悲しみに暮れた天照大神たちに光を

 

悲しみに暮れた天照大神たちに光を

・「退行」の心理学
・日常にあふれている「退行」
・古事記の天岩戸の物語
・悲しみに暮れた天照大神たちに光を
・泣かないでアマテラス

・「退行」の心理学

「退行」という言葉を知っていますか?

「退行」とは心理学の言葉で、人の心が深く傷ついた時や行き詰まりを感じた時に、自分の心を護ろうとする防御機構の一環として、自分自身を“子供返り”させる機能です。自分自身を幼少時代、もしくは赤ちゃんの時代に巻き戻すことによって、自分自身を過去へと解放し、この世の中で生きることを助けてくれます。これは人間なら誰にも備わっている防御機構と言えるでしょう。自分自身を過去へと移動させるということは、この現在の時代と自分自身をかけ離してしまうわけですから、“過去に閉じこもってしまう、引きこもってしまう”という言い方もできるかもしれません。“引きこもり”という部屋の中へ入り込んで出てこないことが問題になることもありますが、そのように空間的な観点だけでなく、人間には時間的な観点から“過去への引き込もり”を成し遂げてしまうこともあるのですね。いわば人間は誰でも、自分自身の中に過去へのタイムマシンを持っているような状態にあるのでしょう。

 

 

・日常にあふれている「退行」

それにしても、“子供返り”や“赤ちゃん返り”なんてそう滅多にあるはずがない、きっと特別な病気などにかかってしまっている人々にしか起こらないのだろうと思いがちになってしまいますが、実はこの「退行」は、なんとぼくたちの生活の中でも日常的に出現しているのです。

そのひとつは、人間なら誰もが行う“睡眠”です。ぼくも前から思っていたのですが、眠るってものすごく安心する行為ですよね。眠るという日常行為をするだけでもものすごく心安らかになるし、その日のうちに嫌なことがあっても眠ってしまえば大抵のことはどうでもよくなって忘れてしまいます。眠るというのはぼくたちに与えられた天からの安らかな贈り物であるような気さえしてしまいます。実はこの睡眠という日常行為は、自分自身を無防備な、幼少期もしくは原始の時代にまで巻き戻すことにより、安らぎを得る退行の行為だったのです。そう思えば、退行も非常に身近なものとして感じられるでしょう。

またもうひとつの代表的な行為は“食事”です。これも人間なら誰しもが行う日常的行動です。この口を使って食物を自分自身の中に取り込むという行為は、やはり無意識のうちに人間を幼少期、原始の状態にまで遡らせることにより、人を退行させ安らぎを与えています。口に何かを触れさせると安心してしまうのは、遠い昔に母乳を与えられた感覚に戻ることと何か関連があるような気がしてなりません。

“睡眠”と“食事”が退行であると言われれば、ぼくたちの生活はもはや退行に満ちあふれているということになります。退行が特別な作用ではなく、誰にでもどこにでも起こりうる作用であることがわかります。人々は日常的に退行を行うことにより、日常的に自分自身を子供時代もしくは原始時代に戻すことにより、ストレスのあふれる現代社会の中で自分自身に安らぎを与えているのかもしれません。

しかし、“退行”の作用がこのように誰にでも起こる日常の範囲内で収まっていればよいのですが、病的な状態に陥ると、常に“退行”してしまい通常の状態に戻れなくなってしまうということが発生します。悲しいことがありすぎて、自分ではどうしても抱えきれなくなった時に、自分自身を過去へと逃がして、過去という部屋の中に引きこもってしまい、そこで安らぎを得続けたい、もう外の世界になんか出て行きたくないという思いが生じます。

ぼくはここでふと思ったのです。あれ、これって、なにかの物語に似てはいないか…と。

 

・古事記の天岩戸の物語

そう、それは日本の神話「古事記」の中に登場する天岩戸の物語です。

 

太陽の神である天照大神が、弟のスサノオノミコトの乱暴極まりない行動に悲しみ果て、呆れ果て、天岩戸の中に閉じこもって出てこなくなってしまいます。天照大神は太陽そのものですから、天岩戸に隠れて引きこもってしまっては、この世界に光が届かなくなってしまい、暗闇に飲み込まれてしまうという物語です。

ぼくはそれに気がついたとき、感動のあまりに号泣してしまいました。やはり神話というものは、単純な神様の行き当たりばったりの物語として作られただけではなく、このように人間の心理の状態と深く結びついたストーリーを形成することにより、この現代という時代にまで語り継がれてきたのだろうと確信したのです。昔むかしの時代から、この国の人々はあまりに悲しいことがあると、心がどこか奥深くに引きこもってしまったのだと。そしてその性質は心理学的「退行」という作用と古事記の神話さえ結びつかせ、人間普遍の真理としてぼくたちに語りかけてきます。悲しいことがあると人は、誰も知らない奥深くの国へと自分を旅立たせてしまう、そしてその人にとって、世界は暗闇以外の何物でもなくなってしまうのだと。

 

 

・悲しみに暮れた天照大神たちに光を

 

それではどうすれば、あまりの悲しみに疲れ果て、暗闇の世界へと閉じこもってしまったその人自身を救い、もとの光ある世界へと戻すことができるのでしょうか。ぼくたちは誰でも、あまりに悲しいことがあると、まわりが見えなくなります。目が眩んでしまいます。そして自分は孤独だと思い込み、誰もたどり着けない、自分自身の奥深くへと自分を隠してしまいます。そしれさらに何も見えなくなって、けれども外の世界も暗闇であるような気がして、どうすることもできず、何をするべきかもわからず、立ち尽くしてしまうこともあるでしょう。

努力で何かが変えられるのならば、何らかの行動を起こしもするでしょうが、そのように果てしない暗闇へ自分自身を隠してしまう人の心はいつだって、自分自身ではどうすることもできない、生まれながらの運命の絶望を隠し持っていることが多いのです。誰にも見えない悲しみ、誰にも見えない絶望、誰にも見えないからこそ、余計に傷つく。どうすればあの人を、立ち直らせることができるのだろう。ぼくたちには何ができるのだろう。

悲しみにあふれるこの世を、変えることはできない。ぼくたちはあまりに非力だ。産まれながらの運命の絶望を、変えることはできない。ぼくたちは何もできないほどに無力で。けれど共に生きようよと、歌ってやる他はない。ぼくたちはあなたを悲しませるものたちを変える力を、なにひとつ持ってはいないけれど、そんな自分自身の弱さや儚さに、どうしようもなく打ちひしがれるけれど。そんなどうしようもない悲しみや絶望や運命を、いったんどこかに置いておいて。いつの日か自分の心が受け止められるようになるまで、いったんどこかに置いておいて。いったん少しだけ逃げて。それよりもごらん、この世界には、あなたを微笑ませるものが、少しばかりあるよと。それよりもごらん、この世界には、あなたを微笑ませたいという気持ちが、隠れているよと。

まさにそのようにして、古事記の世界の中では、天照大神は外の世界へと出てこられた。弟の暴力が止むことはない、自分の運命が変わることはない。けれど外の世界の神々は、ただ歌って踊ったのだ。悲しい時には誰もが、目の前が見えなくなる。そのように深く絶望の中に閉じこもってしまうこともある。けれど、けれども忘れないでおくれと。楽しいことも、嬉しいことも、優しいことも、慈しむことも、世界には少しかもしれない、少しかもしれないけれど、あったのだよと。アメノウズメの神が天照大神を誘い出し、世界には光が戻った。

 

 

・泣かないでアマテラス

この天岩戸の物語を感動的な舞台へと仕立て上げた歌人がいる。中島みゆきである。その中の「泣かないでアマテラス」という歌の一節にあまりに象徴的な歌詞がある。

 

“アマテラス悲しみは誰をも救わない
アマテラス憎しみは誰をも救わない
わたしには何もない 与えうる何もない
君をただ笑わせて負けるなと願うだけ

アマテラス アマテラス どこで泣いているの
アマテラス アマテラス 明日は泣かないで”

“地上に悲しみが尽きる日はなくても
地上に憎しみが尽きる日はなくても
それに勝る笑顔がひとつ多くあればいい
君をただ笑わせて負けるなと願うだけ

泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで”

 

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