下ネタの正体と本質とは?下ネタを言えなかった同性愛者のぼくが、初めて性を打ち明けたのはノンケの親友だった

 

下ネタの正体と本質とは?下ネタを言えなかった同性愛者のぼくが、初めて性を打ち明けたのはノンケの親友だった

・下ネタの正体とは何か?

下ネタというのは不思議な会話手法だ。下ネタというのは主に生殖器にまつわる話題を交わし合うことを意味している。すなわち男子で言えば、射精や排尿や排便に関する内容だろうか。これらの下ネタは人々の間で大人気であり、飲み会では必ず爆笑をかっさらうし、人々を知らず知らずのうちに自然と仲良くさせる心の潤滑油のような働きさえ担っている。下ネタを交わすとは極めて下品な行為に見えて、実は人間同士のコミュニケーションに非常に大きな役割を果たしている人間にとって必要不可欠なツールではないだろうか。

しかしよくよく考えてみればどうして下ネタの内容が人間にとってそれほどまでに面白おかしいのだろうか。性的機能を成熟させた男性生殖器を持つ男子として射精をするのは当然の生理機能だし、排尿や排便に関してはそれ以前に人間が生存するのに必要不可欠な行為だ。それほどまでにごく当たり前の行為を語り合うことに、一体どんな意味があるというのだろうか。下ネタとは当たり前のことを、当たり前のように言ってのけているだけのように見える。例えば目の前に人間が立っていたとして「私は人間です」と当然のことを言い放たれるような感じだろうか。「私は射精します」と言われても、男子なのだからそりゃあそうだろうという印象だ。

下ネタが根本的に面白いのはひとえに、人間は日常生活の中で誰もが自分の動物的な部分や野性的な部分を必死に隠しながら生きなければならないという前提があるからではないだろうか。例えば社会生活を営むにおいて自分に生殖器が付いているなんて恥ずかしいから秘密にしておきたいし、射精をして快楽を得ているなんてもっと知られたくない。できれば排尿や排便をすることすら隠しておきたいものだろう。自分は野蛮な動物ではなく高度に進化し洗練された人間として、野性とは切り離された高次元において清らかに生きているのだと他人から見られたいという願望が、人間には備わっているのかもしれない。そのためには自分にはまるで生殖器なんて存在しないかのように振舞うことが重要だ。生殖器が付いているということは、社会の中に生きる全ての人間にとって最も恥ずかしい重大な秘密となる。

しかしその最も重大な秘密は、実は初めから既に暴かれている秘密だ。ぼくたちはあらゆる人間に生殖器が付いていることを、最初からことごとく見抜いている。目の前に男子が立っていたとして、どんなに自分には生殖器が付いていないというような都会的で澄ました顔をしていても、その男子の真ん中には立派な男性生殖器が垂れ下がっていることはあまりにも明白だ。そして男子である限り誰もが性的なものを見て興奮し、男性生殖器を堂々と勃起させ、我慢できずに日々射精を繰り返していることは火を見るよりも明らかである。

ぼくたちは社会の中で、最初から暴かれるとわかっている嘘を付いている。それはすなわち自分には生殖器なんて付いていないという嘘だ。そしてそれは当然のようにすぐ簡単に暴かれる。ある時はトイレの中で、ある時は更衣室の中で、ある時は銭湯の中で、自分が生殖器を付けたただの動物だということは容易く見抜かれる。けれどそれでいい。ぼくたちは最初からバレるとわかっていて嘘をつき、暴かれるとわかっていて秘密にしている。人間にとって生殖器とは、そのようにあまりにも不可思議で矛盾に満ちた事情を持つ特殊な器官なのだ。

暴かれることを最初からわかっていて、みんなそれを必死に隠し通す。そんな薄氷の上を歩くような曖昧な世界の中で、誰かが突然下ネタを口にする。自分には生殖器があり、排尿もすれば射精もするのだということを暴露する。それは生殖器の存在を秘密にしておかなければならない偽りの世界の崩壊に他ならない。なんだみんな生殖器なんかないというような正しい顔をして生きていたのに、やっぱり自分と同じように誰もが野蛮な生殖器を付けていて、排尿もすれば射精もするのかと、自分はこの世界でたった1人で孤独ではなかったのだと一気に安心する。そして誰もが自分の生殖器の話を隠すことなく披露するための下ネタの空間が形成される。

全ての人間には生殖器があり、全ての人間は好色であり、全ての人間は勃起と射精を繰り返すだけの単なる動物なのだと認められる野性的な次元。下ネタとは人々がその次元へと到達するための鍵であり、その次元に到達することで初めて人間は本来の意味での安堵感と解放感に包まれる。人間にとって下ネタが面白いのは、普段の偽りに満ちた世界(=生殖器が秘密にされる世界)からようやく解放され、生殖器や射精の存在が許される根源的で本質的な本来いるべき世界へと立ち戻って来られたという、純粋無垢な安らぎと幸福感に起因しているのではないだろうか。

 

 

・同性愛者のぼくは下ネタを通したコミュニケーションが取れなかった

ぼくがなぜこんなにも下ネタという一見軽薄な話題について真剣に考察してしまったかというと、同性愛者のぼくはずっと友達と下ネタの会話をするのが難しかったからだ。考察した通り下ネタとは人間にとって、特に男子にとってはなくてはならないコミュニケーションツールだ。性格が異なりあまり仲良くなれそうにもない種類の友達であっても下ネタを利用すれば、男性生殖器を持ち、性的なものを見ては勃起し、射精に至るという全ての男子に共通の恥ずかしい秘密を共有することで、根本的な意味で仲良くなれる可能性は高まるだろう。というか男子というものはほとんどそういう下ネタの手段で、深い友情を築くものなのではないだろうか。

同性愛者のぼくにとって根源的な下ネタの手段を奪い取られたことは、すなわち誰もが性的に旺盛な若い時代において深い人間関係の構築を妨げられたことを意味していた。別に同性愛者であっても肉体は男性なのだから、同じ肉体機能を持つ者として周囲の男子の友達と自由に下ネタの話題を交わし合えばいいじゃないかと思われるかもしれないが、軽く話した生殖器や射精の話題を深く追究されてしまうと、やがては自分が男を好きだという性的指向にまで話が及んでしまうのではないかという恐怖心があったので、なるべく下ネタには積極的に触れないままで生きざるを得なかった。ぼくは自分が男を好きな男であるということを誰にも知られてはいけないと思い込んでいるので、その可能性がある危険な話題はなるべく避けようとする保守的な部分が発揮された。下ネタに興味がないわけではなかったが、下ネタを話す楽しさと下ネタに参加することによって自分の性的指向が明らかになってしまうという恐怖を比べたら、後者の方がいつも勝ってしまうのだった。

 

・ぼくが初めて下ネタを言えた相手は大学時代のノンケの親友だった

ぼくが初めて下ネタらしい下ネタを交わせたのは、大学生時代にノンケの親友と恋人同士のような関係になってからだった。普通の男子だったら大学生になってから初めて友達と下ネタを交わしたなんて驚くほど遅い初体験だろうが、同性愛者のぼくにとって人生はそれくらいのスピードでしか進まなかったのだった。

ぼくと彼は大学1年生の頃から仲のいい親友だったが、次第に近づき合い、大好きだと言って抱きしめ合うようになったり、キスをしたり、やがてはお互いの生殖器を触り合う関係にまでなった。彼の手の中でぼくの生殖器が次第に大きくなっていくのを感じて彼は喜んでいたし、ぼくもこの人生で大好きな人にそんなことをしてもらえると思わなかったので夢を見ているみたいに嬉しかった。

彼はよくぼくの大きくなった生殖器を握りながら「これは何?」と聞いてきた。友達と下ネタを話したこともないぼくが恥ずかしがって言えずにいると、「言わなかったから触るのやめるよ?」と意地悪するのでぼくは思い切って言うしかなかった。恥ずかしがってその名前を言うぼくを見て、彼はとても嬉しそうだった。ぼくは初めて大人になって、彼の前で男性生殖器の名前を呼んだ。

2人でベッドで寝ていたある夜には、彼がパジャマの上からぼくの生殖器をいつまでも触ってきてやめてくれないので、もう寝ようとお願いすると、こんなに硬くなって眠れないだろうからトイレで自分で抜いてきたらやめてあげるよと言われてしまった。次の日テストだったので早く寝たかったし大好きな彼に触られて我慢の限界だったぼくは、素直に彼の言う通りにすると、彼は笑いながら「エッチな声出てたよ?」とか「シコる音聞こえてたよ?」と言ってからかってきた。ぼくが恥ずかしくなって仕返しに彼のを握ると、彼の生殖器も興奮して勃起していた。

 

・毎日やるという告白

このような関係性にあったからぼくとノンケの親友の彼は、もはや下ネタを言うとか言わないとかそういう次元じゃなかった。ぼくたちはお互いに男性生殖器を持っていること、それが大きく硬く膨張すること、興奮が高まると何度も熱く震えたり濡れたりすること、そして最後には我慢できずに射精することを、下ネタを言い合ったり見たりするわけではなく、実際に触れ合うことによって実感していた。下ネタとは普段生殖器なんてありませんという顔をして生きている人が、実は生殖器を付けていますと告白することで秘密を分かち合い、野蛮で性的な動物としてお互いを認め合う行為だ。けれどぼくたちは下ネタを語り合う前に、お互いの生殖器を愛しく触り合っていた。

ある日いつものようにぼくの生殖器を触りながら彼が言った。「水色は週に何回シコってるの?」男の友達同士なら当たり前のように交わされるのかもしれないこんな他愛もない下ネタの話題も、ぼくは極力避けて生きてきた。でも彼は他の友達とは全然違う。ぼくに生殖器があるということも、それが熱く硬く勃起することも、やがては射精に導かれることも、言葉ではなく彼の手そのものが知っていた。それでもぼくは恥ずかしくてとても言えなかった。話をはぐらかそうとしてぼくは「Sはどうなの?」と彼に尋ねた。童貞の彼は誇らしそうに「男なら毎日やるに決まってんだろ!」と答えた。こういうことをさらりと言ってしまうところが、無邪気でとても男らしいと思った。「ぼくも毎日だよ。誰にも言わないでね」と言ってぼくが恥ずかしそうに彼を抱きしめると、彼は「え!お前も毎日なの?!」といやらしそうな嬉しそうな顔をしていた。ぼくが毎日していることを教えたのは、後にも先にも彼だけだった。それほどまでに彼はぼくにとって特別な存在だったのかもしれない。

毎日

 

・同性愛者のぼくにとって下ネタを交わすことは呪いからの解放だった

下ネタを言えばバレてしまうかもしれない、ぼくが男を好きな男であることを。臆病だったぼくは、だから誰とも下ネタを交わさずに大人しく生きてきた。それは男として生まれたぼくにとって大きな損失だったように思う。みんなと同じように女の肉体が好きだったなら、どんなに汚れた醜くて変態的な欲望も、みんなと同じだと笑って許されていたのだろう。

けれど彼の場合は違った。ぼくは彼に男が好きだということをバレないようにする必要がなかった。なぜならぼくは彼に大好きだと告げていたし、彼もぼくを大好きだと抱きしめてくれた。ぼくが男を好きであることが明らかになってしまえば、全ての人間はぼくを軽蔑しぼくを嘲笑いぼくから離れてしまうのだろうと疑いもなく信じ込んでいた。それは世界がぼくにかけた永遠に消えることのないおぞましい呪いだった。けれどぼくが男を好きになる男だとバレてしまっても、逃げずにそばにいて、愛しく抱きしめてくれる人もいるということを、ぼくは彼に出会って初めて知った。彼は暗黒の呪いに閉ざされたぼくの人生に思いがけず現れたたった一筋の光のような救いだった。

ぼくにはもう恐れるものなど何もなかった。けれど長年の間に育て上げてしまった下ネタを言ってはならないという恐怖と固定観念がぼくの心に根深く残り、ぼくは彼にさえ下ネタを言うのに覚悟が必要だった。男を好きだと悟られてはいけないというぼくの中の底知れぬ暗黒の恐れが、彼には適応されないのだとぼく自身に理解させるのに時間がかかった。

勇気を出して、ぼくは彼のために生殖器の名前を呼んだ。勇気を出して、週に何回するかを彼に打ち明けた。男同士ならそんな会話を交わすことは当たり前のことだったのかもしれない。けれど同性愛者のぼくにとっては、ずっと縛られていた呪いから解き放たれたような気分だった。ぼくが普通の人間として生まれていたならば、当たり前のようにできるはずだった男同士の会話を、今彼と初めてできているんだと不思議な達成感に包まれていた。全ての男子にとってはごく当たり前のことが、ぼくにとっては全く当り前じゃなかった。当たり前のように普通に生きることが、ぼくにはこれ以上になく難しかった。

彼にしか言わなかったことがぼくにはたくさんある。彼しか知らないぼくの秘密がたくさんある。ぼくが生殖器を持つということ、ぼくが勃起するということ、ぼくが射精するということ、そんな男子として当たり前のことよりも大切な秘密を彼は知っている。それはぼくが男を好きになる男だということだ。それでも彼はずっとぼくのそばにいてくれた。ぼくの秘密を誰にも言わずにいつまでもぼくを抱きしめてくれた。そして彼もぼくに好きだと言ってくれた。ぼくしか知らない彼の秘密を、ぼくはたくさん知っている。彼も男を好きになるということ。ぼくにキスして、抱きしめて、同じ生殖器を触り合っては同じ快楽を感じたこと。彼もぼくの男性生殖器を触っては、熱く硬く勃起していたこと。ぼくという男の肉体とその反応に性的興奮を覚えていたこと。ぼくの生殖器を触るのと同じような方法で、彼も彼自身の生殖器を毎日触っているということ。

ノンケの彼は女の肉体を激しく求めてやがてはぼくの元を去り、もう二度と男を好きになることもないだろう。ぼくたちには世界中の誰も知らない2人だけの秘密がある。どんなに時が経っても、彼が本能に従いどんなに多くの女の肉体にその青い液体を注ぎ込んでも、ぼくたちの秘密は永遠に変わらない。

 

 

・全ての男子たちの秘密

男子なら誰でも男性生殖器を持っている。男子なら誰でも性的なものを見て熱く硬く勃起する。男子なら誰でも我慢できずに日々射精を繰り返す。全ての男子にとっては知られたくない、恥ずかしい秘密。けれどその秘密は男子であるという時点で、もはや既に暴かれている。男性生殖器に激しく翻弄され、大いに支配される男子の肉体、男子の思考、そして男子の一生。その情けなくも純粋な性の根底を共有することで、男子たちはお互いを信頼し、認め合う。しかし男性生殖器に支配されるというその根底は同じでも、その性的エネルギーの矛先がどこへ向かうかは定かではない。もしもその軌道が女の肉体へと進むことがなかったとき、ぼくたちは同じ男性生殖器という根源を持ちながら、同じ言葉を持たずに立ち尽くしてしまうかもしれない。ぼくが話すのはほとんどの人には通じない、異国の言葉だった。

 

 

・大学時代のぼくの2番目の恋について

大学時代、ぼくは片思いしているノンケの友達に膝枕されるのが好きだった

大学時代、片思いしているノンケの親友の幸せはぼくの地獄となることを知った

両思いに!大好きなノンケの親友に告白したら毎日「好きだよ」と抱きしめてくれるようになった

大学時代、ノンケの彼とゲイのぼくは会うたびにキスするようになった

ノンケの親友と愛し合いながら、彼は同性愛と異性愛の狭間で不安定にもがき苦しんでいた

ノンケの彼とゲイのぼくは、どんなに好きだと抱きしめ合っても恋人同士にはなれなかった

ゲイのぼくとノンケの彼は、お互いの部屋の合鍵を交換して恋人のように逢瀬を重ねた

言われるはずのない同性愛の人生の中で、ノンケの彼はゲイのぼくに「愛してる」と告げた

ノンケの親友とゲイのぼくは、同じ果実を男同士で触り合って同じ快楽と幸福を感じた

大学時代ノンケへの片思いを通して、ゲイのぼくは叶うはずがない運命の恋でさえ叶う瞬間があることを知った

ノンケの彼はぼくを好きだと抱きしめながらも、女の肉体を探し求め続けた

ノンケの彼には、ぼくとの同性愛的体験を受け入れる覚悟と誠実さがなかった

ノンケの彼との恋愛がつらく苦しすぎて、ぼくは通常の学生生活が営めなくなっていった

大学の留年を機に、ゲイのぼくとノンケの彼は少しずつ離れていった

ノンケの親友に失恋!ノンケの彼はゲイのぼくを裏切って彼女を作った

ノンケの彼と別れて、彼の部屋の明かりを見るだけでぼくの心は泣いていた

別れたくても別れられない…大好きなノンケの彼に呼ばれると、ぼくはすぐに彼の元へ舞い戻った

裏切られ続けたぼくは狂人となって、彼女と過ごすノンケの彼の部屋を訪ねることさえ恐れなかった

同性愛者として生まれた水色の少年は、この人生で幸せにはなれないのだと悲しい覚悟をした

ぼくを裏切って終わりなき悲しみを注ぎ込んだのに、ノンケの彼は自分の方が孤独だと言ってうなだれた

ノンケの彼の鞄からコンドームが出て来たけれど、ぼくは悲しみも絶望も何も感じなくなった

「自分だけ幸せになりたかった」とノンケの彼は告白し、それ以来ぼくは彼の部屋を訪れることはなかった

ノンケの彼がゲイのぼくと恋愛しても何ひとつメリットなんてないから、彼の「好き」という言葉を尊いと感じた

Facebookのレインボーアイコンの意味とは?ノンケの彼と別れた後、彼のプロフィール画像はずっと虹色だった

シベリア鉄道の旅でぼくを寒さから守ってくれたのは、大好きなノンケの親友がくれた手袋だった

 

 

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