野望はあるか義はあるか?
“武士道”と中島みゆき「I Love You, 答えてくれ」と「コンサート2007歌旅」との関係性について
目次
・特異なオリジナルアルバム「I Love You, 答えてくれ」
(著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていたにも関わらず、JASRACから著作権侵害であるという指摘を受け歌詞を移動しました。)
威勢のよい歌声とどことなく古風で封建的な歌詞をまとった「本日、未熟者」の曲から始まる、中島みゆきの2007年発売の35枚目のオリジナルアルバム「I Love You, 答えてくれ」は、そのアルバム全体を通して活きのいい中島みゆきで満たされている。パワフルで、溌剌としており、上を向き前を向いて歌っているような潔い気持ちよさであふれている。
だからと言ってただ単に元気いっぱいのアルバムという訳ではない。その潔さの裏には、社会でうまく生きられずにもがいている不器用な心、うまく生きようとするあまりに人の心を失くしそうになるもどかしさ、言いたいことを言えずに耐え抜くより他はない虚しさ、利益や損得ばかり追求してしまう悔しさなどが押し込められて濃縮されている。
人はあまりに多くのいたたまれない運命に押しつぶされそうになると、落ち込むよりもかえって潔く笑って勇ましく生きようと開き直ってしまう。このアルバム「I Love You, 答えてくれ」の率直さは、そんなどうしようもなさの裏返しなのかもしれない。
・コンサートツアー「歌旅」の舞台芸術のテーマは「武士道」だった!
アルバム「I Love You, 答えてくれ」は、中島みゆきの歴史の中でも特異な位置付けにあるアルバムだ。世の中の彼女につきまとう印象と言えば、仄暗い女歌のイメージ、フラれてばかりの恋歌のイメージ、重くて励まされる応援歌のイメージなどが多く、実際に彼女の作品の中にはそのようなものも多いが、その中にあって潔く、勇ましく、快活な中島みゆきの新たなる側面がこの「I Love You, 答えてくれ」に凝縮されており、他の彼女の作品と比べても異彩を放っている。
2007年周辺のこの時代の彼女に何があったのだろう。このアルバムの潔さや勇ましさ、率直さはどこからやってくるのだろう。そんな疑問を解く鍵が単なるいちリスナーに与えられるはずもなく、謎は謎のままに時は流れた。時が流れすぎて「I Love You, 答えてくれ」のアルバムさえそんなに聞かなくなった頃、不意にその疑問に対する鍵が与えられた。それはあるひとつのインタビュー記事である。
それは美術監督を務めている堀尾幸男さんという方の記事だった。なんとこの方は「I Love You, 答えてくれ」が発売された直後のコンサートツアー「歌旅」の舞台セットを手がけた方であるというのだ。そしてこの舞台セットのテーマは、中島みゆきからの要望で「武士道」だったことが明かされたのだ!なんでも中島みゆきから「今回のコンサートのテーマは武士道」だと告げられたという。(https://www.1101.com/horio/2008-06-18.html)
実際のツアー中には中島みゆきから「武士道」という言葉が発せられたことはなく、舞台美術については「こっちが未来であっちが過去、ここが今」というような曖昧な説明が為されるに留まっていた。オリジナルアルバム「I Love You, 答えてくれ」が発売された直後のコンサートツアー「歌旅」の誰にも明かされていなかった裏のテーマが「武士道」だったとすれば、その直前まで製作されていた「I Love You, 答えてくれ」の中にも「武士道」への思いが潜んでいると予想されるのは必然だろう。そう思って「武士道」を意識しながらじっくりとアルバム「I Love You, 答えてくれ」を聞いてみると、その端々に日本古来の「武士道」の精神が感じ取られ、ストンと腑に落ちたように気分になった。
・武士道における”義”と”情け”と”恥”の意味合い
思えばアルバム「I Love You, 答えてくれ」の1曲目の「本日、未熟者」から、”義”や”情け”や”恥”など「武士道」的な観念が歌詞として刻み込まれている。ここからもはや既に「武士道」の香りが感じ取れるというのは言い過ぎだろうか。そしてアルバムの第1曲目という重要な位置に、このように「武士道」的な楽曲が設置されているということは、このアルバム全体が「武士道」の淡い香りを匂わせていることを示唆しているようでもある。
「本日、未熟者」のように、打算や銭勘定や裏切りが渦巻く社会の中で、誇り高く勇ましく清らかに泥臭く生き抜いていこうという勢いあるメッセージは同アルバム内の「顔のない街の中で」「サバイバル・ロード」「背広の中のロックンロール」「I Love You, 答えてくれ」へと引き継がれ、このアルバム全体の色彩とも言える美しさを醸し出している。
「武士道」と言えば、かつて五千円札の顔でもあった新渡戸稲造の著書「武士道」が真っ先に思いつく。歌詞の中に出てくる「義」とは何か?新渡戸稲造の「武士道」の中にはこのように書かれている。
「義」はさむらいの行動規範の中で最も拘束力の強い掟である。
義は、道理に従ってためらうことなく、何をなすべきかを決断する力である。死ぬべき時は死を選び、討つべきときには討つことを選ぶ力である
義は、人の体に例えて言うならば、体を支え、姿勢を保つ骨のようなものである。骨がなければ首も据わらないし、手を動かすことも、足で立つこともできない。だから義のない人間は、どんなに才能や学問があってもさむらいになることはできない。義さえあれば、技芸があろうがなかろうが問題ではない。
孟子によれば、義とは、失われた楽園を取り戻すために辿らねばならぬ、まっすぐで狭い道である。
また「恥」についての記述はこうである。
名声、すなわち「人の評判」、そしてシェイクスピアの言うところの「体が死んでも残り、それがなければ人は獣でしかないもの」は、当然のことながら、その完全性を損なうようなものを恥ととらえる。そして、恥を知ること、すなわち「廉恥心」は、武士の子弟教育において早くから教えられる徳目のひとつであった。
「人から笑われるぞ」とか「名を汚すぞ」とか「恥ずかしくないのか?」という呼びかけは、悪い行いをした少年を正すための最後の切り札だった。このように名誉心に訴えることは、少年の心の最も敏感な場所に触れることであった。名誉心というのは両親の影響を受けて育つ徳目であり、その背景には強い家族意識がある。さむらいの子は母親のお腹にいる時から名誉という栄養を与えられて育つようなものだからである。
エデンの園であの「禁断の果実」を食べてしまった結果として、人類が被った最初で最悪の罪は、私の考えでは、出産の苦しみでもなければ、地に生えたイバラやアザミでもなく、羞恥心が芽生えたことである。人類最初の母イブが、胸を波打たせながら、震える手に粗末な針を持ち、憂に沈んだ夫アダムが摘んできた数枚のイチジクの葉を縫い合わせる場面ほど切ない光景は、長い人類の歴史でもあまり例を見ないように思う。この、神の言いつけに背いたことに対する最初の報いは、ほかの何ものもなし得ないほど執拗に、私たち人類につきまとって離れようとしない。その後人類は裁縫の技術を大いに発達させたが、いまだに羞恥心を完全に消すことのできるエプロンを縫うことには成功していない。
「情け」についても本の中では次のように言及されている。
日本には「武士の情け」という言葉がある。「軍人の持つ優しさ」といった意味だが、これには私たちの心の中に歩き高い気持ちに強く訴えかける響きがある。それは武士の情けが、ほかの人間のそれとは異なる特別なものだからというのではない。その情けが盲目的な衝動からくるものではなく、義に照らして必要だと認識されたものであり、単なる心の状態ではなく、生かすも殺すも思うがままという力を背景にした覚悟がそこにあるからである。
・名曲「I Love You, 答えてくれ」の中に見る損得勘定からの解脱
アルバム「I Love You, 答えてくれ」の最後には、表題曲「I Love You, 答えてくれ」が置かれている。この曲は世間一般に有名ではないが紛れもない名曲であり、聞くたびに心を揺さぶられる稀有な歌である。この曲もアルバム「I Love You, 答えてくれ」に渡って共通している活きのいい中島みゆきの叫ぶような歌声が響き渡り、心に染み入るまっすぐで率直で屈託のない歌詞が自分の中の心の純粋で柔らかい部分と呼応してこれまでにないほどの感動を巻き起こす。
合理的で経済的に物事を考えることが当たり前になっている人間社会の中で、見返りを求めない”与える”という姿勢を貫く純粋な歌詞に不意に出会うと、ハッと驚かされ、効率的に利益を得られればいいのにと思い悩んでいる自分自身を反省させられる。
新渡戸稲造の「武士道」の中には、次のような記述がある。
さむらいは金銭そのものを嫌い、儲けることや貯めることを軽蔑する。さむらいにとって金銭は不浄なものだった。堕落した世の中を表現する決まり文句も「文民は金銭を愛し、武士は命を惜しむ」というものであった。金銭や命を出し惜しめば非難され、気前よく差し出せば賞賛された。よく言われる教訓にも「何より金銭にとらわれてはならない。富めば知恵が出なくなる」というのがあるほどだ。したがってさむらいの子供は、経済とは全く無縁のままで育てられた。経済のことを口にするのははしたないこととされ、貨幣の価値を知らないことはむしろ育ちがいい証拠だとされた。
数の知識は、軍勢を集めたり、恩賞や知行の分配をするのに不可欠ではあったが、金勘定は身分の低い者の手に委ねられた。多くの藩において、財政は下級武士や僧侶が担当した。道理をわきまえた武士ならば、金がなければ軍資金すら賄えないことをよく知っていたが、それでも金銭を大事にするのを美德だとするまでには至らなかった。
武士道が節約を旨としていたのは事実であるが、それは経済的な理由からではなく、節度ある生活を送るためであった。贅沢は人間の最大の敵だと考えられ、さむらいは極度に質素な生活を送ることが求められた。そのため多くの藩では贅沢を禁止する法律が出された。
歴史書を読むと、古代ローマでは、税金の取り立てなど、金銭を扱う役人が騎士に抜擢されたりしている。ローマ帝国が財務担当者の役割や、金銭そのものの重要性を大いに評価していたことがわかる。そのことが、ローマ人が贅沢で強欲だったということと大いに関係しているであろうことは想像がつく。武士道ではそうではなかった。財務的な知識は低く評価され、道徳的、知的な素質より下に見られていた。
したがって武士道は、金銭や金銭欲を努めて無視していたため、金を原因とする様々な害毒に犯されることがなかった。これが我が国の役人が長いこと腐敗から逃れられた大きな理由である。
この曲を聞いてひどく心動かされるのは、打算や損得、利益を考える心から遠く離れて生命を泳いでいくという純粋で清らかな古えの日本人の「武士道」の香りを、どこかに感じ取るからなのかもしれない。日本人の精神の中に今もなお確実に眠っている「武士道」の予感を感じさせる中島みゆきの名作アルバム「I Love You, 答えてくれ」とその年のコンサートツアー「歌旅」の完成度は非常に高く、これらの作品に触れる機会のなかった人はぜひこの感動を味わってみてください。