もうぼくは彼を失うことさえ怖くなかった。
裏切られ続けたぼくは狂人となって、彼女と過ごすノンケの彼の部屋を訪ねることさえ恐れなかった
目次
・大学時代、ゲイのぼくとノンケの彼は恋人同士みたいだった
大学時代、ゲイのぼくと同級生のノンケの彼は不思議なことに恋人同士のような関係になった。合鍵を交換しお互いの部屋を行き来して、「好き」と言っては抱きしめ合い、甘え合い、キスして、触り合っていた。
けれど若い彼の燃え盛る本能はいつも女の肉体を求めていた。ぼくという例外がいてもそれを止めることなど到底できずに、ついに彼は人生で初めての彼女を作った。けれど彼はぼくに決してそれを教えてはくれなかった。ぼくはそれを裏切りだと憎んだし、彼もそれが裏切りに当たると知っていたから、ぼくに何も言わなかった。2人が最も幸せになる道は2人が会わないことだと悟り、ぼくはもう彼の部屋に行かないことを決めた。
心が引き裂かれそうになりながらも4ヶ月間、彼に会わないように努力していたけれど、そんな努力も彼から2通のメールが来ただけで無意味に帰してしまった。大好きな彼から部屋に来てほしいと求められることで、ぼくのどんな決心も努力もいとも容易く崩壊してしまうのだった。ぼくは彼に「他の人にも好きって言ってるならちゃんと教えてほしい」と問い詰めた。彼はぼくに「他の人には好きだなんて言っていない。信じていいよ」と答えた。彼はいつもぼくを裏切って、ぼくは彼を信じてはいなかったけれど、それでもぼくは彼が大好きだった。彼がぼくのことを好きだと言って抱きしめてくれるだけで、ぼくの心は少しずつ満たされていた。
・12月23日、彼はまだぼくを裏切り続けていることを告げた
12月23日、ぼくは彼に24日と25日は会えるのかと訪ねた。彼は25日はバイトがあるから無理だと答えた。24日の予定はどうしても言わなかった。ぼくは彼が、まだ裏切りをやめていないことを心のどこかで知っていた。彼がぼくに嘘をついていることも知っていた。彼を本当は信じてはいけないことを知っていた。
「他の人には好きって言ってないって言ったやん…信じてもいいって言ったやん…」と言いながら、ぼくは自然と涙が止まらなかった。「もういやだ…」「信じてたのに…」と、どうしようもないとりとめもない言葉を繰り返した。泣いているぼくに向かって、彼は冷たく言い放った。「あぁ、友達にはな」
ぼくは少しでも彼を信じようとした愚かな自分を責めた。ぼくは泣きながら、本当はずっと前から彼女ができたことを知っていたことを彼に告げた。そして裏切られたとわかっていても、どんなに悲しくても、彼が幸せになれるならそれでいいと、彼の部屋に行かないように決めたことを伝えた。そんなぼくの4ヶ月に渡る決心を打ち砕かせて、彼がぼくを部屋へと招いたのだから、もうぼくは何も我慢なんかしない。全ては彼のせいなんだから、もう何も怖くない。
ぼくは2時間泣き続けて、彼は「ごめん」を繰り返した。結局は25日のバイトが終わってから会うことになった。24日は彼女と会うらしい。ぼくが部屋から帰るとき、彼はこれまでにないくらいぼくを強く抱きしめてくれた。ぼくはこのとき、自分が壊れるんじゃないかと思った。ぼくは彼の顔を見て「明日は今ぼくにしたよりも強く彼女を抱きしめたらあかんよ」と呟いた。彼は下を向き「わかった」とだけ呟いた。
・ぼくたちはどうして2人で幸せになれないのだろう
自分の部屋に帰ってからもぼくは絶望の渦の中にいた。生きているのか生きていないのかわからないような感覚の中で、ぼくは彼にメールを送った。自分でも何をしているのかよくわからなかった。
初めて好きって言われた日のこと、初めて大好きって言われた日のこと、初めてキスしてくれた日のこと、Sは忘れてもぼくはちゃんと覚えてるよ。
「好き」って言われて、「どのくらい好きなん」って聞いたら、Sは「これくらい」って言ってすごい強く抱きしめてくれた。「言葉で言ってや」って言ったら、Sは「本気で」って言ってくれた。
お寿司屋さんに行って、ぼくが「玉子のお寿司大好きやねん」って言ったら、Sは「ふーん俺は水色が大好きやけどな」って言ってくれた。
全部全部大切な思い出で大切な宝物やのに、今悲しい思い出に変わらなきゃいけないのはどうして。 なんでぼくだけが悲しくなるの。なんでぼくだけ泣かなあかんの。ぼくは何も変わらないのに。ずっと変わらないでただひとり好きなだけやのに。なんでぼくだけ孤独になるの。なんでぼくだけひとり罰を受けたみたいになるの。そして、なんでSだけが別のところで幸せな顔をするの。Sが変わっていくからぼくは泣いて、そしてSだけひとり幸せになるの。なんでぼくはひとりぼっちで泣かなあかんの。Sが幸せになる分ぼくは泣かなあかんの。なんでふたりで幸せになれないの。ひとりにしないで。
・12月24日、彼女と過ごしている彼の部屋を訪れてぼくは彼を困らせた
12月24日、彼はぼくからのメールも電話も無視して、返されることがなかった。やがて携帯の電源も切られた。会えないのは仕方がないけれど、拒絶されたことが許せなかった。都合のいいときにだけ部屋に呼んで、都合のいいときにだけ拒絶して、ぼくは彼の人形じゃない。
ぼくは夜に彼の部屋を訪ねた。彼は困惑の表情を浮かべていた。彼は部屋で彼女と過ごしていたから。それでもぼくは構わなかった。彼にどう思われてもどうでもよかった。ぼくは彼の幸せを思って4ヶ月会わない努力をしたのに、彼がそれを踏みにじったのだから、何が起こってもそれは彼自身の責任だった。彼を失うことは死ぬことよりも怖いはずなのに、ぼくはこのとき何も怖くなかった。彼を失ってもいいから、彼に会いたかった。別れても、見放されても、拒絶されてもいいから、彼の顔を見届けたかった。ずっと好きだと交わし続けたぼくを裏切って成し遂げられる幸せな顔というのがどういうものか確かめたかった。人間は大切な人をどんなにことごとく、心を殺すくらいにまで傷つけても、幸せになれるのかどうか、その不条理をこの目に焼き付けたかった。
ぼくはこのとき死ぬことよりも、大好きな人を失うことよりも、恐ろしいことがあることを自分の中に見出した。それはぼくの心を殺しても構わないと感じる人間が、どんな顔をしてぼくの心を切り裂いて引き裂いて殺してゆくのか、それを見届けないということだった。
ぼくは彼を責め続けて、泣き続けて、そして彼を困らせ続けた。彼は外でぼくを強く抱きしめて、明日どこか行こうねと2人は約束した。
・大切な2人の思い出は彼の裏切りによって穢される
この日もぼくは帰ってから、彼にメールを送った。
ふたりが仲良くなってきた部屋で仲良くしないで。初めて好きって言ってくれたのも、大好きって言ってくれたのも、キスしてくれたのも全部全部その部屋なんやから。ふたりの大切な思い出めちゃくちゃに汚さないで。
・12月25日、彼はぼくに手袋を買ってくれた
次の日、ぼくたちはショッピングモールに出かけた。最初は2人とも黙っていたけれど、喋り出すといつもの2人に戻っていった。裏切られても、傷つけられても、嘘つかれても、ぼくは彼の前で笑えることを知った。ショッピングモールで、彼はぼくにクリスマスプレゼントを買ってくれると言った。2人で選んで手袋を買ってもらった。8000円もするからダメって言われるかなって思ったけれど、いいよって言ってくれた。ショッピングモールには大きなクリスマスツリーが飾ってあって、綺麗だねって言い合ったりした。
その後は彼がバイトしている間、ぼくは彼の車の中で彼が終わるのを待っていた。することがないから暇つぶしにコンビニに立ち寄って、2人分のケーキを買ったりした。彼の部屋に帰ってから2人でそれを仲良く食べた。マレーシアで買ってきた白茶を彼のために初めて淹れた。Mステで浜崎あゆみが歌っているのを聞いて、それまでは普通に笑って過ごしていたのに不意に涙があふれた。彼はぼくの涙を、黙ってじっと見ていた。
クリスマスの夜は2人で寄り添い合って眠った。久しぶりに彼に腕枕してもらった。これからどうすべきなのか、どうしたらいいのか、2人は何も知らなかった。彼は静かに「他の人に好きって言ってないのは、本当だよ」と呟いた。ぼくはもう彼の何を信じていいのかわからなかった。次の日に彼は実家に帰るから、今年はこれでさよならだった。ぼくたちは今年最後にキスをして、抱きしめ合った。昨日も一昨日も死にそうなくらいに強く抱きしめられたけれど、今日はとても優しく抱かれた。そして「強く抱きしめることだけが大事じゃないやろ」と彼は言った。そして最後に「これからも仲良くしようね」とぼくに呟いた。
・浜崎あゆみ「You were…」
すれ違う恋人たちが
肩を寄せ合い歩いてく
冷たさが身に染みるのは
君がいないから季節さえ忘れるくらい
他に何もいらないくらい
そう夢中で輝いたのは
恋をしていたから君が最後の人だと思った
君と最後の恋をしたかった
こんな広い夜空の下ひとり
一体何を思えばいいの今誰の隣で笑顔
見せているのかなだなんて
ねぇどれほど時が経ったら
苦しみは終わるのかないつか話してた夢の続きも
いつも言っていたあの口癖も
全て忘れられたら楽だね
だけどひとつも忘れたくない
・大学時代のぼくの2番目の恋について
・ぼくの高校時代の初恋について
・同性愛について