男にとって精液とは何か?精液は性的発情を促すよりも重要な生命の活動エネルギーの根源としての役割がある

 

男にとって精液とは何か?精液は性的発情を促すよりも重要な生命の活動エネルギーの根源としての役割がある

・男の人生は精液に翻弄される
・精液は性的発情を促すだけの液体だというのは本当か?
・精液を体外へ放出する価値、精液を体内へ蓄える価値
・赤い第1チャクラは生殖器から発現する

・男の人生は精液に翻弄される

男の肉体としてこの世に生まれつくと、第二次性徴以降に体内で精液が生産されるようになる。精液は当然のことながら性的な欲望や観念と強く結び付けられ、体内で作られる精液は男性にとって性的な役割しか果たさないというのが一般的な認識だろう。例えば男性の肉体に精液が蓄えられると異性に対してやたらと発情しやすくなり、ちょっとした刺激でもすぐに性的な欲望を駆り立てられてしまうことから、男性は定期的に自分自身によってかもしくは他人と共に、精液を体外へと放出する行為が求められる。

きちんと定期的に精液を体外へと放出しなければ、脳内が性的な思考だけで満たされた獣のようになってしまう傾向が強くなり、人間としてまともな社会的生活を営むためには不都合となる。また男性の肉体は精液を体外へ放出する際の感覚を、人生における最高の快楽と感じてしまうようにできていることから、あらゆる男子は例外なく射精という行為に夢中になり、頻繁に精液を体外へと放出させることを密かな日課としている。しかし男の肉体として生まれついてしまった限り全ての男子はその宿命を背負うので、その秘密は自然と男子の間で共有され、決して秘密になることができない矛盾した秘密となる。

このように精液は常に性と強く結びつけられ、精液には性以外の役割なんてないかのように思われがちとなるが、果たして本当にそうなのだろか。精液とは本当に、ただ一面的に、性的な液体としてしか男の肉体に影響を及ぼさないのだろうか。

 

 

・精液は性的発情を促すだけの液体だというのは本当か?

日常生活の会話の中で、運動部の男子が「試合の前は精液を放出するのを我慢して、禁欲しなければならない」と言うのを耳にしたことがある。精液を持たない女性からすれば精液というのはただの性的な発情を促すだけの液体なのに、それが運動の試合とどういう関係があるのだろうと不思議に思う人がいるかもしれない。しかし実際に精液が常に体内で無尽蔵に作られている男子からすれば、この発言はなんとなく察しがつき納得されるものになるに違いない。すなわち男子はほぼ毎日精液を体外へ放出したがっているけれど、それを我慢して数日間精液を体内へ蓄えておけば、言葉にはし難い生命の根源的なエネルギーが奥底から湧いてくるということだ。

もちろん数日間我慢して精液を体内に蓄えることにより、やたらと性的に発情しやすくなり、ちょっとした刺激でもすぐに発情してしまうほどに肉体も精神も敏感になってしまうが、それとは別の側面としてその性的エネルギーが生活における”行動エネルギー”に変換され、やたらと活発で元気で明るくエネルギッシュになったりする。精液が体内に蓄えられたことによって果てしなく生産される性的エネルギーが、禁欲するという理性的な意思に遮られ、もはや性的な側面としては発散できないことを知る時、もてあまされた根源的な野生の性的エネルギーは漏れ出すように行動エネルギーへと変換され、男性の行動力や活動力を底上げするようにできているのだ。このような感覚を、男子ならば誰もが経験したことがあるのではないだろうか。

つまり運動部の男子が精液の放出を数日間我慢することにより、性的エネルギーがやたらと溢れ出し、それがやがて男子の率直な肉体的行動エネルギーへと変換され、試合における積極性や攻撃性へと結びつけられることでよい結果が出せるのではないかと直感的に信じられているのだ。

 

 

・精液を体外へ放出する価値、精液を体内へ蓄える価値

一般的に精液というものは、放出される瞬間にこそ最も価値があると信じられている。それは射精の感覚が男性の肉体にもたらす快楽が絶大であるという理由もあるだろうし、精液は女性の体内に放出され卵と結びつき新しい子孫を生み出してこそ初めて意味を持つという合理的な思想による部分も大きいだろう。逆に男性の体内で無尽蔵に生産される精液というものを、体外に放出せずに蓄えるということにあまり価値は見出されない。全ての男子は精液を体外に放出することだけに夢中になり、それを体内に蓄えることによって生み出される生命としての根源的な行動エネルギーについて顧みられることはほぼない。

しかしぼくが男の肉体としてこの世に生まれついて感じることは、もちろん放出する幸せも当然のようにあるが、少しの間蓄えるという幸せもあるのではないかということだ。無理して積極的に我慢しようとするわけではなくても、運命的に放出を我慢せざるを得ない状況が男子の人生にはたまにあるだろう。そのような状況の中で敏感になりゆく肉体と精神を抱えながら、いつもよりも積極的になり、明るくなり、前向きになり、野生的になり、攻撃的になり、獰猛になり、生命の根源的な行動エネルギーに翻弄されてしまうような日々を送るのも、男子の人生の情緒を深めてくれることだろう。

男にとって射精とは、これ以上にない快楽であると共に、これ以上にない虚無感や喪失感を意味する。あらゆる男子は虚無感や喪失感のことなんて気にすることもなく、ただひたすらに生殖器の快楽だけを求めて放出へと突き進んでしまうが、虚無感や喪失感を妨げ充実感や幸福感で心を満たそうと考えたならば、蓄えるという選択肢もたまには悪くないだろう。射精の快楽と虚無感と喪失感、蓄積の充実感と幸福感ともどかしさを忙しく幾度も繰り返しながら、男の肉体はジェットコースターのように目まぐるしい人生を突き進んでいく。

 

 

・赤い第1チャクラは生殖器から発現する

ぼくが宮古島に住んでいた時、パワーストーンのお店で見かけた「チャクラ」の図を見た瞬間に深く心から納得してしまった。詳しいことはよくわからないが人間のチャクラは7つに分けられ、第1〜第7まで赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と色付けされているのだそうだ。生命にとって最も根源的なものは赤色の第1チャクラで、次元が上がっていき魂とか霊性とかになると紫の第7チャクラへと変わっていくという。また第1〜第7のチャクラはそれぞれ人間の肉体の部位に呼応しており、赤色の第1チャクラは生殖器や肛門周囲の会陰部を指しているという。

ぼくは男子の根源的な活動エネルギーが精液や生殖器から発動しているというような感覚を、男の肉体を抱えながら生きてきてずっと感じていたのでこの生殖器周辺の第1チャクラにとても共感した。また自分の根源には赤い火炎が燃え盛っているのを常に感じていたので、この第1チャクラが赤色というのもとても共鳴する感性だった。チャクラはヒンドゥー教によるものらしいが、ぼくの感性はインド人に近いのだろか。それともぼくは前世インド人だったのだろうか。

ぼくは男の肉体を持ちながら生きてきて、根源的エネルギーが精液や生殖器からやって来ると感じていたが、このチャクラの図によると女の肉体もそれは同様なのだろうか。女の肉体には精液が備わっていないので、当然精液の蓄積によるエネルギーの発現は期待できないが、女の肉体ではどのような仕組みで生殖器から根源的エネルギーが生まれるのだろうか。とても気になる内容だがまさかそんな意味不明な質問を女の友達にできないし、間違えばセクハラだと怒られてしまうのでぼくの中では永遠に謎のままこの一生を終えるかもしれない。

 

 

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