中島みゆき「髪」はただ女が髪を切るだけの歌詞なのに、なぜ底知れぬ女の情念を感じるのか

 

長い髪を好きだとあなた 昔 誰かに話したでしょう?

中島みゆき「髪」はただ女が髪を切るだけの歌詞なのに、なぜ底知れぬ女の情念を感じるのか

・中島みゆき「髪」

該当の歌詞はこちら!

(著作権法第321項に則った適法な歌詞の引用をしていたにも関わらず、JASRACから著作権侵害であるという指摘を受け歌詞を移動しました。)

 

・人間にとって髪とは何か?

中島みゆきセルフカバーアルバム「おかえりなさい」に収録されている「髪」は、「暗い中島みゆき」という昔の固定したイメージにぴったり当てはまる陰鬱な名曲だ。究極的に簡潔に説明してしまえば「女が髪を切る」というただそれだけの歌なのだが、そんな行為の中にも女の情念や覚悟を感じさせるところに、中島みゆきの歌詞のパワーだけではなく「髪」というものに対する人間の異質な感性を感じずにはいられない。

髪というのは人間にとって不思議な付随物だ。めちゃくちゃ大事なものか、絶対に必要なものかと言われれば、それほどではないと誰もが感じるだろう。世の中にはハゲツルピンのおじさんがたくさんいるのだから、それを考慮しても髪が生きていく上で絶対に必要なものだとは言い切れない。ハゲツルピンのおじさんは元気に特に不自由もなく人間としての社会的生活を営んでいるように見えるからだ。少なくとも心臓とか、肺とか、腸とか、腎臓とか、そういう臓器に比べると髪は明らかに重要でないと言い切れる。

 

 

・髪は人間の肉体の中でも特異な存在感を放つ

髪は人体の他の部位と比べても明らかに異なる特性がある。例えば髪は触っても何も感じない。髪を触られて何かを感じるとすれば、それは頭の皮膚で感じ取っている触覚であり、髪そのものに知覚はない。だからこそ人間は、何の痛みもなくはさみで髪を切ることができる。もしも髪に皮膚のような知覚があったならば、ぼくたちは痛すぎて誰も髪なんて切られないだろう。

また髪は放っておくとどんどん伸びてくる。これも人間の他の臓器と比べれば異質である。ぼくたちは生きていく上で、目が伸びたり、腸が伸びたり、腕が伸びたりしない。どんどんどんどん無造作に伸びてくるのは髪の毛かその他の毛、そして爪くらいだ。知覚もなく、どんどん伸びるという不思議な点で、髪と爪は非常によく似ていると言えるだろう。

自分の皮膚だと触れれば痛みや温度を感じ取れるから、あぁこの皮膚は自分のものなのだと簡単に実感できる。しかし髪はそうはいかない。触っても触っても痛くも痒くもないし、熱いのも冷たいのも感じないし、本当にこれは自分なのだろうか、自分のフリをした別物じゃないかとさえ思えてくる。切ってしまえばもやは自分自身でさえなくなる髪は、自分でも他者でもない、その「中間」にある曖昧なものだとさえ思えてくる。

 

・髪に魂や記憶が宿るというのは本当か?

ぼくは今、人生で一番髪が長い。仕事を辞めて旅人になってから約3年間、一度も髪を切っていないからだ。今のぼくの髪は、浜崎あゆみの「Loveppears」のジャケ写が余裕でできるほどに髪が長い。別に「髪を伸ばしたい」という野望があったわけでは決してない。ただ「どうしても切りたくない」という強い思いが心の中に芽生えていたのは事実である。その願いの正体は、自分自身のことなのに自分でもよくわからなかった。

しかし3年間髪を伸ばし続けて少しずつ自分の感性が理解できるようになった気がする。ぼくが髪に何かが宿っていると感じたのだ。それが魂なのか、記憶なのかはよくわからない。しかしぼくは3年間世界の旅をすることを通じて、少しずつ少しずつ、その旅の神聖な記憶や旅で感受してきたものを、髪に閉じ込めているような気がしたのだ!つまりぼくの髪にはその髪と共に生きてきた分だけの、記憶や情念や思いや願いや魂が宿っていると、誰に教えられるわけでもなく、ただ自然と感じ取ったのだった。

 

・髪に込められた女の月日と情念

中島みゆきの「髪」も少なからずこのような感性に基づいているのではないだろうか。男が長い髪が好きだと言ったその日から、腰に届くまで髪を伸ばし続けた女性。腰に届くというくらいだから女が男を思う月日のあまりの長さ、それに伴う女の思いの深さ、悪く言えば執念深さやしつこさやおどろおどろしさまで見え隠れさせる。そしてそんな女の思いの深さや思った月日の長さを蓄えた髪をバッサリ切ってしまうことによって、無理に過去の自分を断ち切ろうとするあまりに女性的な覚悟の仕方!

「髪」という曲は女が髪を切るというただそれだけの曲なのだが、人間の根底に密かに育まれた髪というものに対する感受性を誰もが共通して持っているからこそ、「髪」という曲はただそれだけではなく、女の深い情念の世界へとぼくたちを導いてしまうのだ。

 

 

・衝撃!アシタカが髷を切ることは人間ではなくなることを意味していた

しかし髪が長いというのは何も女だけの専売特許ではないだろう。男だって女と同じように髪は伸びる。ただ今の世の中では男は髪を短くすべきと社会的に洗脳しているから、男が髪を伸ばせないだけだ。しかし歴史の教科書を見てみれば、古代の日本人の男性だって髪が長くて両側で結っていたり、侍だって髪が長かったように見える。男が髪が短くあるべきだというのは今の時代に限ったただの思い込みであり、いつの世もどんな時代もそうであったとは決して限らない。

ぼくが髪について印象深いのは宮崎駿家督の映画「もののけ姫」のアシタカである。映画冒頭の場面でアシタカは、タタリガミから村の乙女たちを守るために矢を放ち、そのせいで死に至る呪いを受けてしまう。人として正しい行いをしたのに呪いを受けるとは不条理だ。アシタカは村を神の呪いを受けた「穢れ」として村を追い出されることになる。村を旅立つ前に、アシタカは自らの髷(まげ)を切る。宮崎駿によると映像「もののけ姫はこうして生まれた」のDisc3の中で、アシタカが髷を切る龍を明確に述べている。

アシタカは村を追われてるんですよ。だから髷を切ってたでしょう?あれは、この村では人間でなくなることを表してるんですよ。

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髷を切るなんて普通に髪を切る行為と同じような気がするのに、古代の日本人にとっては、なんと髷を切ることは人間ではなくなることを示していたというのだ!人間ではなくなったアシタカは「曇りなき眼で真実を見定める」ため、漂泊の民となった。人間なのに人間ではなくなったアシタカは、人間なのか人間ではないのか定かではない中間的存在の髪に重なる部分が確かにある。

 

 

・古来日本人の中間的存在への崇拝

古来より日本人はこの「中間的な存在」を神聖視してきたようだ。

人間なのか人間じゃないのかわからない、聖なのか賊なのかわからない、生きているのか死んでいるのかわからない、男なのか女なのかわからない、まさにその中間にいるからこそこの世で生きづらい生命たちを、古来より日本人は見下すのではなく神聖なものとして崇め奉ってきた傾向がある。どんなに文明が進んで豊かになっても、日本人の根底にはこの中間体への崇拝の気持ちが密かに眠っているからこそ中島みゆき「髪」や宮崎駿「もののけ姫」のような素晴らしい芸術作品ができあがるに違いない。

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