わたし中卒やからね、仕事をもらわれへんのや…。
中卒の女の子の手紙は本当にあった!中島みゆき「ファイト!」誕生秘話とオールナイトニッポンの手紙全文
目次
・時代を経てもなお歌い継がれる中島みゆきの名曲「ファイト!」
中島みゆきの名曲「ファイト!」がまた注目を集めているようだ。「ファイト!」は元々、1983年に発売された10枚目のオリジナルアルバム「予感」の最後に収録されていたアルバム曲である。時代を経てミリオンセラーの大ヒットになった1995年発売のシングル「空と君のあいだに」の2曲目にも収録された。最近ではカロリーメイトやユニクロのヒートテックのCMにも使われている。
・「ファイト!」の歌詞を理解するためには中島みゆきの歴史を知る必要がある
中島みゆきの「ファイト!」の冒頭は、こんな歌詞から始まる。
わたし中卒やからね仕事をもらわれへんのやと書いた
女の子の手紙の文字は尖りながら震えている
(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)
最近初めてこの歌を聞いた人には、なんでいきなり中卒の女の子が中島みゆきに仕事をもらえないという悩み相談の手紙を送りつけてくるのか意味不明で困惑するだろう。中島みゆきの「ファイト!」を理解するためには、中島みゆきの歴史を知っておく必要がある。
中島みゆきは1979年から1987年にかけて約8年間「中島みゆきのオールナイトニッポン」というラジオ番組をやっていた。暗くしんみりした歌が多かった当時の中島みゆきの歌の中のキャラクターとは全く異なる、元気で明るくてどんちゃん騒ぎする雰囲気の「中島みゆきのオールナイトニッポン」は当時若者を中心に人気を集めたようだ。「中島みゆきのオールナイトニッポン」は基本的には明るく楽しい爆笑番組だったが、最後の手紙だけは真面目なものや真剣なものを読み上げ、それに中島みゆきがちょっとしたコメントを寄せるという流れで番組は終了していた。
つまり「ファイト!」が収録されたオリジナルアルバムが「予感」発売された1983年には、ラジオパーソナリティだった中島みゆきに手紙を送るというのはとても自然な行為だったのだ。「ファイト!」の冒頭に出てくる中卒の女の子の手紙は、まさに「中島みゆきのオールナイトニッポン」の最後の手紙だと思われる。名曲「ファイト!」は「中島みゆきのオールナイトニッポン」に送られてきた悲しみや悔しさや苦しみを抱えている人々の手紙たちに対して、中島みゆきが「ファイト!」と応え、応援するという内容だったのだ。
もちろん実際に送られてきた手紙ではない、中島みゆきがこの歌のために付け足したオリジナルのストーリーも含まれているかもしれないが、少なくとも冒頭の”中卒の女の子”の手紙に関しては、記録としてインターネット上にきちんと残っている。「中島みゆきのオールナイトニッポン」の最後の手紙で読み上げられた中卒の女の子の手紙は以下のようなものだった。
・”中卒の女の子”の手紙と中島みゆきのコメント全文
中島みゆき:お名前後で読みましょうね。
みゆきさんこんばんは。毎日楽しく聞いています。
私は中学を出てすぐに働いて2年になる17歳の女の子です。
この間私の勤めている店で、店の人が私のことを
あの子は中卒だから事務は任せられないと言っていたのを聞いてしまいました。私、悔しかった。
悔しくて悔しくて泣きたかった。
中卒のどこが悪いと言いたかった。
私だって高校へ行きたかった。
だけどうちのこと考えたら私立に行くなんて言えなかったし
高校に入る自信もなかった。なのにこんな風に言われるなんて、ひどい。
ごめんなさい愚痴を書いてしまって、またお便りします。ペンネーム:私だって高校へ行きたかなった。
っていただきました。
えー、高校へ行きたかったあなた、女の子です。
私は、まぁあんた本人じゃないから、自分の基準でしかものを言えないけれどもね
偉そうなことを言っちゃえば
どういうところを通ってきたかっていうことよりもね
そこで何をあんたが吸収してきたかってことだと思うわけよね
理想論かもしれないけど。
でまぁそら、周り中の全ての人間にさ、
あなたのよさをわかってもらおうとかいうのはそら無理なことだけど
わかってくれる人も、どっかにひとりはいるかもしれないとかね
それから誰かにわかってもらおうとするとかさ
そんな風に思うことだって素敵なことじゃないだろうか。
ファイト!
・中島みゆきの作品は中島みゆきを知れば知るほど味わい深い
この手紙が読まれたのは1982年5月4日だと言われる。この後1983年に「ファイト!」が収録されたオリジナルアルバム「予感」が発売になった。”中卒の女の子”へのコメントとして、中島みゆきがこの手紙の時点で「ファイト!」とこの女の子を励ましていたことは驚愕に値する。この手紙から冒頭の歌詞が生まれたことに疑いの余地はないだろう。
このように「中島みゆきのオールナイトニッポン」では悲しみや悔しさや苦しみを抱えている手紙が送られてくることも多かった。それらのすべてのもがきながらも生き抜こうとしているすべての魂へ向かって、中島みゆきは「ファイト!」と歌いかけているのかもしれない。
ぼくが興味深いのは送られてきた”中卒の女の子”の手紙は標準語っぽい感じなのに、歌では「中卒やからね」「もらわれへんのや」というよくわからない方言調になっていることだ。ここを方言調にすることに、何か意味があったのだろうか。確かに標準語よりも方言調の方が、人間臭さや人の心の情緒がより濃厚に表れてこの「ファイト!」の歌詞には合っているのかもしれない。言葉を追求し、言葉の端々にまで気を遣っている中島みゆきだからこそ、いくらでも考察しがいのある歌である。
中島みゆきの楽曲の面白いところは、このように中島みゆきの昔の歴史を知ることで、あまりよくわからなかった歌詞の内容もより深く理解できるようになるという点だ。味わい深く聞けば聞くほど心にしみる中島みゆきの歌は、いつまでもぼくたちを魅了し続けることだろう。
・中島みゆきの「ファイト!」には2つの音源ある
ぼくたちが聞くことのできる中島みゆきの「ファイト!」の音源には2種類がある。ひとつは一番最初に発表された1983年発売の10作目のオリジナルアルバム「予感」のバージョン。世の中ではこのバージョンが最も有名であり、「ここにいるよ」「大吟醸」「Singles2000」などのベストアルバムに収録されているのもこのバージョンだ。
もうひとつは2007年のコンサート「歌旅」で歌われたコンサートバージョンである。こちらは瀬尾一三によるアレンジであり、現代の中島みゆき的で聞きやすく、伸びやかなボーカルと慈悲と怒りの感情が混在しているような力強い歌唱が印象的だ。
・1995年コンサートの絶唱「ファイト!」は伝説
公式の音源は2種類しかないが、インターネット上ではたまに1995年のコンサートを録音した荒い音源が出回っている。この1995年コンサートの「ファイト!」こそ、ぼくが今まで聞いた中で最も心ふるわされる歌唱である。
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