精霊たちの歌が聞こえる。
中島みゆきの樹木をテーマにした歌4「命の別名」
・日本の宗教の源流
・沖縄の何もない聖域は御嶽
・奥深くに隠された本当に大切なもの
・中島みゆきの「命の別名」
・御神体を守護する言葉たち
・中島みゆきの新曲は「進化樹」
中島みゆきの新曲「進化樹」と「離郷の歌」が、テレビ朝日系ドラマ「やすらぎの刻〜道」の主題歌として4月にはテレビで発表されるようである。「進化樹」と「離郷の歌」という名前以外は、詳細な情報はなにひとつないままだが、中島みゆきの歌には木に関するものもたまにあるよなぁと、「進化樹」という言葉を聞いてふと思い当たったので、ここで紹介していこうと思う。
中島みゆきの樹木をテーマにした歌には、一体どのようなものがあるだろうか。
・「命の別名」は3ヴァージョンある
「樹高千丈 落葉帰根」「倒木の敗者復活戦」「阿檀の木の下で」に次いで紹介する中島みゆきの樹木に関しる歌のひとつに、「命の別名」がある。この歌は木をものすごくテーマにしているというわけではないが、ぼくの中で歌詞の「木」が出てくる部分に思い入れがあったので紹介してみようと思う。
「命の別名」は中島みゆきの35枚目のシングル曲であり、もちろん後発のシングルコレクションSingles2000にも収録されている。この比較的穏やかなシングルヴァージョンとは異なる、圧倒的な激しいロック調の「命の別名」も存在しており、それは25枚目のオリジナルアルバム「わたしの子供になりなさい」に収録されており、この激しいロックヴァージョンはベストアルバム「大銀幕」にも収録されている。
またそれとは別に中島みゆきコンサート「一会」でもロック調のこの曲が披露されており、「一会」においては「阿檀の木の下で」に続いて絶唱され、このコンサートの核心的な部分として披露された。この音源は「一会」のライヴCDでも手に入れることができる。すなわち、シングルヴァージョン、アルバムロックヴァージョン、ロックヴァージョンの一会ライヴヴァージョンの3種類が「命の別名」には存在することになる。
ぼくがこの歌の「木」の歌詞に関して思い入れがあるのは、日本人という民族が何を信仰しているのかを思考してからである。
・日本の宗教の源流
神社というものは、神様にお祈りする場所である。神社というものは、宗教的には神道と呼ばれるものに属し、この神道は日本独自の宗教である。日本の神様の物語は、日本の神話古事記を読むことにより理解することができる。
その源流はイザナミとイザナギから始まり、その子孫として天照大神や須佐之男命などが誕生し、日本の大きく重要な神社では、これらの神様が祀られていることが多い。その天照大神のはるかなる子孫が今の天皇に繋がるということで、ぼくたち日本民族は神様の子孫としての天皇を現代の時代まで大切に思っている。
今の日本の宗教を見ていると、神道と仏教がメインであるように見受けられる。その他には、寺や神社などの建築物はないものの、儒教の潜在的な影響は確かに大きいものがあると思われる。しかしぼくは日本民族の精神の源流をいつも考えてしまう。
7世紀にインド由来の仏教がこの国に入り込んだ。仏教という新興宗教の前には、神話による神道が最も栄えていた。それでは神話による神道という新興宗教が栄える前には、日本人は一体何を信仰していたのだろうか。日本の民族というものは、仏教という哲学的な宗教や、神話という物語によって形作られた神道に支配される前は、一体何に対して祈っていたのだろうか。その答えは、神社の奥深くを見ればわかるような気がする。
神社というものは、今は天照大神や須佐之男命などをメインに祀っているが、その前からその場所は、何かしらの聖地だったのではないだろうか。その前から人々はその場所において何かに対して祈っており、それが時代が経つにつれて、神話の物語が精神の中に入り込み、神道の聖地すなわち神社として成立したのではないだろうか。つまり、神社と神道の関係は後の時代の後付けであり、人工の物語に支配される前に、本来はもっと違う根源的な何かに祈っていたのではあるまいか。
・沖縄の何もない聖域は御嶽
琉球諸島の石垣島を歩いていると、よく鳥居を見つける。鳥居というものは神社を示すものであると言われるが、琉球諸島に関してはその限りではないだろう。おそらく古事記の神話の神様と縁のない可能性も高い。鳥居は、聖域であるということを示すために設けられており、その正体は御嶽であると思われる。御嶽とは、琉球諸島における祈りの場である。
この御嶽には本来何もない。何もない聖域の場だ。その何もないということに、芸術家の岡本太郎はものすごく感動して、彼は民俗学的な観点から沖縄の本を何冊も出している。その中でも最も面白いのは、沖縄文化論という本である。この本の興味深いところは、客観的に沖縄を観察するわけでなく、それは日本の本来の姿だと確信して話を進めていくところだ。
今は日本の神社でも、古事記の物語によって支配され、壮麗な建築物などが建てられているが、本来は沖縄の御嶽のように何もない聖域であり、本来日本人もそのような何もない聖域で祈っていたのではないかと考察するのである。そしてそれが、琉球諸島の人々のみならず、日本民族の本来の祈りの姿だと主張する。
・奥深くに隠された本当に大切なもの
現在の琉球諸島の御嶽には、何もないところもあるが、時代の流れとともに建築物があることも多い。しかし、石垣島などで鳥居を潜り御嶽に入り、その質素な建築物を超えて、裏側へと回ると、そこには必ずと言っていいほど、古い樹木や、怪しげな石が置いてある。ぼくが直感的に思うのは、表の建築物よりも祈りとして大切なものは、この裏にある樹木や石なのではないかということだ。本来琉球諸島の人々や、さらには日本民族はこの木や石や水を大切に思い信仰の対象としてきたのではないだろうか。
御嶽には何もないと言っても、そこにはただ木や石や水だけがある。古代の人々はこの木や石や水をささやかに祈り、信仰し、それゆえに立派な木があるところ、怪しげな石があるところ、清らかな水が流れるところを聖地とし、祈り続けてきたのではないか。ぼくたちは神社に行き、看板でどんな神様が祀られているのかの説明文を読むことが多いが、そのような神様の物語が付け加えられる前からずっと、そこはずっと古代の人々にとっての聖域であり、彼らは木や石や水の精霊に思いを馳せていたのではないかと考えるのである。
・中島みゆきの「命の別名」
物語によって覆い隠された信仰の姿を暴いていけば、日本民族は木や石や水の精霊を心から信仰しているのではないかという直感とともに、ぼくの脳裏にはあるひとつの歌が流れ出した。中島みゆきの「命の別名」である。
”石よ木よ水よ ささやかな
ものたちよぼくと生きてくれ”
”石よ木よ水よ ぼくよりも
誰も傷つけないものたちよ”
彼女の精神もまた、日本の信仰の奥深くに隠された正体に気づいていたのかもしれない。そういえば、中島みゆきコンサートの「一会」では、彼女の歌の歴史上で唯一沖縄のことを歌ったとされる「阿檀の木の下で」でコンサートの核の部分で歌い上げたその後に、この「命の別名」を激しく歌ったことがあった。そこには戦争という人間の殺し合いと弱者を虐げる人間の性質を憎み、平和を願う気持ちが込められているように見受けらえたが、純粋な信仰の姿においても繋がっている流れだったのかもしれない。
・御神体を守護する言葉たち
神社における表面的な建築物よりも、その奥の暗がりにある木や石や水の方が実は重要ではないかという直感的なひらめきは面白い。ぼくは神社だけではなく、人間に接する際にもこのように見てしまうきらいがある。
例えば人間と会話していても、その人が発する表面的な言葉には目もくれずに、その人が心の憶測で何を考え仕向けており、その発する言葉によって、どうぼくに思わせたいのか、どうぼくを操りたいのか、その人がどう自分のことを思われたいのか、それだけを静かに見抜くことに周流している。もちろんぼくも表面上はその人の話を傾聴し、きちんと頷き、笑ったり騒いだりしながら会話するのだが、ぼくの人間を見透かそうとする奥底の精神はあくまでも静寂だ。
ぼくはこの祈りの考察を、自分のブログにも当てはめようと努力した。すなわち、ブログには後から後からいろいろな記事を付け足して行くけれども、本当に大切な、まるで神社の奥の暗がりにあるような、木や石や水の精霊のように、真に祈りの対象となるような神聖なものは、ブログの奥深くの暗がりに隠しておこうと思ったのである。
そのような御神体とも言える記事は次のような文章である。そしてぼくの言葉のブログは、実はこの大切な聖なる炎を守護するための、幻の建造物なのかもしれない。