古代インドにも男性同性愛は存在した!!!!!
古代インドにもゲイは存在した!カジュラーホーの官能的な彫刻群の中で同性愛の営みを発見した
目次
・人間の肉体を求めている時点で、異性愛者も同性愛者も変態
男性が男性を愛すること、女性が女性を愛することは同性愛と呼ばれ、男性が女性を愛することや、女性が男性を愛するという異性愛に比べて数が圧倒的に少なく、それゆえに「気持ち悪い」「変態」「異常」という差別につながることも珍しくない。また子孫を残すことがないので、人間の繁栄や発展にとって意味がない非生産的な人種として見なされることも決してないとは言えない。
しかしよくよく考えてみれば人間が人間の肉体を求めること自体、実はかなり変態的な行為なのではないだろうか。男性が男性の肉体を求めることも、女性が男性の肉体を求めることも「男性の肉体を求める」という行為自体は全く変わらない同じものであるのに、前者は変態だと否定され、後者は正常だと肯定されることは納得がいかない。普通に考えれば男性の肉体を求めるという時点でかなり変態的なのだから、その動作主が男性であろうと女性であろうと、同様に変態と呼ばれるべきだ。それなのに前者が異常で後者が正常だと世の中で片付けられてしまうのは、ひとえに前者が少数派であり後者が多数派であるからに他ならない。
男性の肉体を求める変態的な女性は、そのような女性の数が圧倒的に多いからという理由だけで、世の中で変態だと指摘されずに済んでいる。逆に男性の肉体を求める男性(ゲイ)は、その数が極めて少ないという理由で、異常で変態的だと決めつけられる。しかし男性の肉体を求めている時という点でどちらもかなりの変態だと言えるのではないだろうか。またこの事実は男性と女性をひっくり返して考えてみても同様に成り立つ。
異性の肉体を求めている変態たちは、ただその数が多かったからという理由で、自分が変態であるという烙印を押されることを避けられているのだから、たまたま多数派に生まれついた自分自身の運に感謝すべきである。と同時に自分自身がただの変態であることを忘れず、同性愛者に対しても”自分と全く変わらない同様であるところの”変態的な存在だと認識し直すことが重要ではないだろうか。
・同性愛は人間の歴史の中で消えることなく脈々と受け継がれている
また本当に同性愛が人間にとって非生産的で意味のない存在だとしたら、進化の過程でとっくの昔に淘汰され、この世から消え去っているのではないだろうか。しかし古代においても現代においても、変わらずに同性愛者は一定数の割合で存在している。これは人間にとって同性愛者が何らかの理由で必要不可欠な存在であることを示唆しているのではないだろうか。
古代ギリシャや古代ローマでは同性愛が平然と行われていたというし、日本でも寺院の中や武士の間での男色は珍しいものではなかったという。もちろんそれよりも遥かずっと以前から人間には同性愛の営みが存在したと考えるのがごく自然だろう。同性愛は人間の歴史の上で、どんなに進化を遂げようとも脈々と受け継がれている。
・古代にも同性愛があったというのは果たして本当か?
しかしいくら史料や文章などの情報として、人類の歴史上に延々と同性愛は受け継がれてきたのだと知ることはできても、生々しくそれを実感することはできない。生殖とは体温を持った生きている生命同士の肉体の瞬間瞬間をかけたぶつかり合いであり、死んでしまった過去の冷たい記録だけではそれが本当かどうかを判断することは難しい。遠い過去のことなんて誰にも分からないのだから、なかったことでもありましたと嘘をつけば、本当にあったことになるのかもしれない。古代にもまぁ本当に同性愛はあったと簡単に予測はできるけれど、絶対にあったのだという直感的な確信を持てないままでこれまで過ごしてきた。
・インド・カジュラーホーの官能的な彫刻に圧倒された
世界一周の旅をする中でインド一周の旅を敢行した際、ぼくは初めて古代にも本当に同性愛がったのだと生々しく実感する遺跡に巡り会うことができた。それはインド中部のカジュラーホーという町の中にある世界遺産の古代寺院群である。カジュラーホーの寺院群は西暦885年から1000年の間に建立されており、その寺院の内外を埋め尽くす多種多様で数え切れない彫刻たちにただただ圧倒されっぱなしだった。カジュラーホーが有名なのは寺院群に施された90%の日常生活にまつわる彫刻に混じって、10%の古代インド人たちの性的営みが隠されることなく赤裸々に表現された実に官能的な彫刻があまりに刺激的だからだ。どれだけものすごい彫刻であるかは、言葉ではなくその写真を掲載した方が手っ取り早く伝わるだろう。以下にその彫刻の一部を載せる。
・古代インドにも男性同性愛者がいたことをカジュラーホーで生々しく実感した
見事で美しく官能的な彫刻があまりに多かったのでその全てを確認することは到底不可能だと感じるほどだったが、当然古代インドであってもそのほとんどが男性と女性の交わりを表現したものだった。彫刻だと一体どれが男性で、どれが女性なのか分かりにくい。それを考慮されたものかどうかは不明だが、カジュラーホーの彫刻の女性像の胸はかなり巨大に強調されて作られており、見物する男性を歓喜させるという意味合いもあるだろうが、その一方で「この像は女性です」と性別の判定が容易くできるという役割も果たしているように思われた。つまり胸がまるで果物のように巨大であれば女性像で、胸が平らであれば男性像だと瞬時に分かってしまうということだ。
膨大な数の男女の性的交わりが表現されたこの彫刻群の中に、たったひとつだけ男性と男性の、つまり同性愛(ゲイ)的な営みを表現している彫刻があった。カジュラーホー寺院群には本当に数え切れないほどの彫刻があるのでその中からほんの小さなこの同性愛的彫刻を見つけ出すのは困難を極めるかもしれないが、どうしても発見したい場合はガイドのインド人に教えてもらうといいだろう。自力で見つけ出すヒントとしては「デーヴィー・ジャグダンベ寺院(Devi Jagadambi Temple)」の外壁に施された彫刻となっている。カジュラーホーでおそらく唯一の(数が多すぎるので断言はできないが)同性愛的彫刻は以下のようなものだった。
男性が男性の手で刺激されることによって快楽を得ている。なぜ両方とも男性と分かるかと言えば片方には明らかな男性生殖器が存在しており、もうひとりは胸が平らなのでこの寺院内の彫刻では男性であると確信できる。
このように男性と男性がゲイとして愛し合うインドの彫刻を発見した時、ぼくは初めて古代にも本当に同性愛者がいたんだなぁと生々しく実感することができた。これも遥か古代の滅び去った文明の彫刻に違いはないものの、インターネット上のデータや情報とは違った生命の性的興奮や情熱が古代から直接伝わってくるような気がした。それはこのカジュラーホー寺院群があまりに性的交わりに関して包み隠さず表現していた不思議で特殊な場所だったからという理由もあったのかもしれない。
・カジュラーホーの同性愛の彫刻が今のぼくたちに語りかけること
古代から脈々と受け継がれてきた同性愛の文化が異常だと見なされるようになったのは、同性愛を否定する一神教的な思想が西洋から導入されてきたからなのだろうか。そのような気配が漂う現代社会において同性愛者が自分は孤独だと心を閉ざしそうになったら、時代が違っても、国が違っても、同性愛は常に存在しインドの彫刻になるほどに当たり前の愛情だったのだと思い出すと少しでも気が楽になるのかもしれない。あまりに思い悩むと物事を見つめる視野が狭くなり、自分を取り囲む世界だけが全てだと間違ってしまいそうになるが、自分の知らない世界は時空を超えて、国を超えて無限に広がっている。その中には人が誰を愛そうが決して否定されない真理の世界が隠されている。泣いていても、嘆いていても、そこへ辿り着くことはできない。泣き終わったら、嘆き終わったら、打ち砕かれた心を拾い集めて、たとえ完璧な形ではなくても、どんなに傷付きながらでも、ただひたすらに前へ進め。
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