中島みゆきがほとんどテレビに出ないのは一体なぜなのか?
TV局でのトラブルが原因?!中島みゆきがテレビに出ない理由を本人の著書から考察する
目次
・中島みゆきはテレビに出ない歌手
ぼくは中島みゆきがテレビで歌う場面を、ほとんど見たことがない。それもそのはずで、中島みゆきはその長きにわたる歌手活動の歴史の中でも、ほとんどテレビに出ないアーティストであるようだ。
ぼくがテレビで歌う中島みゆきを初めて見たのは、2002年の黒部ダムから歌った、第53回NHK紅白歌合戦初出場「地上の星」だった。それはそれは神秘的な圧巻のパフォーマンスで、さらに歌詞を間違えてしまったという話題性も相まって幼心にも強く記憶に焼き付けられた。次に中島みゆきのテレビ出演を見たのは2005年12月28日、NHKの番組「プロジェクトX」の最終回でエンディングテーマ曲「ヘッドライト・テールライト」を高らかに熱唱した。いずれも「地上の星」「ヘッドライト・テールライト」の楽曲が「プロジェクトX」のテーマ曲として使用され世間で大きく話題になったことから来る特別なテレビ出演であるように思われた。
その次にテレビで歌う中島みゆきを目撃したのは2014年、第65回NHK紅白歌合戦の「麦の唄」のパフォーマンスだった。今度は歌詞も間違えず、NHKの朝ドラ「マッサン」の主題歌を主人公達の前で伸びやかに歌いきり、その貫禄を見せつけた。
こんな感じでぼくの人生を思い返しても、中島みゆきがテレビ出演して歌ったという思い出は極めて数少ない。2012年に「恩知らず」が主題歌になったドラマ「東京全力少女」の第1話で掃除するおばちゃんとして出演したり、2017年に「慕情」が主題歌になったドラマ「やすらぎの郷」の第64話でカメオ出演したりもしていたが、ちょっと出ただけで歌うこともなかったので大して印象にも残らなかった。中島みゆきファンでなければ「ただのおばちゃん」として見過ごされていたことだろう。
・デビュー当初はよく出ていたのに、なぜ中島みゆきはテレビ出演しなくなったのか?
しかしYouTubeなどで過去の歌番組などを見ていると、中島みゆきは1970年代のデビュー同時はそこそこテレビ出演して歌っていたような印象だ。その証拠に「時代」「わかれうた」「この空を飛べたら」など数々の楽曲を歌番組で自ら歌い上げる彼女の姿を確認することができる。しかしオールナイトニッポンを開始して人気も絶頂期だった1980年代に関しては全くテレビ出演映像もなく、この頃にはテレビに出演しない方針になっていたことが伺える。
一体なぜ中島みゆきはデビュー当初は活発だったテレビ出演を、時代の流れと共に徐々に拒否するようになってしまったのだろうか。もちろんそれは中島みゆき本人と関係者にしかわからないことだが、彼女の著書の中でその理由が示唆される文章を見出すことができる。それは1984年発売の「伝われ、愛 ー月曜のスタジオからー」という、中島みゆきがラジオ番組オールナイトニッポンのパーソナリティを務めていた頃に感じたことを自ら綴ったエッセイ集である。「伝われ、愛 ー月曜のスタジオからー」の中には次のような文章が残されている。
・著作「伝われ、愛」より、中島みゆきのテレビ収録でのトラブルの記録
スタジオの外では、木枯らしで街路樹が揺れている。
TV局の人が出演交渉に、ニッポン放送へ見えている。
揺れる街を見ながら、数年前のある日へと記憶が走る。
ーTV局の録画は手間取っていた。
数日に渡った打ち合わせの内容と、当日スタジオに入ってみての話が、すっかり違っていて。
担当と、揉めた。時間が経ってゆく。
今更作り替えるわけにはいかないと、向こうは突っぱねる。
内容の違うものに出る約束は無効だと、こっちも譲らない。話し合いをマネージャーに預けて、楽屋に入りっぱなしで待つ。時間が経ってゆく。三十分…一時間…二時間…。
出演予定のミュージシャンの拘束時間が切れる。次の仕事が入っているからと一人抜け、二人抜けしてゆく。
係の人が他のミュージシャンへ電話をかけまくって、トラ(代理)を探す。
まだテレビ局の人との話はつかない。時間が経ってゆく。二時間、三時間…。
トラで来たミュージシャンの拘束時間が切れる。彼らもまた、次の仕事が詰まっている。再び、トラのまたトラを探して、係の人が電話に飛びつく。
スタジオの誰もが声を荒げて険悪になっている。楽屋には暖房が入っているけれぢ、裸足の足にはコンクリートの壁が冷たい。
半日も揉めてどうやら折衷案で互いに変更し合って、録画を終えた頃は、夕闇がそこまで来ていた。
こだわりの漂ったスタジオの雰囲気の中で、衣装からジーンズに着替えると、
早く戸外の空気を吸いたくて機材搬入口で、深呼吸をしていた。
すると、積み上げた機材のすぐ向こう側から、人の声が聞こえてきた。
「思いあがってんじゃないの?」
「ちやほやされてっからさ」
「俺なんか徹夜明けで、これだぜ。ふざけんなってんだよな」
「少し、ガン!と言ってやりゃあいいんだよ、誰か」
今撮り終わったばかりの番組のスタッフの声である。
機材を片付けしながら、喋っているのは、一体誰のこと?
「どうやったって、あれじゃどうせ、大した差なんかないんだから」
「正直言ってスポンサーの意向ってんでなかったら、俺あんなの絶対使わないぜ」
「どうせ一発きりでポシャよ」
「うー寒くなってきたな。これ、これから全部片付けんの?」
「ヤマハさんに文句言ってきな」
機材の陰に私がいることを、彼らは知っていただろうか。知らなかっただろうか。しかし、何度自分の耳を疑ってみても、確かにそこで寒そうに喋っているのは、ついさっきまで、一応といえどもにこやかに番組を作っていた、テレビ局の人々だった。
スタジオは、コンクリートの壁も床も、なんて冷たいんだろう、と、その時思った。
・中島みゆきがテレビ出演しなくなったのは、テレビ局でのトラブルが一因の可能性
「伝われ、愛 ー月曜のスタジオからー」に書かれているこの経験が、中島みゆきをテレビ出演しないと思わせた原因の全てではないにしろ、わざわざこのようにして自らの著書に書き残しているという時点で、彼女の活動に大きな影響を与えた出来事であったのは間違いのないことなのだろう。この文章が示唆している通り、それからというもの中島みゆきのテレビ出演は極端に減ってしまい、本当に特別な事情や恩義がない限りはテレビで歌うことがなくなってしまった。それが逆に容易くテレビで歌う歌手とはかけ離れた神秘性を育んだという事情もなくはないのだろう。
これから先の人生で、中島みゆきがテレビで歌う姿をまた見られるのかどうか、それは誰にもわからない。けれど中島みゆきがテレビで歌う度に圧倒的なパフォーマンスを見せつけ、胸が震わされるほどの感動がもたらされることは事実である。せめてあと1回くらいは、歌う中島みゆきをテレビで見てみたいなぁ。
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