クレヨンしんちゃんの「オラはにんきもの」が指し示す絶対的万能感を持つ少年とその幸福について

 

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クレヨンしんちゃんの「オラはにんきもの」が指し示す絶対的万能感を持つ少年とその幸福について

・ぼくはクレヨンしんちゃんの主題歌「オラはにんきもの」が大好き
・しんちゃん「オラはすごいぞ 天才的だぞ」
・少年の絶対感とそれを喪失し大人になることについて
・絶対感を奪い取り、相対感を少年に植え付ける者たち
・「絶対的少年」

・ぼくはクレヨンしんちゃんの主題歌「オラはにんきもの」が大好き

ぼくはアニメのクレヨンしんちゃんが好きだ。特に妹のひまわりが生まれる前の、しっかりしていないのんびりしていたマイペースなしんちゃんが好きである。その時期に流れていた「オラはにんきもの」という主題歌も、聞いていると元気が出てくるので大好きだ。「オラはにんきもの」はしんちゃんが実際に歌っており歌詞の内容もクレヨンしんちゃんらしさが満載の巧みさで、まさにクレヨンしんちゃんのクレヨンしんちゃんによるクレヨンしんちゃんとそれを見ている子供達のために作られた歌として印象深い。

 

 

・しんちゃん「オラはすごいぞ 天才的だぞ」

「オラはにんきもの」はその歌詞もまた魅力的だ。

”パニック パニック パニック
みんながあわててる
オラはすごいぞ 天才的だぞ
しょうらい楽しみだ”

これほどまでに潔く調子に乗っている歌があるだろうか!根拠もなく「オラはすごい」「天才的だ」と言い切って自分を存分に称賛しているところに気持ちのよいすがすがしさを感じられるし、さらにそれに付け加えて「自分の将来は楽しみだ」と言ってのける抑えきれない調子のよさには脱帽である。この歌詞はどんなに親が大人たちに叱られてもお仕置きされても、そんなことを全く気にすることなく自分の好きなように自分を表現するクレヨンしんちゃんの自由で気ままな雰囲気がまさに表現されているように感じる。

それはまた、人間誰もが幼い頃に持っていた「自分はえらいんだ」「自分は特別な人間なんだ」「自分は何にでもなれるんだ」「自分は何でもできるんだ」という無根拠な少年的万能感を思う存分発動させているようで、何にも縛られない自由で無垢な子供の透明な精神が解き放たれているような神聖さすら覚えてしまう。この世に生きている誰もが皆、幼い頃には「オラはすごいぞ 天才的だぞ」という根拠のない宇宙のように大きな自信、自分をとてつもなく肯定するパワーを持っていたはずだ。

 

・少年の絶対感とそれを喪失し大人になることについて

しかしそのような純粋で透明な少年的万能感も、成長し年を重ねるごとに徐々に減少していく。日常生活の中で何でも自分の思い通りにならないことを体験し、自分はこの世界の王様で何もかもが実現可能なわけではないのだと傷つく。学校で他人と比較され数字で順番をつけられることで、すべてにおいて自分は1番優れていて特別な存在ではなく、他人よりも劣っている平凡な要素が多分に含まれていることを思い知らされ、絶望し、徐々にそれを受け入れて諦めていく。

自分は世界の王様ではない、自分は特別な人間ではない、自分には得意不得意があってなんでもできるわけではない、自分はすごくない、自分は天才的ではないと、次第に幼児的万能感、少年て万能感が無残にも打ち砕かれ、後に残るのは諦めと、そんな欠陥だらけの自分でもなんとか社会で生きていかなければいけないのだという居直りだけである。そしてそれが「大人になる」ということなのかもしれない。

大人になった人間は万能感に支配されず、身の程を知り、分別をわきまえている。自分には欠落があると思い知っているし、自分は特別ではなく平凡だと諦めているから、言うことを聞かせやすく、聞き分けがよく、おとなしく、従順で、我慢強く、支配しやすく、人間の集団にとって都合のよい部品や歯車として稼働していくことだろう。人間の集団、社会に適応するとはつまりはそういうことであり、社会適応者というのはそのような少年的万能感を打ち砕かれた諦めの先に産出される種類の従順な人々のことではないだろうか。人間の集団、社会にとっておとなしく聞き分けのよい彼らは必要な存在であり、また社会的存在の人間として何も考えず楽に生きていくのならば、彼らのようになることが望ましいだろう。

しかし真実の生命として与えられたこの命を生き抜いていくためには、そのような態度が果たしてふさわしいのだろうか。本当にぼくたちは「オラはすごいぞ 天才的だぞ」とおおらかに歌っている少年としての自分を無理矢理に投げ捨てて消滅させてもいいのだろうか。

 

 

・絶対感を奪い取り、相対感を少年に植え付ける者たち

ぼくたちが少年の頃の万能感を喪失してしまうのは、「比較」に由来する。少年が研ぎ澄まされた万能感を持っているのは、少年が絶対的な存在だからだ。相対的ではない、誰とも比べたり勘定したりしない”絶対的な”存在だからこそ、少年は自分を特別だと思えるし、自分を王様だと思えるし、自分は万能なのだと大空に向かって大きな翼を広げられるのだ。

しかし少年がこの世で生きていくにしたがって、大人や、合理的な教育システムや、都合のよい部品を欲しがっている社会や、人々に欠乏を植え付けて利益を得たい商売人たちが、次々と少年に「他人と比較する」ことを教え込む。その洗脳はまるで雪山の雪崩や海辺で受ける津波のように無尽蔵で強大であり、ほとんどの少年はその洗脳から逃れることができない。少年は誰もが「自分は他人と比べるべきなのだ」という相対感に目覚める。今まで持っていた絶対的な存在である自分自身を忘れて、次第に相対的な迷妄の世界へと迷い込む。

相対的な世界では、何もかもが比較される。自分はあの人に比べて背が低いとか、自分はあの人に比べて成績が悪いとか、自分はあの人に比べて不細工だとか、自分はあの人に比べて走るのが遅いとか、ありとあらゆる出来事が比較され、順位がつけられる。そして優勝をしたり、1番になれない自分自身に気づいては、自分は決して特別な存在なんかじゃなかったんだ、自分は世界で最も素晴らしい人間だと思っていたけれど実はそうじゃなかったんだと思い知らされ、王様の誇りは打ち砕かれ、次第に少年は「オラはすごいぞ 天才的だぞ」という歌を歌わなくなってしまう。

しかしもしも少年が相対という洗脳を植え付けられることがなかったら、もしも誰とも比べられず数字も与えられずに絶対的な自分を保ちながら人生を歩いていけたなら、まだ少年は大空に向かって「オラはすごいぞ 天才的だぞ」とおおらかに軽やかに歌いながら幸福な人生を送っていたのではないだろうか。ぼくたちは人の世に、絶対感を泥棒されたのだ。代わりに相対的な迷妄の世界を植え付けられたとも知らずに。

その洗脳を阻止できる幸福な少年は少ない。この世に精神を根ざして生きている限り、ほとんどすべての少年は幸福な絶対的世界を根こそぎ奪い取られるだろう。異人(まれびと)でなければ、逃れることはできない。幸福な世界を、金剛の宝石のように持ち続けることはできない。

 

 

・「絶対的少年」

ぼくたちの絶対的少年は助けを求めている
ここにいるよ、生きているよと叫び続けている
けれどそれを聞き取る耳を持ち合わせていないから
人々はこの世で最も尊く輝く声を受け取ることができない

自分にとっていちばん大切なものの在り処を
誰もがわからずに迷妄の世界は続いてゆく
自分にとっていちばん大切なものなんて
元からあるはずもないのだと諦めて下を向く

胸に手を当てればあなたの根源には
金剛のように永遠に光り輝く幸福が眠っている
異国を旅しても時空を彷徨っても
決して見つからなかった宝物はあなたの奥にある

捨て去ってしまったと嘆いていた幸福な少年は
いつだってあなたと共に永久に生きていた
あなたがあまりに穢れをまとうから
あなたの瞳から隠され見えなくなっただけだった

相対の地獄に落とされ苦海を漂うあなたは
幸福などとうに失ったと泣いていた
絶対と幸福で満たされた美しい少年が
あなたのそばで遊んでいるのをぼくだけが見てた

 

 

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