Can you give me one last kiss?
歌詞の意味は輪廻転生を暗示?宇多田ヒカル「One Last Kiss」はなぜ「The Last Kiss」じゃないのか
目次
・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」主題歌は全て宇多田ヒカルが担当した
アニメ映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」と宇多田ヒカルの楽曲は切っても切れない関係にある。4部構成である「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の全ての主題歌を宇多田ヒカルが担当しているからだ。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」と「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の主題歌は「Beautiful World」、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」の主題歌は「桜流し」、「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の主題歌は「One Last Kiss」となっている。
その中でも「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の主題歌「One Last Kiss」は宇多田ヒカルがきちんと「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」を読み込んだ後で、映画の最後のシーンを思い浮かべながら作成されたことが宇多田ヒカル本人によって語られている。それまでの「Beautiful World」や「桜流し」は映画の物語の内容をほとんど知らないまま作られたのに対して、「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の主題歌「One Last Kiss」は全ての結末を知った上で、より映画の具体的な内容に寄り添った楽曲になっていることが示唆されている。
・「One Last Kiss」に関する2021年4月13日の宇多田ヒカルのツイート
今までの新劇場版の曲はその都度大まかなプロットだけ聞いて作ったけど、今回は台本を読んで最後のシーンを思い浮かべながら、曲の第一音(イントロのシンセ)からプログラミングと作曲を始めたから、オンライン試写の時にドキッとする絶妙な瞬間に曲が流れ出して嬉しかったなあ✨👩🏻💻✨
今まではネタバレがいやで台本読みたくなかったんだ😅
・宇多田ヒカル「One Last Kiss」はなぜ「The Last Kiss」じゃないのか
そんな中でもぼくが気になったのは、まさにこの楽曲のタイトルについてだ。「One Last Kiss」ってものすごく変な表現ではないだろうか。ラストのキス、つまり最後のキスって、基本的にはたった1度しかないはずだ。例えば恋人や大切な人がいて、その人と人生の中でいっぱいキスしたとしても、死別であれすれ違いであれ、人間同士というのは必ず別れる運命にあるものだから、最後のキスというものがあるはずだ。そしてその人との最後のキスは、絶対に1回であるはずなのだ。
だってラストのキスが何個もあったらおかしいではないか。ラストのキスが何個もあったら、それって全然ラストじゃないやん!と関西弁で突っ込みたくなってしまう。最後のキスは人生の中でもうこれ以上はキスしない、もしくはできないからこそ“最後”のキスなのだ。常識的に考えて、最後のキスはたった1度であるはずで、それならば英語では「The Last Kiss」と表現されるはずではないのだろうか。
このような英語の話をすると日本人のぼくたちは中学校1年生の英語の授業へと記憶を辿らなければならない。ぼくたちは英語を習い始めた当初、英語の基本中の基本として「a (=one)」と「the」の違いを必ず学ぶはずだ。そして「a」は「ひとつの」「あるひとつの」「たくさんあるけれど、その中のあるひとつの」という意味合いが含まれることを勉強する。それに対して「the」とは「その」「特定の、まさにその」「他にはない、たったひとつしかない、その」というニュアンスが含まれていることを知る。日本語にはないこの「a」と「the」の違いに日本人の中学生たちは困惑し、英語に苦手意識を持ってしまうことも少なくないだろう。こんな日本語にはない意味不明な異国語のルールを頑張って覚えるよう努力するなんて、日本人はとても偉いと感じる。
中学校で習ったその理屈で言うと、その人との最後のキスなんてたった1度しかないのだから、たくさんある中のあるひとつのという意味合いを含む「a」や「one」をつけるのはおかしいのではないだろうか。最後のキスはたったひとつなのだから、他にはない特定のものとして「the」をつけるべきではないだろうか。
しかし英語のネイティブスピーカーである宇多田ヒカルが、中学1年生の英語のテストに出てくるような問題を間違うはずがない。宇多田ヒカルは何か深い意味があって、英語のニュアンスをしっかりと考慮して、本来は「The Last Kiss」であるところのものを敢えて「One Last Kiss」という不思議な言葉に変えてしまっているはずだ。ではその深い意味とは一体何なのだろうか。
・「One Last Kiss」の1番の歌詞
初めてのルーブルは
なんてことはなかったわ
私だけのモナリザ
もうとっくに出会ってたから初めてあなたを見た
あの日動き出した歯車
止められない喪失の予感いっぱいあるけど
もひとつ増やしましょう
Can you give me one last kiss…?
忘れたくないこと
(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)
・last kissにつく冠詞は、どのような状況で「the」ではなく「one」になり得るか
last kiss、ラストのキス、最後のキスの前に「one」をつけるということは、last kissが他にもたくさんあるということを暗示している。しかし既述した通り、常識的に考えればラストというのはたった1回しかないはずだ。ラストであるにもかかわらず、それがたくさんあるというのはどういう意味だろうか。
「One Last Kiss」の1番の歌詞にも「いっぱいあるけど もひとつ増やしましょう」という歌詞が散りばめられており、ラストキスがいっぱいある、他にもラストキスはあるんだという不思議な世界観が強調されているようにも聞こえる。やはり「the」ではなく敢えて「one」にしたんだという英語的なニュアンスが暗示されているように感じられてならない。
「ラストキスがいっぱいある」「他にもラストキスはある」とは一体どんな状況だろうか。人間というのは人生の中でたくさんの人とお付き合いしたり、愛し合ったりして、たくさんの人とキスをするだろう。ということはそのそれぞれの人との、思い出のラストキスがあるはずだ。ラストキスがいっぱいあるということは、たくさんの人とお付き合いしてきてたくさんラストキスをしてきたのよという、恋愛経験豊富の暗示なのだろうか。
しかし「One Last Kiss」歌詞の世界観を読むに、全くそのように思うことはできない。「私だけのモナリザ」「忘れたくないこと」など、喪失したかけがえのない”たったひとりの人”に対して歌われているような強い切実さが伝わる。では相手がたったひとりの運命の人であるにもかかわらず、ラストキスがたくさんあるという状況はどのようなものだろうか。
・「the」ではなく「one」であるところに永遠の輪廻転生の観念が暗示されている
相手がたったひとりである場合、常識的にはラストキスが何度もあることは考えられない。それならば“常識“や“普通“を取っ払って歌詞の世界観を考えるしかないだろう。ぼくがたどり着いた結論は「輪廻転生」だ。この歌詞の中では、運命の2人が幾度も生まれ変わりを繰り返しながら、その一生のたびに愛しいラストキスを繰り返しているのではないだろうか。
観念を誕生で始まり死で終わる常識的な人間の一生に限ってしまっていては、おそらく「One Last Kiss」の歌詞は理解できない。人生を何度も生まれては死に、そしてまた生まれ変わりを永遠に繰り返す魂の巡礼だと考えるなら、そしてそれぞれの一生において同じ運命の人に再会できるなら、それぞれの一生において2人のラストキスがあるはずだ。ぼくたちが人間の魂の旅路を輪廻転生という円環の中に投じる時、ラストキスはたったひとつではなく無限の数へと拡張される。一生と一生を隔てても何度も巡り会う運命にある2人が、それぞれの一生の中でそれぞれに最後のキスをする。
宇多田ヒカル「One Last Kiss」はその冠詞が「the」ではなく「one」になっていることから、魂の輪廻転生の歌だろう、そしてどんなに生まれ変わっても運命の人と再会し続け、そして別れ続けるのだろうという切実な祈りや願いが込められているのだろうとぼくは確信している。
・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の中で無念と後悔の輪廻転生は繰り返される
もちろん何の突拍子もなくいきなり「魂の輪廻転生」などと言い出しているわけではない。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」自体に、ものすごく輪廻転生の気配が漂っているのだ。「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の中で、月面で目覚めたカヲルがシンジに向けて「また3番目とはね」と意味深に呟く。この発言の意味の詳細は触れられていないがおそらく「シンジが今回もまたサードチルドレンになった」ということを暗示しているのだろう。
月面には目覚めたカヲルの周囲に棺が“円環“を描いて並んでいることから、カヲルが何度も何度も生まれ変わり、輪廻転生しながらそれぞれの一生の中で何度もシンジと巡り会い、その度にシンジを幸せにできなかったことが示唆されている。「今度こそ君を、幸せにしてみせるよ」というカヲルの言葉の中には、「輪廻転生の旅路の中で、今までは君を幸せにできなかった」「いつも君を助けられなかった」「いつも君につらい思いをさせていた」という意味合いが込められているような気がしてならない。今までの輪廻転生の旅路の中ではシンジを幸せにできなかったという歴史が存在しているからこそ、「今度こそ君を、幸せにしてみせるよ」という発言はしっくりくるのではないだろうか。
カヲルとシンジは何度も輪廻転生繰り返しながら、それぞれの一生の中でいつも巡り合い、そのたびにシンジはサードチルドレンとなる運命にあり(「また3番目とはね」発言から推測)、そしてそのたびにカヲルはシンジを幸せにしたいと心から願って努力するが結局はシンジを幸せにできず、その後悔や無念の思いを引きずりながら永遠に苦しみの輪廻転生を繰り返しているのではないだろうか。
だからといってぼくは何も「One Last Kiss」がシンジとカヲルの歌だと言いたいわけではない。あくまでも「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の中ではカヲルというキャラクターにおいて濃厚に明らかに輪廻転生の観念が示唆されているということを言いたいのだ。カヲルとシンジの魂が永遠に輪廻転生しているということは、他のキャラクターも常に魂を輪廻転生させているということだ。カヲルとシンジの他にもそれぞれの一生の中で運命的に巡り会い続け、そして後悔を繰り返しながら苦しみに沈んでいるキャラクターはたくさんいることだろう。
ただ宇多田ヒカル「One Last Kiss」の歌詞の中には「輪廻転生」という言葉などひとつも出てこないのに、「the」を「one」に変えることによって輪廻転生を暗示させてしまうのは、宇多田ヒカルの歌詞職人としての巧みな妙技だと感じられてならない。「One Last Kiss」が流れる「シン・ヱヴァンゲリヲン新劇場版」の最後のシーンでは、駅のホームでそれぞれのキャラクターが輪廻転生の苦しみから解脱したような風景が描かれていて興味深いが、果たしてそんなに簡単に輪廻転生の運命から抜け出せたのだろうか。それとも輪廻転生の円環はまだ永遠に続いていて、彼らは永劫のラストキスをいつまでも繰り返すのだろうか。
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