生殖や性欲は全ての人間に課せられた魂の使命なのか? 〜運命の人について〜

 

生殖や性欲は全ての人間に課せられた魂の使命なのか? 〜運命の人について〜

・魂の使命を見失った人々

「自分は何のために生まれて来たのか?」「自分は何のために生きていくのか?」この答えをはっきりと自覚している人は案外多くはない。どんなに学問が得意で偏差値が高くても、その結果として高学歴・高収入になっても自分がこの人生で成し遂げるべきことは何なのか、その”魂の使命”を説明できる人はほとんどいない。自分が何をすべきなのか、何をしたいのかがわからずに、とりあえず資本主義の世の中で蓄財し他人から羨ましがられる人生を送ろうと、自分の幸福の居場所も見つけられないままで常識的なレールの上を歩き続ける。

 

 

・あらゆる人間は生殖器に支配される

しかしその一方で全ての人間には共通して「やりたくてやりたくて仕方がない」と感じてしまう衝動的な欲望が存在する。その代表的な一例が性欲である。人間は動物である以上、肉体が成熟すれば生殖器に思考を支配され、生殖器に激しく突き動かされながら人生を歩んでいくことになる。女が美しくなろうと躍起になるのも、男が高い収入と社会的地位を得ようと必死になるのも、元を辿れば結局は生殖の欲望を満たすことに帰着する。生殖の衝動はどのような時代であろうと、どこの国であろうと普遍的に存在し、例えば古代では恋の矢文を飛ばしていたところが現代ではマッチングアプリに姿を変え、生殖相手を何とかして見つけ出そうと積極的に行動する有様は、時代を超えても変わりはない。

 

・やりたくてやりたくて仕方のないことは生殖

それならば自分が何をしたいのかわからない、”魂の使命”が見出せない多くの人々にとっても、実際は自分のやりたいことを発見するのは容易い。なぜなら人間ならば誰もが生殖器に支配され、生殖器の衝動に従って生きているのだから「自分がやりたくてやりたくて仕方のないことは、生殖だ」と自覚することで、「自分は何をしたいのか?」「自分は何をすべきなのか?」という問いの答え(=生殖)を少なくともひとつは認識できるからだ。

 

・生殖器の衝動は魂の使命か

では果たして生殖は”魂の使命”に分類される行為なのだろうか。魂の使命という言葉があまりに抽象的で曖昧なので断定することは難しいが、何となく違うんじゃないかと思う人が大半なのではないだろうか。「自分は何のために生まれて来たのか?」「自分は何のために生きていくのか?」という哲学的で高尚な問いに対して、生殖という答えはあまりに動物的な印象だ。しかし人間誰もがやりたくてやりたくて仕方がないという衝動を隠し持っている生殖を、人間の使命ではないと断言するのも違和感が残る。

もしかして生殖とは、魂の使命というよりはむしろ”肉体の使命”なのではないだろうか。

 

・魂の使命と肉体の使命

ぼくたちの人生には魂の使命と肉体の使命、2つの使命が混在しているのかもしれない。肉体の使命とは食べることや眠ること、そして生殖など、他の動物にも備わっている本能的な使命だろう。では魂の使命はどうだろうか。ぼくは別に人間が他の動物と比べて優れていると思い上がった考えを持ってはいないが、何となく魂の使命とは人間だけが持っているもののような気がする。そもそも「自分は何のために生まれて来たのか?」「自分は何のために生きていくのか?」という抽象的な問いを抱けるのは、高度な言語能力を発達させた人間だけなのではないだろうか。

魂の使命は見出しにくく、肉体の使命は誰にだって簡単に発見できるという性質を持っている。それゆえほとんどの人々は自らの魂の使命を追求することを諦め、常に強烈な衝動を実感できる肉体の使命を果たそうと必死になる。肉体の使命の先には性的快楽があり、肉体の使命の先には常識的幸福があり、肉体の使命の先には繁栄がある。しかしそれは人間でなくてもできる動物的な営みなのかもしれない。

 

 

・運命の人

人間には、運命の人がいるという。しかしそれは大抵の場合、生殖器に支配され、生殖器に突き動かされた結果として辿り着く、生殖器を結合させるための相手を指すことが多い。肉体の使命に翻弄された先で巡り会うそれを、果たして本当に運命の人と言えるのだろうか。

もしもこの肉体が消滅し、生殖器が消滅したならば、それでもなおぼくたちはその人を求めるだろうか。肉体が滅んでも、生殖器が滅んでも、それでもなお魂が巡り会うべきだと指し示す人はどこにいるのだろうか。

ぼくたちは本当の運命の人に巡り会おうとする魂の旅路の中で、肉体と生殖器の衝動に妨げられて、運命の人へと辿り着くための羅針盤を見失ってしまうのではないだろうか。肉体と生殖器を超越し、魂と魂が巡り会った愛の姿を、ぼくたちは見ることができるだろうか。肉体を喪失した後で、生殖器から解放された後で、ぼくたちは誰を求め、愛するのだろうか。

 

 

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