彼の部屋の明かりを見て、ぼくの心は泣いていた。
ノンケの彼と別れて、彼の部屋の明かりを見るだけでぼくの心は泣いていた
目次
・大学時代、ゲイのぼくとノンケの彼は恋人同士みたいだった
大学時代、ゲイのぼくと同級生のノンケの彼は不思議なことに恋人同士のような関係になった。合鍵を交換しお互いの部屋を行き来して、「好き」と言っては抱きしめ合い、甘え合い、キスして、触り合っていた。
けれど若い彼の燃え盛る本能はいつも女の肉体を求めていた。ぼくという例外がいてもそれを止めることなど到底できずに、ついに彼は人生で初めての彼女を作った。けれど彼はぼくに決してそれを教えてはくれなかった。ぼくはそれを裏切りだと憎んだし、彼もそれが裏切りに当たると知っていたから、ぼくに何も言わなかった。2人が最も幸せになる道は2人が会わないことだと悟り、ぼくはもう彼の部屋に行かないことを決めた。
・ノンケの彼と別れて、彼の部屋の明かりを見るだけでぼくの心は不安定になった
彼の部屋は、ぼくの部屋のすぐ近所だった。ぼくの駐車場は空きの都合でアパートから少し離れたところにあり、ぼくが駐車場からアパートに歩くまでに、必ず彼のアパートが見えるのだった。ぼくにはそれがとても嫌だったし、苦痛だった。彼に会わないように、彼のことを思い出さないように日々を過ごしたいのに、彼の部屋の明かりを見ると、彼がそこにいることを思い知らされてしまうのだった。彼の部屋の明かりは時々点いていて、時々消えていた。それは彼が生きているという証だった。もはや彼が死んでしまったと信じられれば幾分か楽だったが、彼は確かにそこに生きていた。
あの部屋でぼくたちはいろんな初めての経験をした。数えきれないほどに好きだと言い合い、抱きしめ合い、キスして、お互いの果実を触り合い、腕の中で抱きしめられながら一緒に寝た。よく喧嘩もしたし、彼の前で泣いたりもしたけれど、いつだってすぐに仲直りして、また好きだと抱きしめ合った。仲直りした後の彼の態度はいつもより優しく、その優しさと思いやりに触れることが喧嘩する意味だと感じた。どんなに喧嘩してもまた2人は呼び合い、求め合い、永遠に一緒にいられると信じていた。
けれど彼の燃え盛る本能が指し示す女の肉体を手に入れたのならば、もはやぼくに用はないのかもしれなかった。彼女ができてからも彼はぼくに好きだと何度も言ったけれど、それと同じように彼女にも言っているのかもしれなかった。ぼくがもう行かなくなったあの部屋で、かつてはぼくと彼が過ごしたように、彼と彼女が過ごしているのかもしれなかった。ぼくと彼の過ごした時間は、ぼくにとってかけがえのない尊い風景だった。ぼくと彼はそのほとんどの時間を、彼の部屋の中で過ごした。かけがえのない2人の思い出のたくさんある部屋の中で、彼は今ぼくとの思い出を無造作に踏みにじり、見知らぬ女と穢しているのかもしれなかった。
けれど彼の本能はそれを喜んでいるに違いない。ぼくという男の肉体ではなく、生殖の快楽を伴い子孫まで残せる女の肉体がやっと部屋を訪れたことに歓喜しているかもしれない。好きだと何度も誓い合った大切な人を裏切ることを戸惑わせないほどに、裏切りによって幸福や歓喜が得られるほどに、彼の燃え盛る本能の炎は率直で、無慈悲で、残酷だった。
・会わなくなってからも、彼からの連絡は来なかった
もう会わないようにしようと心に決めてぼくから連絡しないでいても、彼から連絡が来ることは一切なかった。やっぱりもうぼくのことなんて不要になってしまったのだろう。ずっと求めていた女の肉体を手に入れたのだからそれも当然のことだった。ぼくは彼が女の肉体を初めて抱く前の単なる練習台だったのだろうか。ノンケの男は、そんなことに男の肉体を使うことが可能なのだろうか。普通ならばノンケの男は、男を好きな男を嫌がったり、怖がったり、笑ったりすることが多いのに、彼がぼくを好きだと言ってくれた理由は一体何だったのだろうと、今となっては不可解に感じずにはいられなかった。
彼と離れてからもぼくは、彼のことで泣いていた。彼の部屋の明かりを見るたびに、ぼくの大好きな人がまだあの中で生きているんだと実感するたび、胸が苦しくて泣きたかった。彼から離れても心が不安定な日が続き、大学の医学の勉強も大変で、一度立ち止まって心を休めたかったけれど、自分の中の深い絶望に関係なく社会や時代は軽やかに進んでいき、救いなんてどこにもなかった。ぼくの人生にとって、この世には苦しみしか残されていなかった。どうしてぼくの生命だけが運命的に苦しみに満たされて、もがきながら生き抜かなければならないのだろうと嘆いていた時、ブッダも「人生は苦しみだ」と悟ったことを知り、2500年前のおじさんと同じことを考えているだけだと少し安心したりしていた。
・「どちらからともなく会いたくなって」
小さな喧嘩をした時に、彼はぼくに言った。
「ケンカして会わなくなって
お前がもう来なくなっても
時間が経てばどちらからともなく会いたくなって
また会うようになるから」
彼もぼくたちが永遠に離れられないことを知っていた。どんなことがあってもぼくたちは一緒にいることを彼は諭してくれた。けれどもう、彼からの連絡もない。ぼくには、彼の代わりなんていない。彼はかけがえいのないたったひとりの存在だった。けれど彼にとっては、ぼくの代わりなんていくらでもいたのかもしれない。ぼく以上に素晴らしいものを提供してくれる女の肉体なんて、この世にいくらでもあったのだろう。
ぼくは彼に何も与えるものがなかった。ぼくには彼が心から求めているものを持つことができなかった。ふり返れば、彼がぼくを好きだと言ってくれる理由なんて何もなかった。それなのにどうしてあんなに求めてくれたのだろう。ゲイのぼくとノンケの彼が別れるなんて必然的なことだった。この世には、ぼくの代わり以上になる女の肉体なんていっぱいいた。それを見出すことは、彼にとって簡単なことだったのだろう。それならば最初から、愛さないでほしかった。最初から女の肉体だけを、むさぼればよかったのに。
ぼくは同性愛者として生まれ、日常生活で「普通の恋愛」なんてできないと思っていた。生活の中で友達になって、好きになって、告白して、付き合ってという「普通の恋愛」が、男を好きになる自分にはもたらされるはずがないのだと信じていた。けれどそれは植え付けられた思い込みだということを、彼は教えてくれた。諦めずに生きていれば、なぜだかわからないけれど信じられないような奇跡的な出来事が与えられるということを、ぼくは彼との恋で経験した。けれどやっぱり奇跡なんてなかったのかもしれない。この人生で幸せになれるはずがないと生きていたぼくに対して、彼は幸せになれるかもと思わせる奇跡を起こして、そしてそれを彼がことごとく崩壊させ、彼と出会わないよりももっと大きな絶望と終わりなき悲しみが魂に注ぎ込まれた。
なぜ彼と出会ってしまったのだろう。なぜ彼はぼくに好きだと言ったのだろう。考えてもわからない問いかけを、ぼくは彼の部屋の明かりを見ながら心で繰り返した。それはきっと彼に聞いたところで、彼にさえわからない大きな問題だった。ぼくではなく、彼ではなく、その上に広がる人間には計り知れないもっと壮大な河の流れによって、ぼくたちは結び合ったのかもしれなかった。
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