嘘をつきなさい物を盗りなさい!中島みゆき「愛よりも」はなぜ悪を推奨しているのか

 

「嘘をつきなさい 物を盗りなさい 悪人になり
傷をつけなさい 春を売りなさい 悪人になり」

嘘をつきなさい物を盗りなさい!中島みゆき「愛よりも」はなぜ悪を推奨しているのか

・いつも正しいことばかり言う人が信頼に値する人物だというのは本当か?

いつも正しいことや、常識的なことや、道徳的なことばかりを言う人がいる。しかもそういう種類の人々は生きる度に周囲に増加していく。誰もがうまく世渡りしていくためには、正しいことや常識的なことを発言さえしておけば、他人から貶められることもなく足をすくわれることもなく安定した人生を歩んでいけるとわかってくるからだ。

しかしいつもどんな時も正しく常識的に生きられる人などこの世にいるのだろうか。人間というものは必ず間違いながら、過ちを重ねながら生きていくからこそ多面的で趣深いのだ。それなのにそのような間違いや過ちの体験を全く加味しないで、ただ教科書に書かれた通りの正しさや常識を発信するだけの人間なんてどこに人としての味わい深さがあるだろうか。

正しいことや常識や道徳などは、教科書や学校の先生やテレビから教えてもらっている分でもうたくさんである。そんな何度も聞いた分かり切った定型分よりも、人間が生きる度に引き起こす間違いや過ちなど独自の体験を交えた、正しさだけでは割り切れない矛盾をはらんだ真実の人生というものを提供してくれるような人物の方がはるかに信頼できるのではないだろうか。

正しさや常識や道徳の中に居住していれば安全だからとそこから抜け出すことをせずに、正しさや常識や道徳の中にだけ生きているわけでもないのにさもそのようにふるまいながら偽物の正しい人間としてこちらに対峙してくる人物と、人間はどんなに正しく生きようと努力してもどうしようもなく間違ってしまう生物なのだということをしっかりと受け入れ、その上で人生と真剣に向き合っているような人生観を持っている人物と、果たしてどちらが人として信用に値するだろうか。

 

 

・中島みゆき「たかが愛」

該当の歌詞はこちら!

(著作権法第321項に則った適法な歌詞の引用をしていたにも関わらず、JASRACから著作権侵害であるという指摘を受け歌詞を移動しました。)

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・悪を真剣に表現するアーティスト、中島みゆき

歌に関してもそうだが、正しいことばかり歌っているような歌もこの世には存在する。愛は素晴らしいとか、夢を大切にしようとか、恋していて幸せだとか、友情はかけがえがないとか、未来は希望に満ち溢れているだとか、そういうことばかりを明るい笑顔で歌っているようなアーティストもしばしば存在する。しかしそんな理想的で模範的な風景は典型的な学校の教科書の中の世界で十分である。そんな正しくて明るい世界を発信するようなアーティストよりも、間違いや苦悩を真摯に歌に閉じ込めているアーティストの方がはるかに価値があるし、芸術家として信頼できるのではないだろうか。

その観点からぼくは中島みゆきというアーティストを心から信頼している。彼女はこの世で悪だと言われている事項に関しても積極的に取り上げ、悪の中をどうしようもなく生きる人々の心に関しても歌い続けているからだ。間違いや悪を積極的に取り上げる姿勢を貫いている代表的な楽曲に「愛よりも」がある。

おそらくその歌はあまり有名ではなく「グッバイガール」というオリジナルアルバムの中のアルバム曲の一曲に過ぎないが、一度聞いたら忘れられないくらい胸に突き刺さる歌詞が印象的だ。また夜会「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に」ではクライマックスの場面で大迫力の演出で歌われている。

 

・中島みゆき「愛よりも」

該当の歌詞はこちら!

 

・どうしようもない悪への真剣な対峙とその表出

こんなにも積極的に悪を推奨している刺激的な歌詞を、ぼくは中島みゆき「愛よりも」の他に知らない。まるで「悪人こそが救われる」という親鸞聖人の「悪人正機」の日本的仏教思想を聞いているようでもある。どうしようもなく運命的に悪へと進まざるを得なかったこの世の魂たちが、この歌詞によってどれほど救われることだろうか。

人間がいつでも正しい生き方ができるとは決して限らない以上、どうしようもない運命に翻弄されればされるほど、真摯に人生や自分と向き合って生きれば生きていくほどに、自らの過ちや間違いや悪と真剣に対峙せざるを得なくなる。そして次第に、この世の正しさや常識や道徳の中にある浅はかさと偽りに気づかされるのだ。

本当に人生を真剣に生き抜いている人なら誰でも、正しさや常識よりもむしろ、悪や間違いへと視線を導かれることだろう。ぼくたちは人の世を生きていく上で、つい清らかで正しそうな耳障りのよい発言ばかりをするような人間たちに心を奪われそうになってはいないだろうか。しかし非難を恐れず正しくないこと、非常識なこと、人の道から外れたことでさえ積極的に表現し、この世に芸術体として立ち現しているような種類の人間の魂こそ、真に信頼するに値するとぼくは強く感じる。いつも正しいことばかり言い放っているような人に限って、人間としての深みを感じなくはないだろうか。

 

・相対的な世界で揺れ動く「正しさ」と「間違い」

正しくしかこの世を生きていないような人間に、正しさの意味などわかるだろうか。ぼくにはそうは思えない。

正しさや間違いとは、相対的なものである。何もここからここまでが「正しい」の領域で、ここからここまでが「間違い」の領域だと絶対的に決められているわけではなく、人間というものはその場しのぎのなんとなくの感覚で、これは正しいとかこれは間違いだろうとぼんやり裁いているだけだ。ただぼんやり何となく決めつけているだけだから、当然その場の状況や人間の種類によって正しさも間違いも大いにうねるように変化し、移り変わる儚い観念である。

人間の世界というのは大抵そのようにできているが、相対的に正しさがあるからその反対に間違いが発生し、善があるからこそその対極に悪が発生している。すなわち正しさと間違いというのは元々はひとつであり、元来のひとつのものを人間が無理矢理意識によって「正しさ」と「間違い」に分け隔てただけなのだ。つまり正しさとは究極的な間違いでもあり、間違いとは正しさの別名でもある。

 

・正しさの中だけにいたのでは正しさの意味は理解できない

人間の正しさを本当に理解しようとするならば、正しさだけの世界に自分の身を置いてはいけないのではないだろうか。正しさの中でしか生きられない人間が、正しさの意味などわかるはずがないのではないだろうか。

普通「正しさ」の意味を理解しようと思ったならば、「正しさ」そのものに触れまくることが最も適切で最速な方法だと信じ込み、「正しさ」の世界に精神を埋没させようと考えるだろう。正しさの意味を理解したいと考えるならば、ものすごく単純に考えれば、清く正しい人間になれさえすればいいのだと感じてしまうのも無理はない。

しかし既述したように「正しさ」とか「間違い」と表裏一体の相対的な概念だ。すなわち真に正しさの意味を理解したいと努めるならば、正しい世界ばかりではなく、間違いの世界さえ深く究極的に知る必要がある。精神を、悪や間違いの中に徹底的に染め上げたときに初めて、人間は正しさの真の意味を、矛盾するように理解できるのではないだろうか。

たかが正しさの世界の中で生きただけで正しさの意味を理解できると考えているならば、それは大きな間違いだ。真の意味で正しさの感触に触れたいならば、大いに間違い、大いに悪人になる必要があるのではないだろうか。清く正しい人間になりたいというのなら、清く正しく生きようとする真っ当な努力以外に、人間の過ちや間違いの感触を知り、究極的に醜い悪人になることも忘れてはいけないのかもしれない。

 

 

・なぜ中島みゆきは「愛よりも」で悪を推奨しているのか

その観点から言えば悪を推奨する中島みゆき「愛よりも」の歌詞は、真実の正しさや人間世界の真理を追求するに当たって適切な姿勢だと言うことができるだろう。臆病に正しさの中に安住しているだけでは、決して正しさの意味を見出すことなどできない。正しさの中にいれば安全だからと、誰もが非難を恐れて教科書的な正しさの生き方だけを選び取り、模範的な正しさの歌ばかりが街の中に流れている。そんな中において反社会にではなく、むやみやたらと反抗したいという思春期のような未熟さではなく、真理を追求するという真剣で必死な姿勢において、悪を推奨する中島みゆき「愛よりも」の姿は尊いし、美しい。

必死にこの世の中を生きている人ほど、真剣に世界と向き合って対峙している人ほど、正しさという野暮なまやかしの幻想の中だけに留まり続けることをその清らかな魂は許しはしないだろう。清らかな魂は善悪の境界線など超越し、正しきことも、間違ったことも、究極の善も、究極の悪も、全てをその魂全体で実際に感受することを達成したあとで、本当に安らかな真理の世界へと旅立てるはずだ。

自分は正しさの世界の中で臆病にしか生きられない、傷つくことが怖いから悪人にはなれないと憂い惑う必要はない。人間はこの世で生き延びている限り、その時点で既に悪人だ。自分の命よりも生き延びる価値がないからと、牛や豚や鶏やキャベツや人参の生命を殺し食事として奪い取っては、ぼくたちの生命は存続していく。自分が幸福になるためならば他人を蹴落とすのは仕方のないことだ、この世は競争社会なのだと居直りながら、受験勉強や就職試験などでたくさんの人々を押しのけ、我が我がと自分だけの幸福に向かって突き進み、他人を不幸へと陥れている。真実の瞳を開き自らを顧みれば、ぼくたちはこの世に生きている限り、誰もがしぶとく厚かましい悪人だ。

この世に生きている時点で悪人であることが決定しているのなら、真理の世界を追求するために、悪というものと真剣に向き合うことも悪いことではないのかもしれない。

 

 

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