男は男を好きにならないよ!渚カヲルはなぜ男である碇シンジを好きになったのか

 

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男は男を好きにならないよ!渚カヲルはなぜ男である碇シンジを好きになったのか

・「男は男を好きにならないよ」はぼくがエヴァを見始めたきっかけ

ぼくが最近人生で初めてエヴァンゲリオンを初めて鑑賞したのは、「男は男を好きにならないよ」という言葉がきっかけだった。何を調べていたのかは忘れていたけれど、検索候補の下の方にこの言葉が「男は男を好きにならないよ」という言葉が出てきて気になったのだ。どういう意味の言葉だろうと思ってその言葉を押してみると、それはエヴァンゲリオンの主人公である碇シンジという人が渚カヲルという人に向かって放った言葉のようだった。ぼくはこの時点でエヴァンゲリオンというものを全く見たことがなかったので、碇シンジという人や渚カヲルという人について何も知らなかったが、エヴァンゲリオンといえばロボットアニメだと思っていたのでどういう展開でこういう話題になったのか気になったのが、エヴァンゲリオンを見始めたきっかけだった。

 

 

・今更ながらエヴァンゲリオンを全部見てみた

エヴァンゲリオンは1995年〜1996年にかけて放送されたテレビアニメだ。社会現象になるほどの人気だったというが、その時代ぼくの周りではエヴァンゲリオンを話題にしていた人を一切見かけたことがないのは印象的な思い出だ。本当に社会現象になったのだろうか、疑わしい。それとも自分がわからない話題だから意識がスルーしてしまっていただけだろうか。

2021年の今になって1990年代感あふれるエヴァンゲリオンのアニメを全26話を2日間で見終わった。それはとても一言では言い表せないくらい混沌とした感動的なアニメだった!最初はロボット対戦アニメだからつまんなそうだと思いながらも我慢して見続け、次第に哲学的・精神的な世界へと没頭していき、最終的にはなんだか世界全体が全ての境界線を取っ払うという禅の悟りのような境地に達するが、主人公は再び境界線や他人や苦しみのある世界を選択し戻ってくるという話だった。

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しかしやはり根本的には「ロボット対戦アニメ」なので思春期男子や少年的な心を持っている人をターゲットにしているのか、思春期男子が心から喜びそうなシーンが随所に散りばめられていた。具体的にいえば女の子の裸を見ちゃったり、触っちゃったり、一緒に寝ちゃったりというような典型的なエッチなシーンが多用されていた。巨大ロボットが街中で大暴れして敵をバコバコ倒したり、女の子の裸がいっぱい見られたりして、エヴァンゲリオンには思春期男子が喜びそうなシーンが満載だったが、唯一思春期男子が全く喜ばなさそうなシーンがあって印象的だった。それが突如意味不明に登場する碇シンジと渚カヲルのボーイズラブ(BL)的なシーンである。

 

 

・渚カヲルの出番は意外と少ない

渚カヲルはテレビアニメでは第24話「最後のシ者」にしか登場せず、意外とすぐに消えてしまった。またその続きである旧劇場版「THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に」でも巨人として一瞬だけ登場した。漫画では9巻〜11巻とアニメよりは長めに登場する。しかしその登場シーンの短さとは反比例して、その異質な存在感は見る者の心を惹きつけた。

エヴァンゲリオンは主人公の碇シンジたちがエヴァンゲリオンという人造人間に乗って、次々に襲ってくる使徒という敵キャラを倒していくという物語だった。シンジたちは順調に使徒を倒していき、あと最後の1匹というところで渚カヲルがエヴァンゲリオンの新しいパイロットとして突如登場した。しかしその正体は意外で、なんと彼こそが最後の使徒だったのだ!

今までの使徒といえば巨大で変な形をしており、いかにも化け物のようであり、一瞬で敵キャラだと判別されるものばかりだったが、最後の使徒だけは渚カヲルという人間の形をとっており、シンジと心の交流を交わした後で最終決戦へと踏み込むのだった。この心の交流という部分が、謎にBL的な展開で興味深かった。

 

 

・アニメ版におけるシンジとカヲルのBL的な関係性

渚カヲルに出会った頃、碇シンジは大切な仲間をほぼ全て失った状態にあり、喪失感に苛まれていた。そんな時に渚カヲルに出会い、シンジの心が次第に満たされていくというのがテレビアニメの内容だった。シンジが生きることに苦しんだり悲しんだりもがいたりしているのに対し、カヲルは常に冷静で達観した心の姿勢でシンジと対話していた。カヲルがシンジにかける優しい言葉や不思議な行動の数々は、一般的な感性からすると明らかな好意に満ちあふれている。

第24話「最後のシ者」ではなぜかカヲルがシンジと一緒にお風呂に入りたがり、仲良く並んでお風呂に入る。お風呂のお湯の中でカヲルがシンジに手を重ね、哲学的な言葉を流れるように説き続ける。

「他人を知らなければ裏切られることも、互いに傷つくこともない。でも寂しさを忘れることもないよ。人間は寂しさを永久になくすことはできない。人はひとりだからね。ただ忘れることができるから人は生きていけるのさ」

「ぼくが君と寝るの?」

「常に人間は心に痛みを感じている。心が痛がりだから生きるのが辛いと感じる。硝子のように繊細だね、特に君の心は」

「好意に値するよ、好きってことさ」

とカヲルはいきなりシンジに告白して場面は切り替わる。シンジも顔を真っ赤にしてまんざらでもない様子だ。

さらに場面はカヲルの部屋に移り、なぜか2人で並んで寝ている。シンジが自分のことを素直にカヲルに話せることに気づき、カヲルの方を向くとカヲルはじっとシンジを見つめてこう呟く。

「ぼくは君に会うために生まれてきたのかもしれない」

しかしこのような2人の深い心の交流を描けば描くほど、シンジがカヲルが敵であり倒すべき使徒だと気付いた時のショックは計り知れないものとなった。

「嘘だ嘘だ嘘だ!カヲルくんが使徒だったなんて、そんなの嘘だ!」

「裏切ったな!ぼくの気持ちを裏切ったな!父さんと同じに裏切ったんだ!」

シンジとカヲルの対決のシーンでは、シンジは信頼し心を許していたカヲルに裏切られたことに怒り、混乱し、狼狽する。しかしカヲルは最後の最後でシンジの手によって殺されることを望む。

「生と死は等価値なんだ、ぼくにとってはね。自らの死、それが唯一の絶対的自由なんだよ。さぁ、ぼくを消してくれ。そうしなけば君らが消えることになる。滅びの時を免れ、未来を与えられる生命体はひとつしか選ばれないんだ。そして君は死すべき存在ではない。君たちには未来が必要だ。ありがとう、君に会えて嬉しかったよ」

という言葉を遺言として、カヲルはシンジの乗ったエヴァンゲリオンの手によって滅ぼされ、首が落ちる。シンジはカヲルを殺さざるを得なかった運命をを後悔し、ミサトに呟く。

「カヲル君が好きだって言ってくれたんだ、ぼくのこと」

「初めて、初めて人から好きだって言われたんだ」

「ぼくに似てたんだ」

「好きだったんだ」

「生き残るならカヲル君の方だったんだ」

「ぼくなんかより、ずっと彼の方がいい人だったのに、カヲル君が生き残るべきだったんだ」

否定され続けてきた人生の中で、シンジは初めて人から好きだと言われたこと、そして自分もカヲルのことを好きだったということをミサトに告白したのだった。

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・旧劇場版で唯一カヲルだけを受け入れるシンジ

アニメの続きであり最終回的役割も果たす映画「THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に」でも一瞬だけカヲルが登場する。それはリリスの魂を持つ綾波レイがリリスの肉体へと帰り、巨大化するシーンだ。巨大な綾波レイが一瞬だけ、カヲルへと姿を変え「もういいのかい?」とシンジに尋ねる。サードインパクトが起こる過程で何が何やらもはやわからずに、最後の場面では何を見ても発狂していたシンジだが、唯一カヲルが登場したときだけは安心した顔をし「ここにいたの、カヲルくん…」と言ったきりカヲルだけは素直に受け入れ、恍惚の表情を浮かべながら、あらゆる境界を失った失った世界へと入り込んでいく。この場面でも、シンジの心にとってカヲルは唯一無二の尊い存在だったことがうかがえる。

 

・漫画版におけるシンジとカヲルの繊細な関係性

アニメに対してエヴァンゲリオンの漫画の方は、いきなり罪悪感なく子猫を殺すなどカヲルがもっとエキセントリックに描かれており、シンジに思いを寄せるカヲルとそれを拒絶するシンジという関係性が描かれている。「男は男を好きにならないよ」というセリフも、漫画の方(第10巻)にしか出てこない。過呼吸になったシンジにカヲルがキスする場面も、アニメには見られないBL的なシーンだ。

また漫画版ではカヲルがシンジの手によって殺されたいという精細な心情がより具体的に表現されている。

「君はぼくをしめ殺した感触をその手に残すんだ。そうしたら君はぼくのことを嫌でも忘れられないだろう?今まで君が失った人たちと同じように」

と自分がシンジの手によって殺されることで、肉体的な感触としてシンジの記憶に永遠に深く残り続けたいという、逸脱したあまりに強いシンジを慕うカヲルの気持ちが表現されている。やはり漫画のカヲルは最後までエキセントリックだった。しかしアニメ版と同じようにカヲルが死んでから、シンジは自分がカヲルを好きだったことに気づくのである。

 

・カヲルが性的にシンジを好きにならない絶対的な理由

比率からすればカヲルの出番はかなり少ないものの全体を通してエヴァンゲリオンを鑑賞し、ぼくはこのシンジとカヲルの関係性が印象的でとても好きだった。それは他の場面に見られるような思春期男子にサービスしたような性的で発情した感性ではなく、もっと純粋で清らかな「好き」という感情が表現されていると感じたからだ。それは思いやりとか、慈悲とか、愛に近い感性ではないだろうか。レイの裸や、アスカの裸や、ミサトの裸のシーンがある理由は明白だ。それが性的であり、視聴者のメインである思春期男子の注目を惹きつける役割を確実に果たし、発情させることによってエヴァンゲリオンに夢中にさせることができるからだ。しかしシンジとカヲルの一見BL的な表現や心の交流は、決して性的でも発情によるものではないとぼくは言い切れる。なぜならそれは、カヲルが第一使徒だからである。

カヲルは人間の肉体を持っているが、魂は第一使徒のアダムのものだ。アダムは遠い昔まだ生命が存在しない地球に、白い月に乗ってやって来た第一の使徒だった。アダムは次々と子供の使徒を生み出し、アダムの子孫の使徒が地球上で栄えるはずだった。しかし予想外の展開として、その後黒い月が地球に落下した。黒い月には第二使徒であるリリスが乗っており、黒い月の衝撃で、地球上で栄えるはずだったアダムもその子孫も深い眠りについてしまう。代わりにリリスが人間という使徒を子孫として残し、地球では人間が栄えることになったのだった。この黒い月が地球に衝突した現象を、ファーストインパクトと呼ぶ。

第一使徒のアダムと第二使徒のリリスの違いは何だろうか。それはアダムが生命の実を、リリスが知恵の実を持っているということだ。人間はリリスの子孫なので、知恵の実を持った生物だということになる。これは聖書の中で神様の意志に背いてアダムが知恵の実を食べてしまったこと(原罪)を表現していると思われる。人間は知恵の身を食べて物事の分別がつくようになった。それに対してもうひとつの生命の実には、永遠に生き続ける作用があるという。知恵の実を食べた上、人間にもうひとつの生命の実まで食べられてしまっては、神と同じ完璧な存在になってしまうのでそれを恐れた神様は、人間を楽園から追放した。

人間は知恵はある(知恵の実を持つ)けれど永遠に生きることはできない(生命の実はない)ので、生殖し子孫を残すことによって繁栄するという手段をとった。それに対してアダム系の使徒は生命の実を持っており永遠に生き続けられるので、生殖する必要がない。永遠に生き続ける生物が生殖して増えてしまっては地球が満員電車になってしまうからだ。つまり第一使徒アダムの魂を持つカヲルも、確実に生殖機能や性的欲求を持たないということだ。彼が誰かを「好き」と言うならば、それはムラムラするような性的要素や発情を排除した、思いやりや慈悲や愛に近い純粋な気持ちなのだ。もしも「好き」という言葉に性や発情が絡まるというならば、むしろシンジからカヲルに対する「好き」の方ではないだろうか。カヲルが決して顔色を変えなかったのに対して、シンジはいつもカヲルに対して顔を赤らめていたので、その可能性は十分に考えられる。

エヴァンゲリオンの物語の中では、カヲルがシンジにやたらと好意を向けるので、なんで男が男を好きになるんだとか、ゲイだとかホモだとかいう意見が出そうな気もするが、生命の実を持ち永遠の命を持っているカヲルにとって生殖機能は不要であり、性的にシンジを好きになっていることは決してないだろう。カヲルがシンジを好きなのは確実に性的ではなく、男も女も関係なく、人間として、生命として、魂として純粋に好きというだけだ。しかしこれほどまでに美しい「好き」という感情があるだろうか。

 

 

・人間は性的な快楽や発情の衝動にとらわれて純粋な愛を見失う

性的な快楽や発情の衝動にとらわれず、人を好きになるということをぼくたち人間はどうしてもできない。それはぼくたちが性的機能を植え付けられているからだ。ぼくたちは確実に老い、ぼくたちは確実に死に、だからこそ性的欲求から引き起こされる生殖を通して未来に子孫を残すようにできている。本当に人を愛したいと願っても、どうしても性的な快楽や発情の衝動が邪魔をし、自分が快楽や安定という”利益”を得たいだけなのか、何も返されなくてもただ純粋に人を愛したいだけなのかわからずに心は彷徨う。しかし永遠の命を持ったカヲルが「好意」を抱く時、それは性的な快楽も発情の衝動も決してまとわりつかない純粋で美しい「好き」という思いを表現しているということができるだろう。

新しくエヴァンゲリオンが再構築された映画「ヱヴァンゲリヲン」シリーズでもカヲルは活躍し、その中でもシンジへの無償の愛や思いやりであふれている。

「いつも君のことしか考えていないからね」

「ぼくは君に会うために生まれてきたんだね」

「今度こそ君だけは、幸せにしてみせるよ」

カヲルは男を好きになる奇妙で変な男ではなく、まさに人が人を思いやるということはどういうことかを教えてくれる「愛の化身」ではないだろうか。

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