異性愛者(ノンケ)へ叶わない片思いをしてつらい同性愛者(ゲイ)が聞きたい中島みゆきの隠れた名曲18選
目次
・中島みゆきの歌は万能だ
中島みゆきの歌は万能だ。中島みゆきの歌の中には、自分は特殊な環境下にいるのだからそれにあった歌なんてないだろうと思われてしまうような状況においても、自分にピッタリと当てはまってしまい心にしみる楽曲たちが見つかってしまうから不思議だ。今回は「異性愛者への叶わない片思いをしている同性愛者が聞きたい中島みゆきの隠れた名曲18選」を紹介する。自分の力ではどうしようもない絶望に立ち尽くしたときでさえ、中島みゆきの歌はぼくたちを見放したりはしない。
・化粧
化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど
今夜死んでもいいから綺麗になりたい
こんなことならあいつを捨てなきゃよかったと
最後の最後にあんたに思われたい流れるな涙 心でとまれ
流れるな涙 バスが出るまでバカだね バカだね バカだね わたし
愛してほしいと思ってたなんて
バカだね バカだね バカのくせに
愛してもらえるつもりでいたなんて
(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)
最近頻繁に男性アーティストからもカバーされている「化粧」の歌詞における、「愛されるはずもないのに愛してもらおうと思っている自分はバカだ」という救いのない思いは、まさに同性愛者が異性愛者に恋心を抱くときの感情にピッタリと重なる。
・かもめはかもめ
あきらめました あなたのことは
もう電話もかけない
あなたのそばに誰がいても
うらやむだけ悲しいかもめはかもめ
孔雀や鳩やましてや女にはなれない
あなたの望む素直は女には
はじめからなれない大空を渡るよりも 見たい夢はあるけれど
かもめはかもめ ひとりで空を 行くのがお似合い
同性愛者(ゲイ)が異性愛者(ノンケ)を好きになってしまった場合、その恋が絶望的なのは相手が男性ではなく女性を好きだからだ。好きな人が女の子の話を嬉しそうにするとき、誰しも自分が女性だったらこの人に愛されるかもしれないのにと願ってしまうことがあるだろう。けれどぼくたち男は、決して女にはなれない。まぁ今の時代なれないことはないが、生まれつきの女性には絶対になれないのだ。そんな絶対的な真理を見抜くかのように、中島みゆき「かもめはかもめ」は歌われる。「かもめはかもめ 孔雀や鳩やましてや女にはなれない あなたの望む素直は女には はじめからなれない」と。ぼくたちはあの人が大好きな、女には決してなれない。
・この空を飛べたら
空を飛ぼうなんて悲しい話を
いつまで考えているのさ
あの人が突然戻ったらなんて
いつまで考えているのさ暗い土の上に叩きつけられても
こりもせずに空を見ている
凍るような声で別れを言われても
こりもせずに信じてる 信じてるああ人は昔むかし鳥だったのかもしれないね
こんなにもこんなにも空が恋しい
「この空を飛べたら」の歌詞では、愛する人が戻って来るということを「人が空を飛ぶ」という行為に例えている。すなわちあの人が戻ってくるということは、人が空を飛べるということくらいあり得ないことだ、可能性のないことだと絶望的に歌っている。「この空を飛べたら」の歌全体に漂っている可能性がない、望みがないという思いは、まさに同性愛者が異性愛者に抱く片思いの感情と共鳴を引き起こす。
・涙 -Made in tears-
だめかもねと怯えていたんじゃないの
やっぱりねと笑えば筋が合うわ今頃どうしておいでだろうか
今夜は煙草が目にしみる男運は悪くなかった
あんないい人いやしないもの
男運は悪くなかった
Made in tears…
「だめかもねと怯えていたんじゃない、やっぱりだめだとわかっただけだ、はじめからわかっていたことがそうだと明らかになっただけだ」という歌詞も、絶望的な叶うはずのない片思いの心の中で悲しく響き渡る。それでも愛した人を悪く言えるはずなんてない「男運は悪くなかった」という歌詞が、いじらしさを感じさせる隠れた名曲だ。
・夢だったんだね
身の程少し思い知っていたら
人生に悲しみはほとんどないのに
願いと予感は間違えやすい
信頼と期待はあまりにも似ている必要とされることがあったよと
舞い上がって空に感謝したよ
同性愛者が異性愛者に愛されるはずがないことは、誰が考えてみても明らかである。したがって”身の程をわきまえている”同性愛者であれば、異性愛者なんて好きになるはずなんてないのだ。愛されるはずがない異性愛者を好きになっても仕方がない、自分のことを愛してくれる可能性のある同性愛者の恋人でも探すべきだと合理的な思考では判断されるだろう。しかし恋に落ちてしまえば人は合理的で賢い判断がつかず、まさに”身の程をわきまえない”恋でも必死になって好きになってもらおうと頑張ってしまうものだ。他人から見れば身の程をわきまえない恋をしている姿は滑稽だろうが、恋というものは身の程をわきまえないから恋なのであり、自分自身で恋する心をコントロールできる人はいない。しかし絶対に叶わない恋をすること、身の程をわきまえない恋をすることは、結局人生に深い悲しみをもたらす結果となることがほとんどであることが「夢だったんだね」の歌詞には記されている。
・はじめまして
シカタナイ シカタナイ そんな言葉を
覚えるために生まれてきたの
少しだけ 少しだけ 私のことを
愛せる人もいると思いたいはじめまして 明日
はじめまして 明日
あんたと一度 付き合わせてよ
ぼくたちはどうせ叶うはずがない、思いが実るはずがない、愛した人に愛されるはずがないということを、教え込まれるためにこの世に生まれてきたのだろうか。異性愛者に恋してしまう同性愛者はその恋が叶わないあまり、この人生では愛する人と結ばれないのは「仕方のない」運命だと心のどこかであきらめてしまう。しかしそんなどうしようもない変えがたい運命の中を泳いでいる最中であっても、「仕方のない」という自分の心を支配している言葉に対する反発や、もしかしたら自分は愛されるかもしれないという期待を胸に生きてしまうのが、諦めの悪い人間としての自然な感情だろう。「シカタナイ シカタナイ そんな言葉を 覚えるために生まれてきたの」という悲しい嘆きが心に突き刺さる名曲。
・最愛
2番目に好きな人
3番目好きな人
その人なりに愛せるでしょうでもいちばんに好きだったのは
わたし誰にも言わないけど 死ぬまであなた
いちばんに好きな人の名前を、ぼくたちは誰にも明かせないし誰にも言えない。大抵は誰にも話すことなく、世界中の誰も知ることなく、異性愛者への恋心は自分の中で閉ざされたまま時を渡っていく。「でもいちばんに好きだったのは わたし誰にも言わないけど 死ぬまであなた」というフレーズが、自分の隠された恋心のことを歌っているようでもあり胸に響く。
・肩に降る雨
あの人なしでは1秒でも
生きてはいけないと思ってた
あの人がくれた冷たさは
薬の白さよりなお寒い肩に降る雨の冷たさは
生きろと叫ぶ誰かの声
肩に降る雨の冷たさは
生きたいと迷う自分の声肩に降る雨の冷たさに
気づかぬまま歩き続けてた
肩に降る雨の冷たさに
まだ生きてた自分を見つけた
どうせ恋した人に愛されないとわかりきった人生を生きていく意味なんてあるのだろうか、そんな風に心が迷って「もう生きていたくない」と絶望の中感じてしまう日もあるに違いない。けれど心のどこかでまだ生きていたい、もしかしたら頑張って生きていたらいいことがあるんじゃないかと、ささやかな希望を抱いてしまうことも事実だ。生きたいと願っているのは、一体誰なのだろう。生きろと叫びかけて来る人は、一体誰なのだろう。自分なのか、他人なのか。そんなことを不思議に思いながら、雨の日にこの歌を聞くことで泣いてしまう。
・エレーン
生きてもいてもいいですかと誰も問いたい
その答えを誰もが知っているから誰も問えない
自分が人を好きになることで自分は罪人になっていく、自分が人を愛することで大切な人々が傷つくという罪悪感は、同性愛者の恋心を密かに取り巻く悩みの種かもしれない。自分自身の運命を追求していくと、自分は生きていてもいいのだろうかという絶望的な冷たい思いに行き着く。しかしそのような思いにたどり着いた経験があるのは先人たちも同じである。中島みゆきは自らの中の「生きていてもいいですか」という問いかけに「その答えは誰もがもう既に知っているのだ」と肯定も否定もしないまま哲学的に歌で答えている。
・誕生
ひとりでも私は生きられるけれど
でも誰かとならば人生ははるかに違う
強気で強気で生きてる人ほど
些細なさみしさでつまずくものよ呼んでも呼んでも届かぬ恋でも
むなしい恋なんてあるはずがないと言ってよ
待っても待っても戻らぬ恋でも
無駄な月日なんてないと言ってよ巡りくる季節を数えながら
巡り逢う命を数えながら
畏れながら憎みながら いつか愛を知っていく泣きながら生まれる子供のように
もいちど生きるため泣いてきたのねRemember生まれたとき
誰でも言われたはず
耳を澄まして思い出して
最初に聞いたWelcome
自分は生まれてこない方がよかったのではないか、自分は生きていない方がいいのではないか、絶望的な恋心が災いしてそんな風に感じ心が塞ぎ込んでしまうとき、人はどのようにこの先を生き抜くべきだろうか。中島みゆきの名曲「誕生」は生きづらさを感じるとき、まさに自分の原点。すなわち誕生の瞬間へと立ち帰れとぼくたちに説うてくる。この世に生まれた瞬間、誰もが「WELCOME」と言われたのだということ、たとえそれを忘れてしまっていても、あなたの生命の原点には「WELCOME」という徹底的な肯定があることを思い出し、前を向く力をぼくたちに与えてくれる。
どんなに人生の抹消部分で絶望に打ちひしがれようとも、その生命の根源、人生の原点、命の根の部分が肯定で満たされているのだということを人が知るとき、抹消の絶望でさえ肯定の光が降り注がれているのだということを知る。
・ローリング
Rollin’ age さみしさを
Rollin’ age 人に言うな
軽く軽く傷ついてゆけRollin’ age 笑いながら
Rollin’ age 荒野にいる
ぼくはぼくは荒野にいる
燃えるような恋の思いを、誰にも話せずにひとり抱えて心が滅ぼされそうになることは切ない。けれど誰にさえ言えないことは、同性愛者から異性愛者に対する恋心の運命だ。そんな運命の真ん中で「さみしさを人に言うな」という中島みゆきの荒んだ声が響き渡る。さみしさを気軽に言える人は人生が楽だろう。しかし誰にも言えない運命だからこそ、誰にも言えない人生だからこそ、自分の中で成熟し生まれ来る熱量があるのではないだろうか。その熱量はやがて、尊い創造や慈悲の心へと結びつくかもしれない。
・孤独の肖像
悲しみはあなたをなくしたことではなく
もう二度と誰も信じられなくなることよどうせみんなひとりぽっち
海の底にいるみたいだから誰かどうぞ上手な嘘をついて
いつもぼくがそばにいると
夢のようにささやいて
それで私たぶん少しだけ眠れる
恋をすると周りが見えなくなる。自分とその人しか、この世にいないかのような気分に陥ってしまう。自分中の世界では自分とその人の2人だけしか生きていないのに、その人に愛されない、拒絶されるという事実が確定しているのは絶望的だ。その結果として、自分は世界で孤立し、ひとりぽっちになってしまう。それはまるで真っ暗な海に沈み込んでしまうような閉鎖的な感覚だ。あの人しか信じたくないのに、あの人を喪失した場合、この世界ではもう誰も信じられない。
・孤独の肖像 1st.
ジャスミン もう帰りましょう
元のひとりにすべてあきらめて
ジャスミン もう帰りましょう
元のひとりにすべてあきらめて人がひとりで生まれて来ることは
ひとりきりで生きていくためなのよ
ひとりきりで生まれてきたのだから
ひとりでいるのが当たり前なのよふたりでなければ半人前だと
責める人も世の中にはいるけれど
愛というものなんてはじめからこの世にないのだと居直ることは、どうしても叶うはずのない恋心を抱いている種類の人間にとって心を慰めるのに有効だ。自分が思っているほどに自分も思われたい、自分が愛しているほどに自分も愛されたい、そう願ってしまう自分の心を、愛なんて本当はこの世にないのだよと思い込むことで諌めることができる。もはや究極の自己防衛かもしれないが、自分の心が壊れてしまうよりはマシである。一時的であっても愛なんてこの世にはないと思い込むことで生き延びることができるなら、それも悪い方法ではない。
・1人で生まれてきたのだから
ジャスミン もう帰りましょう
元のひとりにすべてあきらめて
ジャスミン もう帰りましょう
元のひとりにすべてあきらめて人がひとりで生まれて来ることは
ひとりきりで生きていくためなのよ
ひとりきりで生まれてきたのだから
ひとりでいるのが当たり前なのよふたりでなければ半人前だと
責める人も世の中にはいるけれど
片思いの恋心が災いして自分は孤独だ、ひとりぽっちだと絶望してしまう人にとって、この世はどうせ誰もがひとりきりで生きていくのだと開き直ることは有効な手段だ。みんな人は協力し合いながら生きるべきだとか、2人が結ばれることが正しいのだとか、いろいろ思い込み洗脳して来るけれど、結局人間なんてひとりで生まれてきてひとりで死んでいくだけの悲しい生き物だ。この世でどんな人脈を作り上げても、一緒に生まれて来る人もいなければ、一緒に死ぬことができる人もいない。最初は別々、最後も別々ならば、結局生きている間も人はずっと別々の孤独のひとりぽっちだ。人はひとりで生きていて当たり前だという、半ば仏教的な発想は、恋心により生み出された孤独に優しく寄り添ってくれる。
・重き荷を負いて
足元の石くれをよけるのが精一杯
道を選ぶ余裕もなく
自分を選ぶ余裕もなく目にしみる汗の粒をぬぐうのが精一杯
風を聴く余裕もなく
人を聴く余裕もなくまだ空は見えないか まだ星は見えないか
ふり仰ぎ ふり仰ぎ そのつど転けながら重き荷を負いて 坂道を登りゆく者ひとつ
重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしないまだ空は見えないか まだ星は見えないか
這いあがれ這いあがれと自分を呼びながら 呼びながら
凍えるようにつらい同性愛者から異性愛者への絶望的な恋心を、まわりの誰もが知ることがない。秘密にして誰にも話さないのだから誰も知らないのは当然のことだが、本当は絶望的な恋心を抱いているにもかかわらず、周囲には元気に明るくふるまわなければならないのは本当につらい経験だった。愛する人に愛されない運命、人を愛するたびに誰かを傷つけるかもしれない宿命と罪の意識、幸せになれるはずのない見果てぬ未来への絶望、そんな様々な抑圧と孤独と悲しみが心の中を支配し立ち上がれなくなりそうになりながらも、周囲の誰にも知られることなく、ひとりで力強く地を這いながらでも前を向いて生きていく他はない。同性愛者のどうしようもない宿命に「重き荷を負いて」の歌詞が突き刺さる。「重き荷も坂も 他人には何ひとつ見えはしない」と。
・倒木の敗者復活戦
叩き折られたら おとしめられたら
宇宙はそこ止まりだろうか完膚なきまでの負けに違いない
誰から眺めても望みの糸は切れても救いの糸は切れない
泣き慣れた者は強かろう 敗者復活戦
勝ち驕れ英雄よ 驕るな傷ある者よ
傷から芽を出せ 倒木の復活戦
同性愛者の異性愛者への恋が叶わないのは、はじめから分かり切ったことだ。徹底的に打ちのめされ、絶望することでしか前へと進めないだろう。もしかしたらもはや立ち上がれなくなるほどに、徹底的に打ち負かされるかもしれない。肉体を地に伏せて泣くとき、もはや立ち上がれないとうなだれるとき、それでもそこで終わりではないのだと、中島みゆき「倒木の敗者復活戦」の歌はぼくたちに光を投げかける。「望みの糸は切れても、救いの糸は切れない」のだと。そして徹底的に負けたからこそ、抱けるささやかな芽の優しい美しさがあることも、本当はぼくらは知っている。
・I Love You,答えてくれ
何か返してもらうため
君に愛を贈るわけじゃない
いつか返してもらうため
君に時を贈るわけじゃない君はひどい目に遭いすぎて
疑い深くなってしまった
身を守るのはもっともだけど
世界全部 毒だなんて悲しいよ愛さずにいられない馬鹿もいる
気にしないで受け取ればいいんだよ
愛さずにいられない馬鹿もいる
受け取ったと答えて欲しいだけさI Love You,答えてくれ
I Love You,答えてくれ
I Love You,答えてくれ
I Love You,答えてくれ
同性愛者の異性愛者への恋心が、叶わないのは当然の結果だ。いくら愛していると叫んだところで、性的な方角が異なっていることから、愛し返されることがないのは明白だ。愛していると告げることすら、許されない場合も多いだろう。どうせ返されないのに、告げても仕方がないからだ。
しかしもしも返されることなんて望んでいなかったとしたら、返されることなんて望まないからせめて「愛している」という言葉を伝えたかっただけだとしたら、見返りなんて求めずにただ「愛している」という言葉を与えたいだけだったとしたら、ぼくたちは思い切って思いを伝えるべきだろうか。もしかしたら異性愛者同士の告白とは異なり、気持ち悪いと拒否されて受け取ってすらもらえないかもしれない。それでもただ愛したいだけだとしたら、ただ与えたいだけだとしたら、見返りなんて求めないから、せめてその思いを「受け取る」ことくらいはしてくれないものだろうか。何も気にせず、何も求めず、ただ「受け取って」くれないだろうか。
この「I Love You,答えてくれ」の歌詞には、そんな切なる願いが込められている。「君はひどい目に遭いすぎて 疑い深くなってしまった 身を守るのはもっともだけど 世界全部 毒だなんて悲しいよ」という慈悲深い歌詞も泣ける。
・I love him
夢見続けた願いはいつも
愛されること愛してもらうこと
それが人生の幸せだって
いつも信じてた 信じて待った 待って夢見た私にだって傷ついた日はあったと思う
けれどもそれは欲しがるものが手に入らなくて
裏切られたような気がして泣いた子供の夢ねそれならば私は何も失わずに生きていけた
でも何か忘れたことがある
でも誰も愛したことがないそれで生きたことになるの?
それで生きたことになるの?
長い夢の後本当の願いが夢の中目を覚ますI love him
I love him
I love him
I love him
I love him
I love him返される愛はなくても
愛して、愛し返されなかった場合、愛した意味はないだろうか。思って、思い返されなかった場合、恋心に価値などないだろうか。いや、たとえ愛されなくても、人を愛しただけで意味があり価値があると、中島みゆきの名曲「I love him」は言う。むしろ愛されること、与えられることに大きな価値はない。ぼくたちがこの人生を生きたのだと胸を張って言うためには、愛されたことではなく、愛したことの方がはるかに重要だ。
ぼくたちが人を愛したことは、決して無駄なことなんかじゃない。愛したことで、与えたことで、ぼくたちの生命には大きな傷と、大きな意味が刻み込まれたのだ。人を愛してはじめて、ぼくたちは人生を生きたのだと言うことができる。愛される方が価値があるのだという間違った洗脳をすり抜けて、ぼくたちは大いに傷つきながらでも、どんなに絶望しながらでも、憂うことなく人を愛そう。
・大学時代のぼくの2番目の恋について
・ぼくの高校時代の初恋について
・同性愛について