同性愛者は人を愛することによって否定される運命を背負うべきだというのは本当か?

 

人を愛することによって、否定されていい人なんていない。

同性愛者は人を愛することによって否定される運命を背負うべきだというのは本当か?

・人を愛することは素晴らしいというのは本当か?

ぼくたちは幼い頃から道徳や流行歌によって、人を好きになることの尊さについて教え込まれる。人を好きになることは素晴らしいことだ、人を愛することはかけがえのないことだという一方的な教えを享受しながら、ぼくたちは幼き日々を過ごしていく。少なくとも教育上で、人を好きになってはならない、人を愛することは間違った行為だと教え込まれることは皆無に等しいだろう。ぼくたちはみんな、人を愛することは素晴らしいことだという巨大な号令に包まれながら、大人になっていくのだ。

そして思春期に入ると本格的に恋心を抱き、人を好きになり始める。

 

 

・同性愛者の思春期の深い孤独と絶望

男が女を好きになったり、女が男を好きになったり、そういうありふれたどこにでもいるような人間の場合だと、「人を好きになることは素晴らしい」「人を愛することはかけがえのないことだ」という号令が苦にならない場合も多いだろう。日常の生活の中で人を好きになることによって告白し、付き合い、結婚し、生殖し、子孫をもうけ、楽しい家族に囲まれて、あぁやっぱり人を愛することは素晴らしいことだったんだ、人を愛することでこんなにも幸せになれたじゃないかと実感される人生も多いのかもしれない。

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しかし思春期の恋心が、男が男を好きになったり、女が女を好きになったりする同性愛だった場合はこの限りではない。ぼくは高校2年生の時に初恋として同級生の男の子を好きになってからというもの「人を愛することは素晴らしい」どころか全くのその真逆で、人を愛することというのはこんなにも苦しみと孤独と絶望を伴うものなのだということを知って唖然とした。これまで聞いていた話と全然違うじゃないかという、すっかり騙された心境である。

どんなにLGBTの権利が世間で主張されていたとしても、世の中にはそれとは関係のない「同性愛は気持ち悪い」「同性愛は避けるべきものだ」「同性愛は見下されるべきものだ」という風潮は未だに根強く、その気配を感じとらずに生きて来た人はおそらくいないだろう。男が男を好きになった時点で、自分は同性愛者ということが確定し、さらに世間の風潮に無防備に晒されることによって、思春期の同性愛者は常に否定のシャワーを浴びせかけられているような感覚に陥る。どうして男なのに男を好きになってしまうのだろう、どうしてみんなと同じように女の子を好きになれないのだろうと思い悩み、しかしそれを誰にも相談できずに孤独の闇の中に沈み込んでしまうこともしばしばである。

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・「人を愛することは素晴らしい」なんて教えないでほしかった

ぼくは男を好きになって悩んでいた思春期に、「人を愛することは素晴らしい」なんて教えないでほしかったと心底思っていた。人を愛することはこんなにも心をズタズタに引き裂かれそうになるほどに苦しいじゃないかと、「人を愛することは素晴らしい」という常識に反抗せずにはいられなかった。もしも幼い頃から「人を愛することは素晴らしい」などと思い込まされていなかったとしたら、人を愛することはどのようなことか全然わからないから、ぼくのように人を愛することがたとえ絶望だったとしてもショックは少なかったのかもしれない。しかし「人を愛することは素晴らしい」と幼い頃から教え込まれていたからこそ、人を愛することが心が血を流し滅ぼされるほどの痛みだと知った時、そのあまりに激しいギャップに絶望するのだった。

ぼくだって「人を愛することは素晴らしい」と言えるような人生を送りたかった。けれどそれは叶わないことが、自分が男を好きになる男であると知った時に判明してしまった。ぼくは日常生活の中で自然に恋愛し、付き合い、結婚し、生殖し、子孫を残すという、どこにでもあるありふれた幸せと、「人を愛することは素晴らしい」という実感を、決して享受しないまま死んでいくのだろうと、高校生のぼくは孤独の中で悲しみに打ちひしがれていた。

「人を愛することは素晴らしい」という一見何の間違いもなさそうな美しい言葉は、その華やかな外見とは裏腹にぼくの心を傷つけ魂を蝕んでいった。どんなに正しそうに見えるものでも、必ず怪しまなけばならないとぼくは思った。いやむしろ、自分は正しいという顔をしながらふんぞり返って君臨しているような美しい言葉や常識ほど、人を傷つけ絶望に貶める凶器となるのだ。

 

・この世の全ての愛は否定されていいはずがない

同性愛者の中には思春期の時に、人を愛することでことごとく叶わない恋や自らの運命に絶望し、心を傷つけてしまった人も多いのではないだろうか。「同性愛は気持ち悪い」「同性愛は避けるべきものだ」「同性愛は見下されるべきものだ」という率直な世間の風潮を感じつつ、人を愛することで本来は幸せなはずの経験は否定のシャワーへと転換されてしまう。それが同性を好きになるぼくたちの運命なのだろうか。「人を愛することは素晴らしい」と本来ならば感じられる愛によって、その逆に否定を注がれ、絶望を享受し、愛を否定の根源としてしか感じられないままで一生を終えるのだろうか。素晴らしいはずの愛を捻じ曲げているものは一体何なのだろうか。捻じ曲げられた愛によって砕かれた魂を救い出すための鍵は、どこにあるのだろうか。

まず根本的なものの考え方として、人を愛することで人が否定されていいはずがない。本来ならば全ての人は、どんな人でも自由に好きになっていいはずだ。そしてその愛する心はどのような形であっても尊重され、慈しまれ、大切に育て育むべきである。間違った愛なんて、この世に存在しない。男が男を好きになってもいいし、おじいさんが幼い少女を好きになってもいいし、女が犬を好きになってもいいし、イケメンが家の壁を愛してもいいのだ。ただそれが社会の秩序を乱したり、人間集団としての利益よりも不利益が大きすぎる際には法律で禁止されているというだけである。誰かが誰かを愛することは、違法になり得たり、憎しみや恐怖に転換されることもあるが、絶対的な悪とはならない。愛とは自分ではコントロール不可能な、直感的に押し寄せてくるどうしようもない本能的な現象だ。自分ではどうしようもない直感に、悪など宿るはずがない。もちろん男が男を好きになることもその人にとってはどうにもならない直感的な情熱であり、それによって絶望したり否定されるということがあってはならない。

つまり人を愛することによって同性愛者が絶望してしまうのは、愛そのものに問題があるわけではなく、「同性愛は気持ち悪い」「同性愛は避けるべきものだ」「同性愛は見下されるべきものだ」という世の中の空気や気配が原因であることは明白である。このような思い込みや洗脳が自らの心から取り除かれた時になって初めて、自分が人を愛したことも尊さを実感することができるだろう。

しかしたかが自分という人間ただひとりの力によって、人間の間に共有され根付いている「同性愛は気持ち悪い」「同性愛は避けるべきものだ」「同性愛は見下されるべきものだ」という洗脳を、人々の心から解放させることは難しい。人間としてそれなりに生きていれば気がつくが、他人の心なんて見えにくく移ろいやすく曖昧で、はっきり言って自分ではコントロール不可能である。ましてや他人の集まりである人間社会や人間集団の心なんて小さな自分だけの力でコントロールできるはずがない。

 

 

・他人によって捻じ曲げられた愛を、自分自身で本来の姿へと戻していく

他人をコントロールできないとわかったならば、できることはただひとつ。自分の心をコントロールするだけだ。自分の心をコントロールすることも確かに難しいが、他人をコントロールするよりははるかに簡単だろう。ぼくたちは自らの心に働きかけるべきだ。他人の言葉や意見なんて、一切聞く必要なんてないと。

同性愛者のぼくたちは、他人や世間の意見を真に受けるべきではない。彼らはしばしば「同性愛は気持ち悪い」「同性愛は避けるべきものだ」「同性愛は見下されるべきものだ」という悪意を無遠慮に放出し続けている。他人や世間の意見なんて真剣に聞いていては、同性愛者の繊細な心は瞬く間に傷つけられ、えぐられ、再生不可能な精神状態へと陥れられることだろう。ぼくたちは他人の心を聞くことをやめて、ただひたすらに自分自身の純粋な心の声にだけ耳を傾け、自分自身の澄明な直感に導かれながら生きていくべきである。それだけが捻じ曲げられた愛を本来の愛に戻すことのできる唯一の道だ。

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他人や世間はぼくたちに様々な悪意や否定をぶつけてくることだろう。しかしそれらは気にするに値しない価値のない思い込みや、洗脳や、過ちだ。この世の全ての愛は直感であり、この世の全ての愛で否定されていいものなんて何ひとつさえあるはずがない。ぼくたちの愛と直感を否定する巨大な嵐は、間違っているとわかってしまえば容易く無視して先を急ぐことができる。ぼくたちに必要なことは、ただ直感と愛に向かって走っていくことだけだ。ぼくたちは間違った孤独と絶望によって塗り固められてしまった捻じ曲げられた愛を、自分の心の声だけを信じて、本来の愛に戻すために走っていこう。

 

 

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