国試浪人は普通に楽しい!!!!!
国試浪人は辛く恥ずかしい?医師国家試験不合格後の浪人生活は意外と充実した楽しい日々だった
目次
・ぼくは予備校で国試浪人することになった
ぼくは医師国家試験に不合格となり、国試浪人することになった。自宅で宅浪する人もあるらしいが、それだと誰とも話せなくてつまらなさそうなので、ぼくはMECという大阪梅田の予備校で浪人することになった。そこが実家からいちばん近い予備校だったのだ。MECで不合格だった医師国家試験の点数の結果を見せると、総論も各論も必修も基準点に達していなかったのでチャーターの人に驚かれた。こんなに悪い点数は見たことがないと言われたが、そもそも国試の勉強を全然していなかったのだから仕方ない。この予備校で今まで全く知らなかった医師国家試験対策について手取り足取り教えてくれるらしいので楽しみだ。
MECの授業は朝から夕方まであり、それからは自習時間だった。ぼくは勉強することが苦痛ではなくむしろ好きだったので予習復習をきちんと行い、授業のない土日も毎日予備校に通い、夜は終電になる23時まで自習していた。それを1年間1日も休まずに続けた。そうすると勉強ばかりしているとてもつらい日々なのだろうと思われるかもしれないが、その逆に浪人生活はとても楽しかった。世間のイメージでは浪人=つらい日々という固定観念が栄えているが、ぼくの場合は全くの真逆だった。世間の噂なんて嘘つきだと思わずにはいられなかった。以下ではぼくが浪人生活で楽しかった点を述べていこうと思う。
・ランチやディナーで美味しいお店を開拓することができる
まず新しい環境というのはとても新鮮で刺激的だった。大阪のMECは梅田の大都会のど真ん中にあり、ぼくにとっては未開拓の場所だった。大阪といえば難波周辺でしか遊ぶことがなかったので、北の梅田は全く知らない場所だらけで毎日来る度に新しい発見があって楽しかった。
お昼ご飯の休憩も1時間あるので外へランチにも出かけられるし、夜もそこらへんのお店でゆっくり食べることができる。どんなに新しい店を訪れても他にもまだ行ったことのないお店がたくさんあるので飽きることがなかった。梅田のグルメを開拓するという点だけでも、MECは絶好の位置にあった。
梅田の真ん中にあるので誘惑が多いと言われればそうかもしれないが、ぼくは自制が効いたので食事という必要な時間以外はMECの自習室でずっと勉強していた。
・毎日デパ地下巡りを楽しめる
梅田駅も近かったので、デパ地下巡りという新しい趣味を発見することができた。これは夕ご飯を外に食べに出かけるよりもデパ地下でパッと買ってMECの中で食べた方が安上がりだし時間もかからないとわかったからだった。デパ地下は意外と、スーパーのように18時以降は半額になったりするのでお得だった。デパ地下だけでも多種多様な美味しい食事を見つけることができ、毎日デパ地下に通っていても飽きることなく夕食をまかなえるくらいにラインナップが豊富でデパ地下の素晴らしさを実感した。あまりに毎日デパ地下で買い物して来るので、いつしかぼくは「デパ地下王子」という称号を与えられたりしていた。
ご飯だけでなく定番のお菓子や新商品などをついでに買ったりして、ぼくはデパ地下ライフを満喫していた。
・他の大学出身のたくさんの友達ができる
他の大学出身の友達がたくさんできたのも、予備校のいいところだった。いろんな地方から集まって来る様々な人々と交流できるというのは、まるで異国を旅しているようで楽しかった。ぼくは大学が沖縄だったので他の医学部生の交流など大学時代はほとんどなく新鮮だった。
予備校での友達というのは意外と重要で、一緒にご飯を食べたりするのも大切だけど、もっと重要なのは勉強会をする仲間を見つけるということだった。ぼくの場合は、中学まで日本でいたけれど高校からアメリカに行ってそのまま就職し、アメリカで働いていたのにハンガリーの医学部に入り、さらに帰国して日本の医師免許をとるために頑張っているという、年齢不詳の謎のおじさんと親友になり、毎日そのおじさんと勉強会をしていたのがとてもいい成績へと繋がった。
医学は究極的には暗記しかしていないので、ひとりで暗記していてもやりがいを感じなかったりつまらないと感じるときは、ホワイトボードに謎のおじさんと2人で覚えるべき全ての項目を何も見ずに書き出して、記憶力を競うゲームのようにすると楽しく覚えることができた。
・社会の部品にならず、人間らしい豊かな生活を送れる
同じ予備校の友達で、たまに自分が浪人生であることが恥ずかしいとか、友達はみんな医者として働いているのに自分はまだ勉強をしていて情けないという人がいたが、本当にそうなのだろうか。よく他人を見ていて思うが、そんなに自分のことを見下さなくてもいいのではないだろうか。自分を見下していたり、自分はダメな奴だと思い込んだり、自分を恥ずかしいと感じることなんて、はっきり言って時間の無駄である。そんな風に自分を見下しながら生きても、何の得にも利益にもならないのだから、自分を見下しながら謙虚に生きるなんてぼくの中ではとても頭の悪いことだと思う。
人間には様々な事情があるのだから、どのような結果になろうと自分が精一杯やってきたならばそれでいいではないか。精一杯やってきた自分を褒め称え、後悔することなくこの先を突き進むべきである。世間の人間からどう思われているかということを気にするのもよくない。世間の人間なんてあなたの事情を何も知りやしないのに、ただ無知の中で他人をひたすらに暇つぶしとして裁いているだけだ。そんな愚かな裁きや判断は全くのデタラメで間違いだと断言されるものである。
だいたい医者として労働していることがそんなに羨ましいことだろうか。ぼくには全くその感性が理解できなかった。労働者として社会の部品になりながら個人の幸福を踏みにじられて生きているよりも、自分の幸福だけを求めて生きられる何にも属さない浪人生の方が、人間としてふさわしい生き方ではないだろうか。ぼくは今となっては医者になっているが、後から思い返してみても、朝から晩まで1日中働き、週に1〜2回は夜も当直で眠れない日が設けられ、土日も全く休むことなく病院で無給で労働させられていた医者の日々を思うと、予備校時代の方が人間らしく豊かな生活を送っていたなぁと今でも思う。
・何にも属さない「浪人」という言葉がぼくにとっては心地よかった
「浪人」という言葉には、勉強ばっかりしなければならない不安で先の見えないつらい日々というイメージがあるだろう。しかしぼくはこの浪人という言葉がなんとなく好きだった。浪人とは本来、故郷を離れいろんな国を彷徨い歩いて旅している人のことを指しているようだ。それが転じて何にも属さずにフリーターとして勉強している現代の受験生のことを浪人生と呼ぶことになったのだろう。
ぼくは旅する魂を持っていたので、どちらかというとこの浪人という言葉にポジティブなイメージを持っていた。何にも縛られずに自らの力で異国を彷徨い歩いているなんて勇気があるしかっこいいではないか。さらに浪人の何にも属さないという点が、同性愛者のぼくにとって男にも女にも属さないような感性と共鳴するのだった。
何にも属さないなんて素晴らしいことではないか。何かに属していると安心ではあるものの、人間は愚かしく比較したり競ったり傷つけ合ったりして迷妄の世界へと突入する傾向がある。ぼくには何かに属して誰かをいつも傷つけているような種類の人間よりも、何にも属さずに魂を彷徨わせて、誰を傷つけることもなくただ誰かに傷つけられているような人間の方がマシだし、好ましいと思われた。
そんな浪人という言葉と自分の感性が共鳴していることが理由かどうかわからないが、ぼくには世間のイメージとは全く異なり、浪人生活というのがとても楽しかった。他の人がなかなか経験できないことをやるなんて面白いことではないか。しかも大学生でも医者でもなく、何にも属さないでただ生きているという感覚が、異国を彷徨い歩いているようで旅人の魂を持つ者としてはとても心地よかった。どちらかというと大学生や医者として、何かに属している方がぼくにとって違和感があったのだ。
心配しなくてもすぐに医者となって、また何かに属してしまう時が来る。ぼくにとってはその方が、少し残念でさみしかった。浪人なんてすぐに終わってしまう人生で珍しい時間なのだから、むしろ希少なものとして何にも属さない浮遊感を尊く思い、慈しみながら浪人生活を過ごしていた。