること、モテること、もてはやされることこそが重要なのだと強調されるが、そのような風潮の中において、ただひとり中島みゆきは愛されることなんてとるに足らない、愛することだけが真実の生命へと繋がっていると絶唱する。

created by Rinker
Yamaha Music

 

・返される愛はなくても愛し続けることで、ぼくたちは愛の本質に触れる

ここまで読めば誰もがわかるだろう。ゲイがノンケに片思いする行為が無駄であるはずがない。価値のない恋なんてあるはずがない。たとえ愛を返されなくても、それは「愛する」という尊い行為の感触に触れるための厳かな儀式なのだ。もちろん返される愛ばかり望んで苦しみ、嘆き、なぜ生まれてきたのかと自分を憎み、暗闇の中をのたうち回る恋もあるだろう。しかし泣き疲れたその絶望的な経験の果てに、自分の中の愛されたいという思いが透明に浄化され、ただ愛したいという気持ちだけが残ったなら、それは真実の幸福へと通じる巡礼の道である。

あなたは確かに人を愛したのだ。それこそがぼくたち人間の生きている証明となり得る。返される愛はなくても、ぼくたちはただ、人を愛し続けた。ひたすらに愛するという気持ちは、やがてぼくたちの心に、愛の本質を運んでくれる。

 

 

・中島みゆき「I Love You,答えてくれ」

該当の歌詞はこちら!

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2 件のコメント

  • トルストイの『イワン・イリイチの死』を読んで感じたのは、「交換」の虚しさと「愛」の貴重さということだと思います。イリイチは、死のまぎわに、従僕の身体に支えられることに幸福を見いだて、これまでの家族や同僚・上司との“愛の交換”で成り立っていた人生の虚しさをさとります。従僕は、主人との社会関係に基く「交換」で、主人の重さを何時間も支えて堪える・このような無用で“無駄”な行為に挺身しないでしょう。従僕の行為は「愛」であり、イリイチは、愛されて幸福を感じているのです。トルストイの説く「愛すること」は、“他人の中で生きること”の一部(ひとつのあり方)なのだと、強く感じました。また、もしかするとそこに、トルストイが関心をもった老荘思想とトルストイとの決定的な相違点があるのかもしれません。

    • 「イワン・イリイチの死」読んでみたいです。「イワンのばか」とかトルストイの素朴な民話みたいな物語って、どれもささやかで短いのにとても感動的ですよね。どんな物語の中にも根底には「人生論」のような哲学が貫かれて流れているから、それに共鳴する魂を持っていると心揺さぶられるものばかりです。

      「交換」っていうのは今の社会だと、経済とか労働とかと深く結びついたものでしょうか。「交換」って原始時代から営まれてきた人間の本能的な社会的行動のはずなのに、ぼくも最近の「交換」には違和感を感じます。きっと古代は同じ価値同士のものを純粋に交換していた(海の民族から海の幸、山の民族から山の幸など)けれど、今の人間社会では相手から本来の価値以上のものをいかにしてふんだくって奪ってやろうと企み合い、争い合っているから巨大な違和感を覚えるのかもしれません。けれどそれが「商売」という人として正しい行いだと見なされているし、「商売」によって国が豊かになることが人生の目的だとみんな思い込んでいるから、その違和感の正体が見えないまま人々の心はさまよってしまうのではないかと感じました。

      https://mizuirotest.com/jihi

      またぼくは労働する前から労働することに違和感を感じていました。自分でも自分の中にある労働に対する違和感の正体がなんだろうかと長年思考してしますが、もちろん完全な答えは出ていません。最近は労働が「愛」から遠く離れたものであることがぼくの違和感の正体かもしれないと感じ、それを記事にしました。愛と労働を結びつけて考えたのは初めてですが、それも最近このブログで愛について書き続けてきたことがきっかけのように思えます。

      https://mizuirotest.com/workingandlove

      ネイティブアメリカンの言葉には、決して労働してはいけないという言葉があり衝撃を受けました。労働が異常だという思いは、実は古代や素朴な人間の心にとっては実は当たり前だったのでしょうか。

      https://mizuirotest.com/donotwork

      最後の文章は、トルストイが他人との関係性の中に幸福を見出すのに対して、老荘思想では自分も他人もないという境地の中に幸福を見出すから、それが決定的な相違点であるという意味でしょうか。ぼくもその点に関しては気になって、仏教では孤独の中に悟りを見出すのに、トルストイは人間関係の中に幸福を見出すのかという記事を書きました。トルストイの「人生論」にはこの上なく感動しましたが、東洋人のぼくとしては孤独の果てにこそ本当の幸福があるという東洋で培われてきた思想の方が、実はとてもしっくり来てしまいます。

      https://mizuirofashionista.com/satori

      いっぱい書いてしまってごめんなさい!笑 この違和感について誰かと話すことなんて全然できないので、この貴重な機会に自分の考えを聞いてもらいたくなりました。もしお時間がありましたらご覧ください!

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