ノンケの彼がゲイのぼくと恋愛しても何ひとつメリットなんてないから、彼の「好き」という言葉を尊いと感じた

 

ぼくにはあなたに、何ひとつあげられるものなんてない。

ノンケの彼がゲイのぼくと恋愛しても何ひとつメリットなんてないから、彼の「好き」という言葉を尊いと感じた

・この世にはほとんど見返りを求めた好意しか存在しない

人の世は好意であふれている。誰かが誰かに優しくしたり、誰かが誰かを助けたり、誰かが誰かを好きになったりするという現象は無限に発見することができる。しかしその好意のほとんどは、実のところ見返りを期待して欲しがっている計算ずくの好意ではないだろうか。見返りを期待しない好意なんて、この世のどれだけあるのだろうか。

たとえば労働というのは、人の役に立つ行為だ。労働をしている人は、みんな誰かを助けるためにせっせと行動している。しかし労働というものが心から美しい人助けだと感じられないのは、明らかに見返りを求めているからではないだろうか。誰もが給料という見返りを求めて自分の生活のために、たとえ働きたくなくても無理して働いている。給料のためだけではないといえども、それではこれから一切給料なんて出ませんと発表されたなら、誰もその労働に従事しないだろう。労働は人の役に立つ素晴らしい行為だと人間社会では教えられるが、それが確実にお金という見返りを求めている限り、どことなく嘘っぽく感じられてしまう種類の人間の行動である。

ぼくには自らの魂を救済する使命があり、労働という下らないまやかしに巻き込まれている暇はない

社会の中で生きていると誰かに助けてもらうということがよくある。その場では本当に善意で助けてくれたのだとしても、後になってから「あの時助けてあげたのだから」「今までたくさん優しくしたのだから」という空気を醸し出しながら、恩返しを期待されるという機会はよくある。みんなこの世の中をギヴ・アンド・テイクの精神で生き抜いており、持ちつ持たれつ、与えられたら返さなければならないという呪いを受けながら、損得勘定でそろばんを弾きつつ生活を送っている。

ただただ与える、ただただ与えられるという純粋な慈悲の心に触れたならば稀有で尊いものだとひどく感動してしまうほどに、この世の中は損得勘定する心であふれている。

 

 

・恋愛は見返りを求める損得勘定でできている

恋愛というものだって損得勘定的行為の一種に過ぎない。男が女を好きになったり、女が男を好きになったりするという行為の先には、たくさんの得や利益が待ち構えている。さみしくなくなるというのも利益のひとつだし、男女の恋愛の先はいつだって生殖へとたどり着く。生殖による快楽だって大きな利益のひとつだし、その上結婚して子孫まで残せればさらに利益は拡大する。結婚すれば人生は安定すると信じられているし、ちゃんとした常識ある人間だと見なされることもできるだろう。子供ができれば普通の、一般的な人間だという証明にもなるし、老後の面倒も見てもらえて安泰かもしれない。

ゲイとゲイの恋愛においても、子供こそできないもののさみしくなくなったり、生殖の快楽を得られるという利点では男女の恋愛と同様のように思われる。しかしぼくの人生の中には、この人はどうしてぼくのことを好きでいてくれるのだろうと不可解に思った恋愛があった。それが大学時代のノンケの親友との恋愛である。

 

・大学時代、ゲイのぼくとノンケの彼は恋人同士のような関係になった

大学時代、ぼくは親友のノンケを好きになった。彼は大学の同級生だった。いつも膝枕してもらったり、髪を撫でてもらったり、普通の親友として可能な限りの交わりで満足していたつもりだったが、そのうちに好きな気持ちが大きくなってしまい、2人切りの部屋の中で思わず「好き」と告白してしまった。彼はその時は笑って頷いただけだったが、数日後2人切りの部屋で、彼もぼくに「好き」と言ってくれたのだった。

両思いに!大好きなノンケの親友に告白したら毎日「好きだよ」と抱きしめてくれるようになった

大学時代、ノンケの彼とゲイのぼくは会うたびにキスするようになった

部屋の中の男性用のエッチなDVDや携帯の中の女の裸の画像や動画から推測しても、彼がノンケであることは確実であり、彼が男を好きになる形跡は全く見られなかったことから、ぼくは彼が「好き」と返してくれたことが信じられなかった。それからというもの、会うたびに「好き」と言って抱きしめ合ったり、キスをしたり、大切な果実を触り合ったりし、合鍵を交換してお互いの部屋を行き来したりして、確実に普通の親友ではない、恋人同士のような関係になっていった。

 

・ノンケの彼は必死に女の肉体を求めていた

ノンケの彼とそんな関係になれたこと自体信じられなかったが、ぼくはいつも心の片隅で「この人はどうしてぼくに好きだと言ってくれるのだろう」と不思議に感じていた。恋愛というものの先には必ず何らかの利益が存在するはずだった。ぼくはゲイだったので、男の彼と恋人同士のような関係になれることは性的な喜びや幸せを享受することができた。しかし一方で、ノンケの彼の方はどうだろうか。

ノンケの彼がゲイのぼくに好きだと言っても、何ひとついいことなんて起こらないような気がした。彼はいつだって彼女を作りたいと願い、女の肉体を抱くことを夢見ている典型的な童貞の男子大学生だった。普通性的な次元で相手を「好き」という場合、その先には必ず生殖行為があるはずだ。彼の願いはまだ触れたこともない見知らぬ女の子の肉体に、自らの液体を注ぎ込むことにあった。彼の純粋な本能がそれを求めて必死に彼を突き動かしていることは彼を見ていればよくわかったし、彼も全くそれを否定しなかった。

しかしぼくは彼が心から望む女の肉体を持ち合わせてはいなかった。ぼくの肉体は彼と同じ男だった。それなのにぼくに「好き」だと告げて、その先でどんな利益を得られるというのだろう。普通の男女の恋愛と同じように、ゲイのぼくとノンケの彼は誰から教えられることもなく導かれるように、生殖的な方向へ進んで行った。何度も好きだと甘え合い、抱きしめ合い、キスして、お互いにまだ誰も触ったことのない果実を触り合った。

ノンケの親友とゲイのぼくは、同じ果実を男同士で触り合って同じ快楽と幸福を感じた

ぼくはゲイだから彼のそばにいて果実がすぐに反応するのは当然だったが、ぼくの果実をいじっている彼の果実もまた、まだ触ってもいないのに熱く膨張して鼓動していた。ぼくたちはただ「好き」という同じ思いを、それぞれの果実の反応として同じように表現し、同じ形になったお互いの果実をまるで自分のものを触るように慈しんだ。同じ幸福と快楽を共有していたことに間違いはなかった。けれど本来ノンケの彼は男の肉体を求めるはずなんてないのにと、とても不思議な思いを抱く自分自身を時々見出した。

 

・ノンケはゲイを嫌悪しやすい

ぼくと彼が恋人同士のような関係になって、ゲイのぼくは当然嬉しかったが、ノンケの彼はそれすら嫌がってしまう可能性だってあった。ノンケの男というものは、普通ゲイを警戒するものだ。また男と男が愛し合うなんて気持ち悪いと、嫌悪感を抱くノンケも多いかもしれない。彼もノンケとして、時々男と愛し合っている自分を発見して心が不安定になり、ぼくに2人の同性愛的行為を否定するような言葉をぶつけ、ぼくを深く傷つけた。けれどノンケとしての理性でどんなに彼がぼくたちの同性愛的行為を否定しても、ぼくのことを思って震えるほどに反応していた彼の果実は、隠すことなどできずに彼の本当の気持ちを如実に表していた。

ノンケの彼には、ぼくとの同性愛的体験を受け入れる覚悟と誠実さがなかった

 

・ぼくに好きだと言っても、ノンケの彼に何の利益もなかった

普通に考えれば、ノンケの彼がゲイのぼくに「好き」だと言って、利益になることなんて何ひとつなかった。まず最初に、ぼくを好きになれば彼は「男を好きな男」になってしまう。ノンケの彼にとって「男を好きな男」なんておそらく異常な存在だった。だからこそ彼は時々、ぼくたちの同性愛的行為をこじつけで否定してきたのだろう。自分が「男を好きになる男」になるなんて、彼には耐え難い事実だったし、嫌悪感もあったし、苦悩もあったに違いない。誰だって自分が正常だと思い込んで生きてきたのに、いきなり異常になるなんて恐ろしいことだろう。

そしてぼくを好きになっても、彼はぼくから彼の欲しいものを何ひとつもらうことができなかった。若い彼の本能が心から求めているのは、間違いなく女の肉体だった。ぼくには女の肉体なんてなかった。膨らんだ胸もないし、丸みを帯びたシルエットもないし、彼の余った部分を包み込むための足りない部分もなかった。彼はきっと可愛い女の子に「好き」と言われたり、甘えられたり、抱きしめられたり、キスもしたかっただろう。けれどぼくが与えられるのはそれとは正反対の、男の肉体からのものだった。正反対からのものなんて普通のノンケの感覚から言えば、拒否したいほどおぞましいものに違いない。

数々の嫌なことしか起こらないのに、いいことなんてあるはずがないのに、何ひとつ得なんてなく損することしかないのに、それでも彼はぼくに「好き」と言ってくれた。彼は論理的な損得勘定や見返りの原則を超越して、ぼくを強く抱きしめてくれた。それは間違いなくこの世にほとんどない稀有で尊い感情だった。だからこそぼくは、彼から離れられなかったのかもしれない。

 

 

・大学時代のぼくの日記の一部

「どうして好きって言ってくれるの…?」

Sに好きって言われた後に、ぼくは尋ねた

『なんでそんなこと聞くん?』

ってSは返した

ぼくは答える

「だって、何もあげるものないのに…
女の子なら好きって言えば、あげられるものいっぱいあるけど、
ぼくには何も、Sにあげられるものはないのに…」

Sは言った

『何かあげられるとか、そういう問題じゃなくない?』

 

・投げつけた醜い愛と、もたらされた真実の愛

ぼくが彼に与えていたものは、醜い愛だった。

彼に好きだと言われたい、彼に求められたい、彼に触りたい、こんなに大きな愛の気持ちを彼に与えているのだから、当然彼にも同じ量の愛、もしくはそれ以上を返されたいと傲慢にも願い、期待したものが返されないことで絶望感や終わりなき悲しみを常に感じていた。

ゲイのぼくは、彼を好きになって当たり前だった。彼は男だからだ。ゲイのぼくは男の彼を好きになって、恋人のようにふるまうことでいいことがいっぱいあった。返されるものがたくさんあるからこそ、彼を好きになったのかもしれない。

彼がぼくに与えていたのは、真実の愛だった。

彼がぼくを好きになっても、きっと何ひとついいことなんてなかった。自分が異常な人間になったり、男とキスしたり、男の体に触れたり、彼の望むものはそこにはなく、むしろ本来は嫌悪すべき世界が広がっていた。きっと彼は、ぼくを好きにならない方がマシだった。

それなのに彼は、ぼくに好きだと言ってくれた。そればかりではなく、その先の世界まで連れて行ってくれた。彼はぼくから何ひとつ望むものを返されなくても、ずっとそばにいてぼくのことを抱きしめてくれた。言葉では説明のつかない彼のもたらした日々を何と呼ぼう。ぼくはこれこそ「真実の愛」と名付けるにふさわしいと感じた。

ぼくは愛とさえ呼べない醜い愛を彼に投げつけ、彼はぼくに真実の愛をもたらしてくれた。彼がぼくから離れていくのは、自然なことかもしれなかった。ぼくも彼と同じように、真実の愛をもたらすことができたなら、2人の未来は変わっていたのかもしれない。

ある日、彼はぼくに言った。「水色が家に来ないと俺、精神的に死んでしまう。」「水色は俺に何かを与えている。何かは分からんけど。」と。ぼくが彼に与えられていたものは何だったのか、今でも時々考える。

 

 

・大学時代のぼくの2番目の恋について

大学時代、ぼくは片思いしているノンケの友達に膝枕されるのが好きだった

大学時代、片思いしているノンケの親友の幸せはぼくの地獄となることを知った

両思いに!大好きなノンケの親友に告白したら毎日「好きだよ」と抱きしめてくれるようになった

大学時代、ノンケの彼とゲイのぼくは会うたびにキスするようになった

ノンケの親友と愛し合いながら、彼は同性愛と異性愛の狭間で不安定にもがき苦しんでいた

ノンケの彼とゲイのぼくは、どんなに好きだと抱きしめ合っても恋人同士にはなれなかった

ゲイのぼくとノンケの彼は、お互いの部屋の合鍵を交換して恋人のように逢瀬を重ねた

言われるはずのない同性愛の人生の中で、ノンケの彼はゲイのぼくに「愛してる」と告げた

ノンケの親友とゲイのぼくは、同じ果実を男同士で触り合って同じ快楽と幸福を感じた

大学時代ノンケへの片思いを通して、ゲイのぼくは叶うはずがない運命の恋でさえ叶う瞬間があることを知った

ノンケの彼はぼくを好きだと抱きしめながらも、女の肉体を探し求め続けた

ノンケの彼には、ぼくとの同性愛的体験を受け入れる覚悟と誠実さがなかった

ノンケの彼との恋愛がつらく苦しすぎて、ぼくは通常の学生生活が営めなくなっていった

大学の留年を機に、ゲイのぼくとノンケの彼は少しずつ離れていった

ノンケの親友に失恋!ノンケの彼はゲイのぼくを裏切って彼女を作った

ノンケの彼と別れて、彼の部屋の明かりを見るだけでぼくの心は泣いていた

別れたくても別れられない…大好きなノンケの彼に呼ばれると、ぼくはすぐに彼の元へ舞い戻った

裏切られ続けたぼくは狂人となって、彼女と過ごすノンケの彼の部屋を訪ねることさえ恐れなかった

同性愛者として生まれた水色の少年は、この人生で幸せにはなれないのだと悲しい覚悟をした

ぼくを裏切って終わりなき悲しみを注ぎ込んだのに、ノンケの彼は自分の方が孤独だと言ってうなだれた

ノンケの彼の鞄からコンドームが出て来たけれど、ぼくは悲しみも絶望も何も感じなくなった

「自分だけ幸せになりたかった」とノンケの彼は告白し、それ以来ぼくは彼の部屋を訪れることはなかった

 

 

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