直感に従って生きれば道が開け、夢が叶い、幸せになれるというのは本当か?

 

直感に従って、ぼくは精神まで八つ裂きにされた。

直感に従って生きれば道が開け、夢が叶い、幸せになれるというのは本当か?

・世間にあふれる「直感に従って生きろ」という文言

「直感に従って生きろ」「直感を信じて進め」というのは現代社会でしばしば聞かれるフレーズだ。損得や、合理的なものの考え方や、勝ち負けに関係なく、自らの野生的な直感、本能的な勘にしっかりと耳を澄ませて従い、突き進めばよりよい未来が訪れるというのは、なるほどまさにその通りかもしれないとなんとなく感じられてしまう。Appleの創設者スティーブ・ジョブスも「自分の心と直感に従う、勇気を持ちなさい」と言及している。

直感に従うことができるのは勇気を持った者、度胸のある者だけだというのは確かにその通りかもしれない。直感なんてあやふやで不確かなものを頼りに人生を進むよりも、もっと確からしいふさわしそうな羅針盤が人間社会にはいくらでもあるからだ。例えば直感なんかよりもお金を追いかけて生きた方が安全な生き方を選択できるだろう。的外れな勘なんかよりも社会的常識に従った方が、まともな人生を送れる可能性は遥かに高い。自分の心の根源から湧き起こる直感を信じられない者にとっては、自らの心の純粋な声よりも他人のもっともらしいアドバイスの方がすがりつきたくなるに違いない。野生的な直感や本能的な勘に従う者は、ちょっと変わり者かはぐれものとして人間社会で見なされることが多いだろう。

しかし現代社会が重要だと強調するお金や、社会的常識や、無責任な他人の声に怪しさや疑いを持っている人が増えてきているのもまた事実だろう。だからこそ自らの直感に従って純粋に生きること、直感を信じる勇気を持って突き進むことが魅力的に感じられ、スピリチュアルな文化と相まって見直され始めているのかもしれない。

 

 

・ぼくは直感に従い、世界一周の旅に出た

ぼく自身に関しても、自分はかなり直感に従って生きている人間だと感じる。それは今まで生きてきて、結局本当に信じられるのは自分の感性だけだという結論に至ったからだ。ぼくは自らの直感を遮ることなく大切に育み、その声に従って生きることを厭わない。

最も顕著な例で言えばぼくは医者であるにもかかわらず、医者としての労働を一旦中止して、自らの直感の声に従って世界一周の旅に出ていた。これは常識的には考えづらい行動だろう。医者として働けばやりがいもあるし、社会的地位も獲得できるし、お金を稼ぐことだってできたはずだ。常識的に考えれば無職となって旅人なんかになるよりも、人間社会の中で医者としての労働をまともに続けていた方が遥かに自分にとって利益になるはずだ。しかしぼくは医者を選び取らなかった。損得なんてどうでもいいからだ。そんなことよりも自らの根源から燃え盛るようにして迫ってくる「旅に出なければならない」という直感的な声の方が、自分にとって遥かに貴重で大切なものだったのだ。ぼくは自らの直感の声を最も信仰しているし、これからもその信仰をやめることはないだろう。

直感に従って生きるということは、合理的な損得勘定の次元から解脱するということだ。まさにそれは常識的には考えられない観念であり、人間たちはぼくに利益になる方、得になる方を選び取るべきだと主張してくるが、ぼくの感性にとってはそのような主張はレベルの低い戯言だと言わざるを得ない。損得勘定しか価値の判断基準がないなんて、何と乏しい感性の発露だろうか。損得勘定を物事の羅針盤にしてるような人は、本当に自分自身で考えてその羅針盤を選びとっているのだろうか。もしかして他人や社会が言っているだけの植え付けを、馬鹿正直に信じ込んでいるだけではないだろうか。

 

・直感に従って生きていれば道が開け、幸せになれるというのは本当か?

では直感に従って人生を生きたのならば、果たして人間は幸せになれるのだろうか。ありふれたスピリチュアルの文章や自己啓発本の中には「直感に従えば必ず道は開ける」「直感に従えば必ず成功し幸福になれる」と容易く書き込まれているが、本当にそうなのだろうか。それはただ人生の道に迷った子羊たちに希望を持たせて本を購入させてやろうとする商売文句のひとつに過ぎないという可能性も十分にある。

 

・直感に従って旅に出て、ぼくはこの上ない幸福感に包まれた

「旅に出たい」「世界一周の旅に出たい」という直感に関して言えば、ぼくの経験上、直感に従えば道が開け、幸福になれるというのは本当だったと感じられる。それほど旅は素晴らしい出来事だったし、見たことのない人々、見たことのない文化、見たことのない風景を毎日美しい万華鏡のように新鮮な気持ちで瞳に焼き付けることができた旅の日々は、宝石のように輝かしい記憶として魂へと刻み込まれている。旅に関して言えば、純粋な直感と、それに従う行動力は、その人に幸福をもたらすというのは間違いのない真理であるように思われた。

 

 

・直感に従って人を愛し、ぼくの魂は徹底的な絶望へ突き落とされた

しかし「旅に出る」と同じくらいぼくが直感に従って突き進んだ出来事がぼくの人生の中にはもうひとつある。それは恋愛に関することだ。恋愛といえば最終的には生殖に結びつけられる可能性が非常に高く、その意味からいえばかなり野生的、本能的な直感に従う行為だと見なすことができるだろう。もしかしたらあらゆる本気の恋愛は、自らの直感に従う行為なのかもしれない。

恋愛に関して言えば、ぼくは決して幸せになれたとは言い難かった。ぼくは同性愛者であり、大学時代に異性愛者の男の子を好きになってしまい、魂が八つ裂きにされるかのような深い絶望と悲しみを味わった。後にも先にもあれほど究極的に絶望したことはなかったし、そして後にも先にもあれほど純粋に直感に従って行動したことはなかった。恋愛とは自らが動物となり、最も本能的・直感的に自分自身を解放する営みなのかもしれない。

あの苦しみをくぐり抜けたから、もはやその後の人生で何が起こっても大した災いだとも思わなくなったし、あの恋愛の中で一度魂が死んでしまったからもはや何も感じなくなり、これ以上傷つくこともなく平穏に過ごせているのかもしれない。そのような観点から言えば恋愛的直感に従った日々も無駄ではなかったと思えるかもしれないが、果たしてそれが人としての幸福だと言えるだろうか。ぼくは人生で最も直感に従った「叶うはずのない恋愛」という出来事において、幸福ではなくその真逆の徹底的な絶望へと突き落とされた。純粋な直感や本能に従うことが、必ずしも人を幸福へと導くわけではないことを示すよい一例である。無責任に迷える魂たちをたぶらかしてお金儲けをしようとする都合のよい自己啓発的な演説のように、「直感に従えば必ず幸せになれる」なんてぼくは決して言うことができない。

しかし何が幸福なんて後になってみなければわからない。あの激しい直感的な恋愛があったからこそ見えている世界だってあるし、共鳴し合う創造物の幅も広がった。旅先で巡り会う美しい風景も、あの恋愛とは全く関係のないように見えても、あの恋愛がなければ気づかない情緒もあるのだろう。あの恋の絶望がなければ、魂は旅立ちを求めなかったかもしれない。

ぼくたちはたったひとつの人生しか歩むことができない。あの恋愛が成就した場合の人生と、あの恋愛に敗れた場合の人生を、きちんとどちらも試してから比較することなんてできない。本来ならばその両方を経験した上で、こちらの方がよかったと裁くべきなのだけれど、誰一人そのような都合良い人生を送れない。だからこそぼくたちは、自分が通ったこちらの道の方が最良だったのだと“信じる”ことしかできない。

普通に考えれば恋愛が叶った人生の方がよかっただろうと誰もが思うけれども、その場合の結末だって誰にもわからない。もしかしたらあの恋が叶った後さえ数々の不幸が2人に訪れて、最終的には恋が叶わなかった場合より絶望的な結末になることだって十分にあり得ただろう。ぼくたちはこの道こそ、最も幸せだったのだと祈ることしかできない。そしてそのように祈りながら生きられる人生こそ、幸福だ。

迷いながらでも、戸惑いながらでも、直感に従った道に小さな祈りを捧げて、ただひたすらに行くべき世界へと歩みを進めよう。最後の最後に、この魂が、行くべき世界へと。

 

 

・大学時代のぼくの2番目の恋について

大学時代、ぼくは片思いしているノンケの友達に膝枕されるのが好きだった

両思いに!大好きなノンケの親友に告白したら毎日「好きだよ」と抱きしめてくれるようになった

大学時代、ノンケの彼とゲイのぼくは会うたびにキスするようになった

ゲイのぼくとノンケの彼は、お互いの部屋の合鍵を交換して恋人のように逢瀬を重ねた

言われるはずのない同性愛の人生の中で、ノンケの彼はゲイのぼくに「愛してる」と告げた

ノンケの親友とゲイのぼくは、同じ果実を男同士で触り合って同じ快楽と幸福を感じた

ノンケの彼はぼくを好きだと抱きしめながらも、女の肉体を探し求め続けた

ノンケの彼には、ぼくとの同性愛的体験を受け入れる覚悟と誠実さがなかった

ノンケの彼との恋愛がつらく苦しすぎて、ぼくは通常の学生生活が営めなくなっていった

ノンケの親友に失恋!ノンケの彼はゲイのぼくを裏切って彼女を作った

同性愛者として生まれた水色の少年は、この人生で幸せにはなれないのだと悲しい覚悟をした

「自分だけ幸せになりたかった」とノンケの彼は告白し、それ以来ぼくは彼の部屋を訪れることはなかった

医者になって誰かの命を救うよりも、まず自分の魂が救われることをぼくは願った

ノンケの彼がゲイのぼくと恋愛しても何ひとつメリットなんてないから、彼の「好き」という言葉を尊いと感じた

 

 

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