ぼくが中高で成績学年1位を維持し続けた秘訣は「真の怠け者」になることだった

 

真の怠け者になれば、学問が得意になれる!!!!!

ぼくが中高で成績学年1位を維持し続けた秘訣は「真の怠け者」になることだった

・ちびまる子ちゃん第34話「宿題をためたまる子ちゃん」のあらすじ

アニメちびまる子ちゃんの中に第34話「宿題をためたまる子ちゃん」という物語がある。その名の通り、まる子が夏休みの宿題を全然やっていなくて最終日の8月31日に全部まとめてやるというとんでもない回だった。まる子は毎日書かなければならない日記はおろか、「夏休みの友」という問題集や工作、ヘチマの観察など何もかもの宿題をやっていなかったのだった。

当然まる子ひとりでできるわけはなく、家族総動員で手伝ってもらってものすごい量の宿題を深夜まで目を回しながらもなんとか1日で終わらせてしまうのだった!ぼくは小学生の頃、夕方にやっていたこの回の再放送を見ながら、本当にまる子みたいな子供っているのだろうかと信じられない気持ちでいっぱいだった。まる子は作者であるさくらももこの小学生時代を描いたものであるというが、本当にさくらももこも最終日に1日かけて夏休みの宿題をすべて終わらせたのだろか。

 

 

・ぼくが中高で成績学年1位を維持し続けた秘訣は「真の怠け者」になることだった

小学生のぼくは「宿題をためたまる子ちゃん」の回を見て、まる子ってすごく馬鹿だなと心から思った。宿題をやらないことを馬鹿と思っていたというよりもむしろ、そんな状態で夏休みの日々を過ごしても完全に夏休みを心の底から楽しめないということに気づかないことが馬鹿だと思われたのだ。

夏休みの宿題なんて最初の3日で終わらせるべきだという、小学生のぼくはそういうタイプの子供だった。頑張ればたった3日で終わるものを、いつまでもダラダラと残しながら夏休みの日々を過ごすなんて考えられなかった。だってもしも夏休みの宿題をまだ完了していない状態だったとしたら、楽しいはずの夏休みの日々を過ごしていたとしても「あぁまだやらなければならない宿題がたくさんある」と、心の片隅でどこか憂鬱に思いながら生活するしかないではないか。それでは夏休みを本当に心の底から楽しんでいるとは言えない。少したりとも憂鬱を、夏休みの自由で輝かしい子供心に潜ませるべきではないのだ。せっかくの夏休みなんだから何の気兼ねもなく、憂鬱もなく、しがらみもなく、ただただ100%楽しんで夏の日々を謳歌すべきである。

そのために必要なことは、宿題をとっとと終わらせることだ。「どうせやらなきゃいけない」という課題が目の前に積まれているのに、どうしてそれに手をつけないで見ないフリをしたままで日々を送ることができるだろうか。どうせ絶対に100%やらなきゃいけないものならば、しかもそれが「夏休み中に」と決まっているならば、間違っていても手抜きでもなんでも、できる限り素早くその「どうせやらなきゃいけない」ものたちを処理し、無心で片付け、完全に終わらせたところで心おきなく、何の憂鬱もなく残りの夏休みの日々を自由に過ごすべきである。それが子供達にとってふさわしい夏休みのあるべき姿ではないだろうか。

ぼくは自分が真面目だとか、しっかり者だと感じたことはなかった。ぼくは「怠け者」なのだ。真の怠け者だからこそ、心の底から夏休みを怠けるために、敢えて夏休みの最初の3日間だけは脇目も振らずにしっかり頑張り、宿題を全て終わらせるのだ。もちろん日記などは最初の3日ではできないが、そんなものは取るに足らない宿題である。少なくとも無心で処理することが許された問題集などは、最初の3日間で完全に終わらせておくべきだ。それこそが人生を真に怠けるための極意だと言えよう。

絶対にやらなきゃいけないことが終わっていないのに、それを心のどこかで憂いながら怠けているような人間は怠け者失格である。真実の怠け者ならば、何の憂いも心の中に発生させることのない状態や環境をきちんと整えてから、怠け者の世界へと深く埋没すべきだ。真に怠けるためには瞬発的な努力が不可欠なのだ。真実の怠け者は心の底から何の憂いもなく怠けるために、実は真面目な働き者となるという現象にはやや矛盾を感じるが、人間というものは矛盾をはらんだ生き物だし、それがぼくの生き方だった。

ぼくは真実の怠け時間を得るために、「どうせやらなきゃいけない」ことはとっとと先に必死に済ませるクセがあったが、それを勉強に当てはめた結果中学高校で学年トップの成績を6年間維持し続けたので、この方法はあながち間違っていないと言い切れるだろう。ぼくは人生を心の底から怠けられる状態にするために自然と必死に努力し、義務付けられた問題集を次々と終わらせ、その結果として学問が誰よりも得意になっていった。周囲の人々がぼくがいつも学年トップであることを認めて、この子はなんて努力家で向上心にあふれているのだろう賞賛したが、真実はその逆である。ぼくは真実の怠け者であったからこそ、学年トップを維持していたのだった。

真実の怠け者になるためには、後から問題集を答え合わせした際に、間違いだらけであってはならない。間違いが多ければその分だけ、理解し直したりやり直すのに時間がかかってしまい、心から怠けられる時間が減少してしまうからだ。真実の怠け時間を人生においてなるべく増やすためには、問題集を解く精度を上げてなるべく間違わないような頭脳と能力を身につけることが必要だった。人生で怠けたいがために、ぼくが勉強が得意になっていくことは必然だったと言えよう。

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世の中には色々な種類の人間がいるので、もしかしたらまる子はぼくとは違って、夏休みの宿題を完了していなくても本当に夏休みの宿題のことなんてすっかり忘れて、憂うことなく夏休みを楽しめる種類の子供だったのかもしれない。もしそうならばまる子は大物で、ぼくは夏休みの宿題ごときを気にして夏休みを楽しめない小心者ということになる。まる子は将来漫画家として大成功するので、やはり夏休みの宿題なんて気にしない、小さなことなんて考えないという大きな心を持っていないと、大物にはなれないものなのだろうか。しかし実際はどうだったのだろう。

 

 

・さくらももこ著書「あのころ」に記されたまる子の夏休みの宿題の真実

「宿題をためたまる子ちゃん」の中のまる子の気持ちは、さくらももこの著書「あのころ」でより克明に心象描写されていた。「あのころ」によると、さくらももこは本当に夏休みの宿題を最後まで残しておくような子供だったらしい。しかしアニメの最終日1日で全て終わらせたというのは面白くするための大げさな表現で、実際は最後の3日で終わらせていたと記録されている。それでも「宿題をためたまる子ちゃん」のように家族総動員で夏休みの宿題を終わらせたというのは事実で、さくらももこが夏休みのすべての宿題を家族を巻き込むことによりたった3日で効率的に終わらせてしまう様子がより詳細に描かれていて面白い。

まずは工作を父ヒロシに頼む。ヒロシは嬉しそうに快く引き受けてくれるいい父親だったという。次に姉には漫画の手土産でも持って行って、何度断られようがしつこく頼み込むことで同情を買い植物の観察記録をやってもらい、ついでに日記を見せてもらうことに成功する。最後にはお母さんに頼みに行き、ガミガミとお説教されるのを根気よく静かに聞いた後でお願いし、宿題を委ねるのに成功している。

さくらももこ自身は問題集である「夏休みの友」をやろうとするが時間がないので、”しっかり者でお人好しの友達”に助けてもらい「夏休みの友」を見せてもらうことで素早く終わらせることに成功している。あとはそろばんを使って計算ドリルを手っ取り早く終わらせ、読書感想文は3分の1しか読んでいない「赤毛のアン」で間に合わせ、なんと全ての宿題を3日間で終わらせるのだった。家族総動員で夏休みの宿題を終わらせたさくらももこは本の中で次のように回想している。

家族・友人の力を借り、夏休みの宿題は猛スピードで進行していった。大勢の人の力というものは素晴らしいもので、自分ひとりでは決して成し遂げられない労働がみるみるうちに達成されてゆく。夏の終わりに人のありがたさに触れて心が洗われる思いである。

 

 

・さくらももこも夏休みの宿題を最終日まで残すことは憂鬱だった

ではさくらももこは夏休みの宿題をすべて最後の最後まで残していて、本当に心おきなく夏休みを楽しめたのだろうか。そうではなかったことが「あのころ」には詳細に描かれている。

せっかく夏の太陽の下で元気に遊んでいても、宿題のことがチラリと胸をかすめると非常に不愉快になる。特に日記などのように毎日しなければならないものがあると、気分はますます低飛行気味になる。

日記がたまってゆくのを、毎日忘れていたわけではない。毎日”今日も日記を怠けてしまったなぁ…”と心が重くなるのを感じているのである。しかし怠けてしまう。たまっていく日記の量が1日ずつ増えてゆくたびに心の重さも増してゆく。それでも怠け続け、ギリギリまで重たい心を引きずりながら怠けるのだ。

そうこうしているうちに8月も29日になり、やっと本気で”やばい”と目が覚めるのだが、その時には自分ひとりではどこから手をつけたらよいかわからないほど日記がたまっているのである。

やっぱりさくらももこも夏休みの宿題を残したまま夏休みを過ごすことは少なからず憂鬱を感じていたようだ。それならば最初にパッと宿題を仕上げてしまい、その後で清々しい気持ちで夏休みを謳歌すればいいものを、そのように行動しないところがぼくとさくらももこの明らかな違いだったようだ。会ったこともない人との違いを感じてもどうしようもないことだが、やっぱり世間にはいろんな考え方の子供がいるのだなぁと、自分の子供時代とまる子を見ながら思うのだった。「あのころ」に書かれているまる子の考え方はこうである。

こうして私の宿題はみるみるうちに出来上がっていった。もちろん40日分の宿題を3日でやるのだがら、3日間は家族も自分も苦労するのだが、その気になれば3日で済むのだから37日間は怠けていた方が得である。そう思って毎年この習慣はなおらなかった。母は「どうせ3日間苦労をするのなら、最初の3日で済ませてあとはスッキリ暮らした方がどれだけ立派な夏休みになるか、ちょっとは考えなさい」と毎年言っていたが、一度もそんなことにはならなかった。常に29日からが勝負であった。

 

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