ロールモデル不在のゲイの人生は、何があるかわからない見知らぬ異国を旅するような魅力に満ちている

 

ぼくたちの人生にはお手本もなければ雛形もない。

ロールモデル不在のゲイの人生は、何があるかわからない見知らぬ異国を旅するような魅力に満ちている

・ぼくがゲイだと気づいたのは、高校2年生の初恋がきっかけだった

ぼくが自分は同性愛者(ゲイ)だと確信したのは、高校2年生の時に同じクラスの同級生の男の子を好きになったことがきっかけだった。それはぼくにとっての初恋だった。背の高い彼が背の小さなぼくの膝に乗せて抱きしめてくれたり、可愛いと言いながら優しく髪を撫でてくれたり、学校の帰り道のバスの中で2人きりになった時には一番後ろの広い席で膝枕してもらったりしているうちに、ぼくは自然と彼のことが好きになっていった。

自分も男の子なのに男の子である彼のことを好きになってしまったという、自分が同性愛者であることに対する衝撃や戸惑いや苦悩は、最初のうちは全く起こらなかった。それよりも大好きな人に巡り会えたこと、自分が人を好きになれたこと、大好きな彼とこれからもずっと一緒にいたいという思いを尊いと感じ、好きになったのが同性であろうと異性であろうとその気持ちを大切にしたいと感じた。

ぼくが同性愛者(ゲイ)だと気付いたきっかけは高校2年生の初恋だった

 

・ゲイで男子高校生のぼくは、この先どのように生きていけばいいのかわからなくなった

けれどほとんどの男の子が激しく女の肉体を求め始めるという例に漏れず、ぼくが好きになった彼も異性愛者(ノンケ)としてまだ見知らぬ女の肉体を夢想しては絶えず欲情しているようだった。ゲイのぼくはたとえ人を好きになったとしても、好きになる人が男である限り男の肉体を持ったぼくのことを好きになってもらえる可能性は0に等しいのだということを悟り、次第に絶望感に押し潰されそうになっていった。人を好きになることや人を愛することは素晴らしいことだと、テレビドラマも歌もやたらと恋愛を賞賛していたのに、同性愛者であるぼくにとって人を好きになるということは、幸せになるというよりもむしろ絶対に思いが報われることなく嘆き悲しむことと同じなのだと知って、自分が何のために生きていくのかわからなくなった。好きな人と一緒になることはできない人生の中でどのように生きていけばいいのか、その方法すら導き出すことができなかった。

人間というものは大抵このように生きていくのだと、お手本となるような人生設計や雛形となるロールモデルが世の中には存在する。それはほとんどの場合好きな人に出会い、付き合い、結婚し、子供を作り、労働してお金を稼ぎつつ子供を育て養い、やがて労働を終えて老後となり、静かな余生としての老後を過ごし、最期には子孫たちに見守られながら死んでいくという流れを辿っていく。ぼくたちは人生というものはこういうものだと、明確に誰かから教えられることもなく世の中の膨大な情報を受け取る間に自然と認識してしまうのだ。そして自分では気づかなくともこのような雛形の通りに生きていくべきだと無意識のうちに信じ込み、このような人生設計を目指して着実に歩みを進めていく人は非常に多いことだろう。

もちろんこの典型的な人生設計の雛形通りに生きていくことは、悪いことでも何でもない。むしろこのような明確で便利なお手本があるならそれを活用し、自らの人生を他と同じ典型的なものに仕上げていくことは楽だし安心だし共有感も生まれるだろう。向き不向きはあるだろうが異性愛者ならこの人生設計の雛形を利用して生きることに違和感を感じる人は少ないだろうし、気楽にこの典型例に則れるだろう。しかし一方で同性愛者の場合は、この典型的なレールに沿って生きることが極めて困難になってくる。

まず好きな人ができてそこから付き合うという、一般的に見れば当たり前に起こるような現象が同性愛者にとっては限りなく不可能に近いと高校生だったゲイのぼくは痛感した。日常生活の中で自然と自分と同じ男の子を好きになっても、相手は女の肉体を求めるノンケである可能性が極めて高いから、その恋が実る可能性は非常に低くなってくるだろう。付き合うことがなければ、ずっと一緒にいられる人を見出すこともできない。高校生のぼくにとって自分の将来は孤独に満たされているような気がして、根拠のない漠然とした不安を抱くようになっていった。浜崎あゆみの「A Song for XX」の悲痛な叫びのような歌声が、戸惑うぼくの胸を貫いていった。

 

 

・浜崎あゆみ「A Song for XX」

ひとりきりで生まれて
ひとりきりで生きていく
きっとそんな毎日が
当たり前と思ってた

浜崎あゆみのくれた孤独とA Song for XXに秘められた母親への思い

 

・ロールモデルが不在のゲイは、自らの将来を思い描くことができずに苦しむことになる

思春期の同性愛者が孤独感や生きづらさを感じる大きな理由のひとつは、ロールモデルの不在にあると言われる。つまり自分がどのように生きていけばいいのか、自分は将来どのようになっていくのか、その典型的な見本となるような人材(ロールモデル)が世の中に見当たらないということだ。異性愛者なら人生のロールモデルはそこらじゅうにいる。彼らにとって最も身近なロールモデルは両親だろう。両親のように男と女が巡り会い、結婚し、子供を作ったからこそ自分の生命はこの世に誕生したのだという物語を聞かされると、自分という人間もそのように生きていけば間違いはないだろうと自信に満ちた確信を得られる。また両親でなくとも男女がつがいとなり、子供を作り、子供を育て、老後を迎えているというような例は世の中を見渡しても枚挙にいとまがない。ありふれた典型例の中で安心して何の疑いもなく自分もその典型例に属していけるというのが、異性愛者の生きやすさの源だろう。

一方で同性愛者のロールモデルはどうだろう。もちろん現実世界の周囲にはそのような種類の人は見当たらないし、そもそもいたとしてもそうだと見抜くのに時間も手間もかかるだろう。テレビやYouTubeの中にはたくさんの同性愛者のタレントで賑わっているが、どれも奇妙な者ばかりで実生活に参考になりそうにはない。異性愛者の人生は言うなればレールが敷かれている世界だ。もちろんそのレールに乗らないいくつかの人間たちもいるだろうが、ほとんどの人々は思考しなくても決められたそのレールに則って人生を全うすることができる。一方でロールモデル不在の同性愛者の人生は、自分もレールに乗れるだろうと期待させられていたのにいきなりレールから放り出され、地図も道標もない荒野の中から自らの独自の人生を切り開いて進んでいかなければならない。

 

・中島みゆき「線路の外の風景」

何事もなく1日が過ぎ去っていたあの頃は
苛立っていた 決められて歩くのが悔しかったんだ
何も変わらずにレールを 何も違わずにレールを
ただ素直に進んでいく娘たちがぬるく見えた

あれから紆余曲折を経て 心は今どこにあるの

見渡す限り草原の中 ここは線路の外の風景
見渡す限り草原の中 ここは線路の外の風景

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・中島みゆき「人生の素人」

日々という流れにはひながたもなく
1人ずつ放された蛍のようだ

 

・有名な観光国よりも、何があるのかわからない国を冒険する方がぼくは好きだった

好きな人のことや自分が同性愛者だと誰にも言えない孤独感と、好きな人には絶対に好きなってもらえないという絶望感が、やがてぼくの魂を異国の旅へと導いていった。それは人を愛することによって滅ぼされた魂を救うための修行としての巡礼の旅でもあった。世界のさまざまな国を渡り歩いて感じたことがある。それは何があるのかわかってしまうような有名な観光国よりも、何があるのか全く想像もできない未知なる辺境の国の方が冒険心をそそられて楽しいということだ。

例えばぼくたちがフランスへ旅行に行ったなら、エッフェル塔を見に行かなきゃとか、ベルサイユ宮殿を訪れなければとか、モンサンミッシェルに行かずには帰ることはできないなど、さまざまな知っている事前情報や知識が多すぎて勝手に理想的な旅行のルートが頭の中で出来上がってしまう。そして写真や動画で何度も見たことがあるその風景を実際に確かめながら、典型的な旅のルートに満足しつつ帰るわけだ。有名な国の旅行というものは、多かれ少なかれそのような運命を背負っている。しかし逆に何があるのか全くよくわからない、場所もはっきりとはわからないしどんな人々が住んでいてどんな世界が繰り広げられているのか全く思いつかない、例えばイランなどを旅すればどうなるだろうか。

旅行によっぽど詳しくない限り、メジャーではないイランに何があるのか知っている人は少ないだろう。もちろんぼくもそのひとりだったが、何だかよくわからない国を冒険したくなって事前にほとんど何も調べないままでイランに旅立った。イランに旅立つのだとぼくが話すと、イランって危険な国じゃないのと心配してくる人も多かった。

しかし実際に訪れたイランはとても繊細で美しく、ぼくはすっかりイランの虜になってしまった。壮大で緻密なモザイク模様が魅力的なイスラム建築、色鮮やかなステンドグラスの光が見る者を圧倒させるピンクモスク、世界の半分がここにあると言われるほどに繁栄したイスファハンのイマーム広場、エスファハンのジョルファ地区に位置する古代キリスト教を彷彿とさせるアルメニア教会など、書ききれないほどの感動と魅力がイランにはあった。そして観光施設以上に心惹かれたのは、イランの人々の親しみやすさと優しさだった。東アジア人は珍しいからか、街中を歩いていても通り過ぎる人みんなから声をかけられまるで芸能人になったみたいだった。そしてイランを1週間旅して、危険だと感じたことは一度もなかった。

そしてイランのように何があるのか全くわからないような国を旅する方が、何があるのかすぐさま思いつく有名でメジャーな国を旅するよりも何百倍も何千倍も楽しいということがよくわかった。何があるのかよく知っている国は、何となくどのような場所かわかるという安心感があるものの、事前の知識が豊富なだけにこんなものがあったのかという意外性に満ちた驚きや感動が少ない。それに比べて何があるのかよくわからないような国はそもそも何も知らない分期待値も低く不安も大きいので、自分自身でいいものを発見していこうという開拓心を発揮することができる。思いもよらなかった素晴らしいものや美しいものを、誰かに事前に教えられるわけではなく自分自身で発見し、感動し、共有することこそ本来の旅の醍醐味であると思われる。そういう意味でぼくは有名な観光地のある国よりもむしろ、意味不明な何があるのかわからなさそうな国を冒険する方が旅の魅力を最大限に感じ取ることができるし好奇心や探究心も満たされる分大好きになってしまった。そしてこの”何があるのかよくわからない予測不能な意味不明な国”を旅することこそ、ロールモデルを持たない同性愛者の人生と重なる部分があるのではないかと感じられた。

 

・ロールモデル不在のゲイの人生は、何があるかわからない見知らぬ異国を旅するような魅力に満ちている

ロールモデルがないような、これから先何が起こるのか全く予想もつかないような人生を歩んでいく同性愛者の人生は、本当に不幸なのだろうか。確かに将来何が起こるのかどうなるのか全くわからない分、自分には何が必要なのか何を準備すればいいのか把握することができずに、漠然とした不安に心が満たされてしまうというデメリットはあるだろう。しかし何が起きるかある程度わかっている人生の方が、はっきり言ってものすごくつまらない野暮なものではないだろうか。結婚して、子供をもうけ、自分のためというよりもむしろ家族という人間集団のために労働し若く何でもできる日々を消耗していくという分かりきったありふれた人生よりも、独特で少数派だからこそ何が起こるか全く予想がつかない、どんな未来が描かれていくのか見当もつかないような、真っ白なキャンバスに自らの色彩で新しい特別な抽象画を燃え盛るように描き上げていく創造的な人生の方が、冒険感があって興奮するのではないだろうか。

何が起こるか全く予想がつかない日々を突き抜けるからこそ、今まで誰も気づくことがなかった人生の魅力を独自の視点から新しく発見することができるのだ。それはまるで何があるのか全くわからないイランという国に無鉄砲にも飛び込み、他の世界では見ることができない美しいモザイク模様の施されたラクダの骨の宝石箱を発見した時の感動に似ている。ありふれた人生をなぞっていくだけでは、人間はありふれた人生しか見出すことはできないだろう。もちろんそれは大切なことだし、ほとんどの人々がありふれた人生を送ってくれるからこそこの世界は秩序を保ちながら平穏に回り続けているのだろう。ありふれた人生の幸せや尊さを、ありふれた人間の範疇から運命的に外されてしまった同性愛者のぼくからしたら痛いほどよくわかっている。しかしどうせこの世の中にありふれた人生を送ることができないと決められた上で同性愛者として生まれついたのならば、胸のうちに燃え盛っている創造力や好奇心や探究心を最大限に発揮して、ありふれた人生では決して実現することができないレールの延長線上にはない全く新しい斬新で刺激的で目を離せない世界を展開していくべきではないだろうか。ロールモデルを持たないほくたちは、ロールモデルに支配される必要がないからこそ、既存の世界観を打ち砕き、自らの感性でそれを再構築する運命を背負っているのだ。

 

 

・同性愛者という運命と、旅する炎という宿命

どのように生きればいいのかわからずに戸惑いうなだれていた男子高校生のぼくが、時を経てその思想を翻し、どのように生きればいいか決まっていないからこそ美しい人生を描き出すことができるという考えへと行き着くというのは興味深い成り行きだ。それはぼくが男を好きになる男、同性愛者として生きるという運命を次第に受け入れ、背負った運命の軌道を自らの生きるための思想に順応させた結果であるともとらえることができる。どうせみんなと同じようには生きられないのだから、どうせ普通には生きられないのだから、みんなと同じような人生を歩みたいと願っても無駄なことだし意味がない。それならばいっそどうしようもなく変え難い運命を与えられた独自の存在として、みんなとは異なる特別な生き方を肯定することで自らの心を守っていく他はないという、生き残るための必死の開き直りだったのかもしれない。

しかしぼくが自らの根源から燃え盛る旅する炎に支配され、旅に出なければならないという”魂の使命”をひしひしと感じていたのは事実である。そして旅する炎は古く伝統的なものへの理解を深めるとともに、見知らぬ新しい感性たちを次々に取り入れ、既存の概念を焼き払いながらその焼け跡を土台としてまだ見たことのない独自の世界観を築き上げるという特性を持っていた。同性愛者として生きていくという運命と同時に、旅する炎に支配されるという宿命を背負っていたぼくは、もはや最初から軌道を外れた独自の人生を歩んていくことが決まっていたのかもしれない。もしかしたら旅する炎だけでは軌道を外れた人生を歩ませる力として少し弱いので、追加で同性愛という運命も天から追加されたのかもしれない。そしてぼくは地図もなく標識もない無人の荒野の中で、孤独に歩みを進めていくことが生まれた時から決まっていたのかもしれない。

 

 

・ぼくの高校時代の初恋について

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・同性愛について

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