「歩く」という神聖な行為へ。
ノンケに恋してつらかった高校時代、ぼくが心を癒す唯一の方法は「歩く」ことだった
目次
・高校2年生のとき、ぼくは同級生の男の子を好きになった
高校2年生のとき、ぼくは同級生の男の子を好きになった。人を好きになったのは初めてだった。人を好きになることは素晴らしいことだと聞いていたのに、男が同級生の男を好きになるという初恋は心が引き裂かれるほどにつらいことの連続だった。
絶対に叶うはずのない恋を、誰にも相談できずに心の中に抱えたままで、誰も好きになっていないようなフリをして生きるのは、想像以上に悲しいことだった。
悲しみと孤独と絶望の根源は、自分自身の奥底に隠されていた。どんなに忘れようと努力しても、どんなに自分は大丈夫だと言い聞かせてみても、悲しみの根源が自分の中に存在している限り、後から後から悲しみは無尽蔵に生産され続け、ぼくの心のすべてを支配していった。叶わない恋はまるで呪いのようにぼくの精神を蝕み、もはや未来を生きて行くことさえ嫌になるほどだった。
・悲しみの根源が自分の中にある限り救済は訪れない
ぼくは自分を救済できる方法をさがしていた。叶わない恋を見ないフリする方法を、幸せになれない運命から逃れられる方法を、誰もいない闇の中でさぐり続けた。だけどそんな救いは見つからなかった。叶わない恋も、幸せになれない運命も、全てはぼく自身の一部であり、それを敵とみなし、それを憎み、それを攻撃しようとすることは、愛する自分自身を傷つけることに他ならなかった。自分を救い出すために、自分を傷つけることはできない。ぼくは救済を諦め、ただ運命に打ちひしがれるようにして生きていた。
・ノンケに恋してつらかった高校時代、ぼくが心を癒す唯一の方法は「歩く」ことだった
救済とまではいかなくても、忘れることはできなくても、ただこの苦しみをせめてほんの少しでも薄められたら…そんな風に祈っていたぼくにできた唯一のことは「歩く」ということだった。「歩く」という肉体的で原始的な行為は、ぼくの中から悲しみの根源を除去する力ではなく、ぼくが悲しみの根源へと向き合い、対峙し、立ち向かうことを助けてくれた。「歩く」ことなしではつらすぎる対峙も、「歩く」ことを通せばなんとかできないこともなかった。毎日泣いていたけれど、毎日悲しかったけれど、それでも死なずに生きてこられたのは「歩い」たからだと感じる。初恋という精神的な呪いは、「歩く」というあまりに肉体的な行為によって、ぼくを蝕むことを妨げてくれた。
高校の帰り道を、ぼくは友達もなしにひとりで歩いた。誰もぼくの引き裂くような恋の苦しみを知らないのなら、ぼくはぼくと帰るしかなかった。本当ならばバスと電車を使って帰るはずの遠い道のりを、ぼくは敢えて100分間歩いて帰った。毎日100分の道のりを歩いて帰っていた。この100分が、どんなにぼくの心を癒してくれたことだろう。どんなに悲しい恋であっても、どんなに悲痛な言葉しか思い浮かばなくても、歩くことを通してぼくの心は少しだけ整理されていった。悲しみの根源は消えないけれど、ぼくはぼくの根源と向き合わなければならないのは変わらないけれど、ぼくは野生の動物のようにひたすらに肉体を駆使することによって、ぼくの魂は宿命を乗り越えられるような気がした。そう祈るより他はなかった。
誰もいないから歌を歌っていた。ぼくはぼくに向けて歌を歌った。そして天に捧げるように歌った。もうこれ以上、悲しみを注がないでほしいと本気で神様に祈っていた。もしこれ以上の苦しみがもたらされたなら、もう心がもたない。永遠に降り注ぐように感じられた、ぼくの存在の根源へ向けられた否定の雨が、人生でいつの日かやむことを願った。明日止むことはないだろう、1年後も同じように降り注ぐだろう、10年後はもっと強くなっているだろう、そんなことは幼い高校生のぼくにもわかっていた。けれどせめて、いつか、いつかでいいから、否定の雨がやむことを祈っていた。存在の根源から否定される痛みを、ぼくは知っている。
・浜崎あゆみ「HEAVEN」
最期に君が微笑んで
まっすぐに差し出したものは
ただあまりに綺麗すぎて
こらえきれず涙あふれたあの日きっとふたりは愛に触れた
私たちはさがしあって
時に自分を見失って
やがて見つけあったのなら
どんな結末が待っていても運命と呼ぶ以外 他にはない
君が旅立ったあの空に
優しく私を照らす星が 光ったそばにいて 愛する人
時を超えて 形を変えて
ふたりまだ見ぬ未来がここに
ねぇこんなにも残ってるからそばにいて 愛する人
時を超えて 形を変えて
ふたりまだ見ぬ未来がここに
残ってるから 信じて愛する人 私の中で君は生きる
だからこれから先もずっと
さよならなんて言わないあの日きっとふたりは 愛に触れた
・「歩く」ことの究極体は、800kmを1ヶ月かけて歩くスペイン巡礼の道だった
いつか否定の雨がふりやむことを祈っていたぼくは、大人になって世界を巡る旅に出た。その旅路の中で、ぼくは「歩く」という行為の究極的な形を見出した。それはスペイン巡礼という、800kmを1ヶ月かけてひたすらに歩くという祈りの旅だった。重き荷を背負いながら、ぼくは1日も休まずに1日30kmほどを歩き続けた。肩にのしかかる荷の重さは、まさに自分の背負う運命そのものだと感じられた。
けれどこのスペイン巡礼の旅路の上では、誰もが等しく重き荷を背負っていた。若くて体力のある者もあれば、年老いて体が動きにくい者もある。それでも誰もが等しく、重き荷を背負いながら巡礼の道を歩いていた。ぼくたちはお互いに「ブエン・カミーノ」と呼び合った。あなたのよい巡礼をお祈りしていますと、お互いに祈り合った。あなたにはあなたの重き荷があり、ぼくにはぼくの重き荷がある。あなたはぼくの荷を背負えないし、ぼくもあなたのものを背負えない。たったひとり自分だけで背負うための重き荷、誰もこの荷の重さを知ることはない、だけどそんな荷物が誰の背にも等しく乗っているのだった。
ぼくはあなたの苦しみを知らない、あなたはぼくの苦しみを知らない、誰もそれを告げることはできない、それでも共に行こうと祈りをささげ合う巡礼の道は、まるで夢の中の世界にいるみたいだった。
・スペイン巡礼の詩