同性愛者(ゲイ)から異性愛者(ノンケ)への片思いの恋がつらい5つの理由と、それでも人を愛することが素晴らしい理由

 

返される愛はなくても。

同性愛者(ゲイ)から異性愛者(ノンケ)への片思いの恋がつらい5つの理由と、それでも人を愛することが素晴らしい理由

・同性愛者から異性愛者への片思いの恋がつらい理由

同性愛者が異性愛者を好きになってしまったら、男性が女性を好きになったり、女性が男性を好きになった場合とはまた異なる、ある独特のつらさや孤独感を抱えることが多い。もちろん人を好きになる気持ちの尊さに変わりはないし、男が女を、女が男を好きになった場合だって絶対に思いが叶うわけではないし、それぞれに大変なこともあるかもしれないが、ここでは同性愛者であるぼくの経験を通して、同性愛者が異性愛者を好きになったときにつらかった心の感情をまとめようと思う。

 

 

1、好きになってもらえる望みはない

人が人を好きになってしまった場合、自分が相手を好きなように、相手も自分を好きになってくれることを自然と願ってしまう。男が女を好きになったり、女が男を好きになった場合には、肉体や精神が性的に求め合う構造になっている以上、叶う可能性も十分にあり、前向きな気持ちになれる場合も多いだろう。

しかし同性愛者が異性愛者を好きになってしまった場合、好きな気持ちが返される可能性はほぼない。自分は男で、好きになってしまった相手も男で、相手は女の子のことが好きだと普段の会話や部屋に置いてあるエッチなDVDなどから確定している場合、論理的に考えればその人を好きでい続けるのは時間の無駄だから諦めればいいのに、それでも好きなままでいることをやめられないのが恋心の不思議なところだ。

恋は合理的ではなく、論理を超越した野性の感情だ。自分では避けられない、荒れ狂う嵐という名の天災のようでもある。とにかく通り過ぎるのをじっと待つしかないし、若く情熱的な野性の炎を抑えきれない場合は、もしかしたらもしかしたらと心の中で夢見ながら、相手を思い続けるのみとなる。夢物語だとわかりながら目を覚ますことができないから、それはまさに「夢中」の状態なのだ。

 

2、好きだという思いを伝えられない

日常生活で男が男を好きになる場合、それは純粋な友情から始まる場合が多い。ただ単に人としての友情を深め距離を縮めていく過程の中で、自分の中の見えないどこかの感情が、相手の深い部分と共鳴していくのを感じる。それを好きだという感情だと気づくのに時間はかからない。

しかし自分が相手のことを好きだとわかったところで、その情熱のままに思いを伝えることはできない。思いを伝えたところで同性の相手もこちらを好きになってくれる可能性はほぼ皆無だし、もしそうなったらせっかく深めた心地よい友情も失ってしまうことになるからだ。友情が深ければ深いほど、友達として仲がよければいいほど、自分の思いを告げることは躊躇われる。純粋な友情として一緒にいてくれる相手を、自分の恋心が踏みにじってしまっているのではないかという罪悪感に苛まれてしまう。

 

3、抑えきれない性的な野生のエナジー

好きになってしまったら相手のもっと近くにいたい、手を繋ぎたい、抱きしめたい、キスしたい、エッチなこともしたいと、言葉で思うわけではなく性的な野性の衝動に心を支配されることもしばしばだ。若ければ若いほどその衝動は強く、それが絶対に叶わないとわかっているからこそ満たされない膨大な野生のエナジーは深遠な絶望や孤独や悲しみへと傾き、やがてもう生きていたくないとひどく心を閉ざしてしまう場合もある。

膨大な野性のエナジーはどのような方向へも変換可能なので、勉強や労働などよりよい使い道へと向かっていけばいいが、絶対に叶わないとわかっている恋に心を支配されている分、そのディレクションは悲しみや絶望的な心情へと向かいがちになってしまう。

 

4、相談できる人がいない

どんなに悲しみや絶望に支配された心を抱えて生きていても、男が男を好きになってしまったなんて誰にも言えないから、余計に孤独感は増し、心の傷は深まる。同性愛という自分で決めたわけでもない、帰ることのできないどうしようもない運命を抱えながら、みんなの前では何の悩みもないという風に笑いながら、ひとりのときには引き裂かれそうな心のあまりに泣いて過ごしたりする。

そんなギャップのある偽りの日々を続けていくと、自分は何のために生まれてきたのだろうと精神が不安定になる。誰にも本当の自分を見せられずに、心から押し寄せる激しい感情の波を表現すらできずに、叶わない恋にエナジーを費やす日々に、どんな意味があるのだろうと虚無感に襲われる。だけどそんな自分のことさえ、誰も知らない。

 

 

5、抑えきれずに思いを告げたら全てが壊れていく

もしも好きな気持ちが強すぎてもはや自分ひとりでは抱えきれなくなって、好きな気持ちを伝えてしまえば、ほとんどの場合元の関係には戻れない。拒絶されたり、受け入れてくれたり、会えなくなったり、友達のままでいてくれたり、反応は様々だと考えられるが、思いを告げる前と思いを告げた後が同じ状況であることはあり得ない。

どうせ叶わないのに告白なんかしない方がいいのにと冷静な外部の人々は見なすかもしれないが、自分でも抱えきれないほどの孤独や絶望、変えられない運命、好きな気持ちを抱え込みすぎて精神的に不安定になっている人が、自分はどうすべきかを判断することは難しいし、結局正解なんてどこにもない。どうすれば自分にとっていちばんいい方向に進むのか、それは当の本人が最も知りたいことだが、本人にももちろん他人にもそれはわからない。それならば思い切って告白してみて何が起こるのか、どう事が進むのか、自分は不幸になるのか幸福になるのか見極めてみるのも、ひとつの積極的な経験かもしれない。

深い友情を伴った関係が友達ですらなくなってしまうかもしれないし、告白する前と告白した後の状況のギャップに心が追いつけずに、余計に心が孤独感を感じてしまうという場合も大いにあり得るだろう。それでも自分が自分に下した判断を後悔せずに、少し立ち止まった後は、前に進んでいく他はない。

 

 

・それでも人を愛することが素晴らしいたったひとつの理由

ぼくが過去の自分に言いたいことは、好きになってもらえないことは悲しいことだが、それ以上に好きになったことに大きな価値があるということだ。たとえ返されない愛はなくても、深く愛したことだけで、ぼくたちにはこの世に生まれてきた意味がある。どうしようもない運命を背負いながら、否定の雨に打たれながらでも、純粋にただ一途に、人を愛したことには何ものにも代えがたい救いがある。それは絶望的な片思いをしているときにはわかりにくいが、徐々に時が経つにつれて、次第に滲み出てくるように、未来のぼくたちに恵みを与える。

ぼくが彼を愛したのと同じ分の愛を、彼から返して欲しいと願ったのは事実だろう。だからこそひとりきりで泣き、孤独に溺れ、絶望をさまよい歩いていた。けれど心の片隅にはそれとはまた別の、核のような愛の部分が存在していた。それは返されなくてもいいのだ、ただ愛しただけで尊いのだと自分自身に教えてくれる真理の欠片である。

こんなにも好きな思いを与えているのに、そのお返しに好きな思いを返されないのでは大損だと、ぼくたちは時々愛の分量を計算しながら子供のように泣いてしまう。相手はぼくからたくさんの愛をもらっているのに、その見返りにぼくは何ひとつもらえないのはどうしてなのと、愛を与えたことで喪失でもしたかのような不条理に心を惑わせてしまう。けれど本当は知っている。愛は損得勘定で測れないのだと。ぼくたちは既に見抜いている。愛を与えたというそれだけで、生まれてきた甲斐があったと。

人を愛するたびに、自分を恨んだ。人を愛するたびに、他人を妬んだ。人を愛するたびに、世を憎んだ。人を愛するたびに、天へ嘆いた。愛によりあらゆる心は砕かれ、愛により立ち上がれなくなったとしても、本当は返されたくなかったんだと知ったとき、本当は与えたかっただけだったことを知るとき、この世に生まれてきた願いと意味が、蓮の花のように泥中から目を醒ます。

 

・ぼくの高校時代の初恋について

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・大学時代のぼくの2番目の恋について

大学時代、ぼくは片思いしているノンケの友達に膝枕されるのが好きだった

大学時代、片思いしているノンケの親友の幸せはぼくの地獄となることを知った

両思いに!大好きなノンケの親友に告白したら毎日「好きだよ」と抱きしめてくれるようになった

大学時代、ノンケの彼とゲイのぼくは会うたびにキスするようになった

ノンケの親友と愛し合いながら、彼は同性愛と異性愛の狭間で不安定にもがき苦しんでいた

ノンケの彼とゲイのぼくは、どんなに好きだと抱きしめ合っても恋人同士にはなれなかった

ゲイのぼくとノンケの彼は、お互いの部屋の合鍵を交換して恋人のように逢瀬を重ねた

言われるはずのない同性愛の人生の中で、ノンケの彼はゲイのぼくに「愛してる」と告げた

ノンケの親友とゲイのぼくは、同じ果実を男同士で触り合って同じ快楽と幸福を感じた

大学時代ノンケへの片思いを通して、ゲイのぼくは叶うはずがない運命の恋でさえ叶う瞬間があることを知った

ノンケの彼はぼくを好きだと抱きしめながらも、女の肉体を探し求め続けた

ノンケの彼には、ぼくとの同性愛的体験を受け入れる覚悟と誠実さがなかった

ノンケの彼との恋愛がつらく苦しすぎて、ぼくは通常の学生生活が営めなくなっていった

大学の留年を機に、ゲイのぼくとノンケの彼は少しずつ離れていった

ノンケの親友に失恋!ノンケの彼はゲイのぼくを裏切って彼女を作った

ノンケの彼と別れて、彼の部屋の明かりを見るだけでぼくの心は泣いていた

別れたくても別れられない…大好きなノンケの彼に呼ばれると、ぼくはすぐに彼の元へ舞い戻った

裏切られ続けたぼくは狂人となって、彼女と過ごすノンケの彼の部屋を訪ねることさえ恐れなかった

同性愛者として生まれた水色の少年は、この人生で幸せにはなれないのだと悲しい覚悟をした

ぼくを裏切って終わりなき悲しみを注ぎ込んだのに、ノンケの彼は自分の方が孤独だと言ってうなだれた

ノンケの彼の鞄からコンドームが出て来たけれど、ぼくは悲しみも絶望も何も感じなくなった

「自分だけ幸せになりたかった」とノンケの彼は告白し、それ以来ぼくは彼の部屋を訪れることはなかった

ノンケの彼がゲイのぼくと恋愛しても何ひとつメリットなんてないから、彼の「好き」という言葉を尊いと感じた

 

・同性愛について

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