男を好きになる男だとバレたら生きてはいけないと、同性愛者のぼくは恐れを抱きながら生きていた
目次
・男を好きになる男だとバレたら生きてはいけない
人が人を好きになると気付くのは、一体いつの頃だったのだろう。誰もはっきりとその瞬間を思い出せないのと同じように、ぼくは自分が男を好きになる男なのだと知った時のことを覚えていない。ただそれを悲しいとも、苦しいとも、おかしいとも思わなかったことは覚えている。ぼくたちが生きていく上において、人を好きになることは素晴らしいことなのだと信じていた。それは説明でも理屈でもなく、生命の根源から発せられる疑いようもない輝きだった。ぼくが人を好きになることに間違いなんてあるわけがないと、ぼくは自分自身で確信できた。もしもぼくが人を好きになることを間違っていると世界が否定するのなら、それは世界の方が間違っているのだとぼくは胸を張って断言した。
けれど世界はおぞましい思想をはらんでいた。人が人を好きになることは素晴らしいことだといつだってまともな顔をして噂し合うくせに、彼らは人を好きになることを正常と異常に分類した。すなわち男が女を好きになることや女が男を好きになることは正常で、ぼくのように男が男を好きになることは異常なことだと断絶した。人が人を好きになるということは、肉体が成熟するにしたがってやがては性と密接に絡み合った。性とは信じられないほどに生々しく、動物的な世界だった。男は女の肉体と生殖器を激しく追い求め、ついには男性生殖器と女性生殖器を結合させ大量の精液を注ぎ込むことが、人が人を好きになるまともな結果だと教えられた。そして男が男を好きになり、男が男の肉体を求めることは異常な愛の形だと否定された。
ぼくはぼくが人を好きになることを、否定する世界が許せなかった。けれど世界は否応なしに、ぼくに否定のシャワーを浴びせ続けた。ぼくが人を好きになることは異常なことだった。ぼくが人を好きになることはまともではなかった。ぼくが人を好きになることは間違ったことだった。ぼくは人を好きになることで、自分が幸せになれると信じていた。けれどそのような幸せは決して訪れないと、世界は思春期のぼくの心を殴りつけた。どんなに世界に歯向かっても勝てるはずがないと思ってしまうほどに、世界は数え切れないほどの否定をぼくの心へ注ぎ続けた。そしてぼくはもう人を好きになっても幸せになれないように生まれてきた人間なのだと悟った。
周囲の男子たちはみんな、女体や女性生殖器に夢中だった。ぼくと同じように男を好きになる男はどこにもいないように感じられた。ぼくは自分ひとりだけが言葉を知らない異国人のようだと思った。もしもぼくがクラスの男子を好きになっても、きっと彼は女体と女性生殖器が好きだろう。だから彼がぼくを好きになってくれる確率は0に等しい。そしてそれは大学生になっても、社会人になっても同じことだろう。ぼくはこの一生でどんなに人を好きになっても、いつだって結ばれることも幸せを感じることもなく人生を終えるのだと覚悟した。
それと同時にぼくが男を好きになる男だということは絶対に知られてはいけない秘密なのだと、ぼくは直感で感じ取っていた。誰かに教えられたわけではなく、何かを参考にしたわけでもなく、ぼくはぼく自身を護り抜くために誰にも言わないことを心に決めた。この人生は好きになった人と結ばれることはないと最初から決まっているのだから、普通の人生のように大切な人がぼくを助けてくれたり庇ってくれたり協力し合うこともない。それならばぼく自身が強くなって、ぼくのことをきちんと護ってやらなければならないという使命感がぼくの胸の中で燃えていた。好きな人のことを誰にも話せないのはさみしく、孤独でつらいけれど、そんなことに負けていてはぼくはぼくを護り抜けないと思った。
もしもぼくが男を好きになることがバレたら、もう生きてはいけないだろう。みんながぼくを攻撃し、みんながぼくを罵倒して、ぼくの心が滅びてしまうまで否定はやまないだろう。本当にそうなってしまうかどうかはわからない。ただ必ずそうなってしまうのだとぼくに信じ込ませた世界が、ぼくの目の前にいつも厳然と立ちはだかっていた。ぼくが人を好きになることで、ぼくは幸せになれなかった。ぼくが人を好きになることで、誰も幸せにならなかった。それどころかぼくが人を好きになることで、ぼくには呪いが課せられてしまった。それなのにどうしてぼくは、人を好きになるのだろう。
・高校時代の初恋
高校時代、ぼくは初めて人を好きになった。それは同じクラスの男の子だった。当たり前のように結ばれることはなかったけれど、いつも悲しくて泣いていたけれど、それでも幸せだと感じられる瞬間はいくつかあった。男が男を好きになっても悲しいことばかりではないことを知って、人を好きになることの意味を考えた。
・大学時代、ぼくは初めて男を好きになる男だと告白した
大学時代、奇跡のような出来事が起きた。それは好きになった異性愛者の同級生の親友と、なぜか両想いになれたことだった。ぼくたちはいつも2人きりの部屋の中で好きだと言って抱きしめ合ったり、キスしたり、お互いの果実を触り合ったりして、恋人同士のような時を過ごした。ぼくはこの人生の中で好きになった人に好きと言わることなんて絶対にないと思っていたので、彼に好きだよと言われた時には信じられない気持ちでいっぱいだった。好きになった人に好きと言われるなんて、男と女の関係だったらよくあることなのかもしれないけれど、男同士でもこんな風に奇跡的に思いが通じ合うことがあるんだって、ぼくは生まれてきてよかったと感じた。
けれどぼくが彼と恋人同士のような関係になったことよりも嬉しかったのは、ぼくが男を好きになる男だとわかっても彼がそばにいてくれたことなのかもしれない。ぼくは絶対に自分が男を好きになる男だとバレてはいけないと怯えながら生きてきた。バレたらみんながぼくから離れて行ってしまうのだと思った。けれど大好きな彼にだけはそれを隠し通すことができなかった。彼に大好きだと告白することは、ぼくが男を好きな男であると告白するのと同じだった。けれどそれでも彼はぼくから逃げずに、ぼくを咎めることも非難することもなくそばにいてくれた。それどころか彼もぼくのことを大好きだよと言って抱きしめてくれるようになった。
彼に出会って初めてぼくは、自分が人を好きになってもいいんだと知った。男だけれど男を好きでも許されるのだと、彼の腕の中でぬくもりを感じた。否定されるはずだったぼくの正体を、彼は包み込んで愛してくれた。ぼくが人を好きになってはいけないというのは、植え付けられた呪いだった。ぼくが幸せになれないというのは、植え付けられたおそれだった。
ぼくが男を好きになる男だとカミングアウトしても、受け入れてくれる人はもしかしたら意外といるのかもしれない。けれどそれは自分とは違う生き物を理解しようと努力する多様性に満ちた国際的な視点であることがほとんどだろう。彼はぼくが男を好きな男だと告白した時に、その場で男を好きになる男となってぼくに好きだと告げてくれた。彼はぼくと同じ呪いにかかってくれた。彼はぼくと同じ悲しみを背負ってくれた。それは異なる者が異なる者を理解しようと努めるよりも、はるかに尊い覚悟だと感じた。その瞬間にぼくの呪いは解かれた気がした。大好きな彼と同じ悲しみを背負えるのなら、その悲しみは幸福だと思った。
・世界の罪悪
なぜ世界はぼくに呪いを植え付けたのだろう。それも悪事や過ちに対してではなく、人を好きになるという最も美しい次元において、ぼくを絶望に突き落としたのだろう。植え付けられた者たちはどう生きるのだろう。人を好きになる度に罪人となり、未来からあらゆる希望はかき消され、どこに光を見出せるのだろう。
世界は植え付けた呪いも忘れて、素知らぬ顔で回っている。人が人を好きになることが過ちになるというのなら、それを過ちだと指し示す世界こそが心を持たない悪人だった。
世界が罪を償うのは、いつだ。罪のない者たちを罪人だと誰もに植え付けた、残酷な世界が罪を償うのはいつだ。世界がぼくの魂につけた傷の深さを、ぼくはいつまでも忘れない。人を愛することを過ちだと植え付けた、罪の深さは永遠に消えない。
・この一生でたったひとりの人
男を好きになる男に、自分が同性愛者であることを告げることは容易い。けれど女を好きになる男に、ぼくは男を好きになる男だと告げたのは、この人生の中で彼だけだった。そういう意味でも彼は、ぼくの中で特別な存在だったのかもしれない。たったひとりでもぼくの大きな秘密を人に打ち明けられたことは、そしてその秘密を誰にも言わずに2人だけで共有し、ついには同じ秘密を背負ってくれたことは、ぼくにとって大切な宝物のような思い出になった。男を好きになるぼくでも、人を好きになっていいのだと彼が教えてくれた。男を好きになるぼくでも、生きていていいのだと彼は抱きしめてくれた。わかってくれるなら、たったひとりでもいい。本当のぼくをわかってくれる人に、この一生の中で、たったひとりでも巡り会えたならば、ぼくには生まれてきた価値があったのかもしれない。
・中島みゆき「月虹」
真白い虹が出る
誰かに話しても
夢でも見たのさと
笑われていたでもあの人だけは
信じてくれたから
私その時から あの人が好き
・ぼくの高校時代の初恋について
・大学時代のぼくの2番目の恋について
・同性愛について