読まれるブログ記事を書くコツを掴むことで見えてくる人間の心理的特徴6つ

 

ブログを書いていると、人間がどういう生き物なのか少しずつ見えてくる。

読まれるブログ記事を書くコツを掴むことで見えてくる人間の心理的特徴6つ

・ブログを書いていると人間の正体に気がつく

ぼくは自分でブログを立ち上げてもう3年ほど記事を書き続けている。最初は手さぐり状態で何もわからず、ただ自分の好きなことだけを情熱のままに書き殴っていればいいのだと思っていたが、どうやらブログというものはそう簡単なものではないらしい。他人など関係なくただ自分のためだけに日記を書きたいだけだというのならそれでもいいかもしれないが、少しでも多くの人に自分の考えや表現を伝えたいという思いがあるのならブログには様々なコツがあるようだ。

ぼくはそのブログのコツを徐々に発見していく上で、おまけという形で、人間というものはどんなものを見たがる生き物なのか、人間の精神構造とはどのようにできているのかということについての示唆を得ることができた。個人的にひとりでブログを書いているだけで人間や社会のことがわかっていくなんて、ブログというものも決して捨てたもんじゃない。ここではブログを書いていて感じた人間というものの性質や特徴について見ていこう。

 

 

・人の役に立つことを書かないと存続できない

徒然なるままに日常の出来事やその日の旅の一日をブログに書いたところで、他の人にはほとんど見られることがない。ただの日記や普段の何気ない出来事を発信して注目されるのは、芸能人や有名人だけだろう。すなわち注目されるために日常生活を切り売りしたり自慢したりするというのは、テレビやメディアなどの巨大な権力を行使して自分の存在を世の中へ拡散させているような厚かましい種類の人間だけが可能な行為なのだ。慎ましやかに大人しく生きている一般人のブログが注目されるためには、世の中の人々に価値のある情報を的確に提供し、自分が世のため人のためとなる存在となって、世の中の人から検索流入で見つけ出してもらわなければならない。

一般人のブログがよく読まれるためには、なんと言ってもグーグルなどの検索から人々を集めることが最も重要だ。楽しい日常や何気ない思想を徒然なるままに書き連ねることによって毎日見てくれるファンを増やすのも結構なことだが、それだけだとそのブログはたくさんの人に見られるようにはならないだろう。一般人のブログが読んでくれる人を確実に多く集めるためには、なんと言ってもグーグルの検索結果の上位に自分のページが掲載されるように工夫し(SEO対策)、そこから自分のブログに流入して来る人を増やすことだ。グーグルの検索結果の上位に自分のページが掲載されるためには様々な工夫が必要となるが、一言でまとめると「人の役に立つ情報を的確に提供する」ということに尽きるだろう。

世の中の人々が何か困ったり、疑問に思ったりすることをグーグルで検索する。その検索結果一覧の中から、自分の悩みや疑問を最も解決してくれそうなページをクリックして参照し解決へと導かれるという構図は、誰もが想像できる「検索する人」の一般像だ。そのクリックされるページのひとつに自分のブログを食い込ませることができるかどうかに、ブログの成長がかかっている。

しかし自分のブログがたくさんの人に読まれたいあまり、自分のブログを成長させたいあまり、自分の書きたいことや表現したいことが全く実現できないとすればそれもまた問題だ。ぼくたちは自分が個人的に表現したいことと人のために役立つこと(ブログの成長)のちょうどいい中間地点を見出し、自分のためにそして社会のためにバランスよくブログを更新し続けることが重要になってくるだろう。もしもブログで収益を得たいのならば集客は必須項目だ。ぼくたちは自分を思う存分精一杯表現させたいという純粋な思いから、他人をふり向かずに自分だけのためにブログを始めたとしても、結局は人の世に役立つことへと立ち返らなければならないなんて、興味深い人間の運命である。

 

・トラブルなど不安や恐れを感じさせるものが注目される

では数ある記事の中でどのような記事が最もよく読まれる傾向にあるのだろうか。人間というものはどのような記事に注目するようにできているのだろう。

ぼくが真っ先に気づいたのは、旅ブログの記事の中でも「旅のトラブル」に関する記事がよく読まれるということだ。おそらく人間は不安や恐れをかき立てられるタイトルの記事を見つけると、自分もそのような目に遭ってしまってはいけないという防衛本能が働き、もしもトラブルに遭ったときにどうしたらいいのだろうかという解決法を求めて、記事を読みに来てくれるに違いない。またただ単に他人がトラブルに遭うという不幸を見ることが楽しみで見にくるという気持ちもちょっとはあるのかもしれない。トラブルに遭ったのが自分じゃなくてよかったと安心してしまうことはよくある人間の自然な心理だ。

いずれにしても不安や恐怖をかき立てるような文章を書くことは一時的な集客につながるようだ。よくよく考えてみればテレビや新聞やインターネットニュースなども題名に不安や恐怖を植え付けるようなタイトルが多いが、これもおそらくブログと同様に、多くの人に不安や恐怖を植え付けることによって彼らにその解決策を見たいと思わせ記事に誘導するという作戦なのだろう。ブログでもメディアでも、自分の記事が読まれたいばかりに、そして収益を得たいばかりに、世の中は無駄に不安や恐怖を植え付ける言葉で溢れている。人々は彼らが金を儲けるために、生きていくのに必要もない不安や恐怖を存分に植え付けられ、不安や恐怖に押しつぶされそうになりながら世の中を生きて行かざるを得なくなる。そう考えればブログもメディアもなんと有害なものだろうか!

自分のブログの記事を見てほしいから不安や恐れを感じさせるタイトルを選ぶことは集客のためのひとつのやり口だが、そればかりやっていると信用されなくなるだろう。しかし良心が痛まずにそんなことばかりできる無神経で無慈悲な人々が、実際には競争に勝ち残っていけるということだろうか。

 

・成功よりも失敗したことの方が注目される

成功体験よりも大いに失敗して散々な目に遭った記事の方が読まれやすい傾向にあるように感じる。これも上の理由と同様に、失敗した人から学び取り自分は失敗しないようにしようと教訓にするという意味と、失敗した人の風景を眺めることによって失敗していない自分を幸せに感じ慰められたいという人間の深層心理が働いている可能性があるだろう。

普通人間は相対的な幸福の世界を生きている。自分が幸せになるためには自分で努力しなければならないが、相対的な世界ではそれよりももっと簡単な方法がある。それは自分よりもかわいそうな人間、自分よりも失敗している人間、自分よりも不幸な人間を眺めることだ。彼らを眺めることによって、自分は彼らより幾分かマシだと、自分は彼らに比べてなんて幸福なのだろという誤魔化しやまやかしの中で、何の努力もせずに相対的な幸せを手に入れることが可能だ。そのような怠け者が多ければ多いほど、失敗する記事はよく読まれる。

しかし相対的な幸福の世界に生きている者たちは、実際にはいつまでも心満たされることがないだろう。自分と他人をいつも比較し、他人というコントロール不能なものによって常に翻弄されたり影響されたりしながら、心を乱すような忙しく不安定な人生が本当の幸福にたどり着けるはずがない。きっと彼らは一生自分と他人を比較しながら、あの人よりは優れているとかあの人よりも劣っているという相対的な迷妄の世界で惑い苦しみながら死んでいくに違いない。真実の幸福へとたどり着くためには、絶対的な幸福の世界へと勇気を持って身を投じることだ。

クレヨンしんちゃんの「オラはにんきもの」が指し示す絶対的万能感を持つ少年とその幸福について

 

・いいことよりも悪いことの方が注目される

楽しかったこと、嬉しかったことなどの明るい内容の記事より、イライラしたこと、嫌だったこと、いたたまれなかったことなどのネガティブな記事の方が求心力がある場合が多いように感じる。ひとつの例を出すとすれば、ぼくは旅ブログにベトナムを旅した感想として「ベトナムを好きな理由」と「ベトナムを嫌いな理由」の両方の記事を書いたが、圧倒的に「ベトナムを嫌いな理由」の記事の方が人気だしよく読まれている。

世の中の人々の何かを読みたいと思う原動力は、性善というよりは性悪な種類のものなのかもしれない。あるいはポジティブなものを見たいという気持ちは気楽で気軽なものだからさらりと流されてしまうのに対して、ネガティブなものを読みたいという人の気持ちはもっと濃厚でしつこくドロドロしているから人気記事になり得るのだろうか。

 

 

・大げさで派手に盛ったものに人は注目する

注目されることが重要であるというのなら、せっかく頑張って書いた記事に地味なタイトルをつけるよりも、ちょっとくらい盛ってでも派手で大げさなタイトルで人の注目を惹きつけた方がたたくさん見られていいに決まっている。ブログにとってタイトルは記事の内容と同じくらい重要であり、グーグルの検索結果に掲載される場合でさえ人がどのページを選んで読むかどうかは大抵そのタイトルに依存しているわけだから、やはりタイトルに工夫を凝らすに越したことはないだろう。

しかしあまりにタイトルを盛りすぎてタイトルと内容がかけ離れてしまっていては元も子もないので注意が必要だ。それはまるで外見ばかり磨いて中身がすっからかんの人間のようでもある。それでも外見がイケメンや美女の方が注目され見られることは確実であるというのが、人の世の摂理となっている。

 

 

・性的なものに人は注目する

やはり人間も単なる動物である以上、性的な予感のするものは注目されやすい傾向がある。性的な話題や下ネタは人間にとって普遍的な要素であり、誰も不幸にせずに笑いや明るさをもたらしてくれるものであるから過度にならない程度で積極的に使って行くことも悪くないだろう。性的な話題や下ネタというと聞こえはよくないが、結局のところそれらの要素が人類の存続と繁栄につながって行くのだから、そこを刺激することは人間の生物としての幸福を促す結果となるのではないだろうか。

この世にはいろんな特徴を持った人間がいる。そんな中でも様々な種類のたくさんの人々に見てもらうためには、やはりどんな人間の精神の底にも共通して所有されている「興味」や「情熱」に敏感に反応する話題を提供することが大切だろう。そのひとつがまさに本能に直結している性的なものに他ならない。

 

 

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