夢の中でぼくはまだ、スペイン巡礼の道を歩いている。
スペイン巡礼800kmを1ヶ月かけて歩く旅の直前、ぼくは男を好きになる男であることを思い出さされた
目次
・スペイン北部のキリスト教の巡礼の道「カミーノ」
スペイン北部に聖なるキリスト教の巡礼の道がある。カミーノと呼ばれるその道800kmを、ぼくはおよそ30日間かけて歩いた。
スペイン巡礼の旅は、ぼくの世界一周の旅の中の一部だった。800kmといえば、東京から広島とか、東京から函館までの距離だ。そんなにも長い距離を果たして本当に人間が歩けるのか、最初から半信半疑だったが自分の肉体の可能性を追求してみようという好奇心と挑戦と冒険の思いが、ぼくをスペインの聖なる巡礼の道へと駆り立てた。
スペイン巡礼の道にもいくつものコースがあるが、ぼくが歩いたのは最も有名な「フランス人の道」だった。スペインに接したフランス南西部のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを起点として、スペイン北部のいくつかの大都会といくつもの名もなき町を歩いていくという壮大な旅だった。
・夢の中でぼくはまだ、スペイン巡礼の道を歩いている
スペイン巡礼の道の旅は、世界一周の旅の中でもぼくが最も忘れられない思い出のひとつだ。休まずに1ヶ月間、毎日ただひたすらに歩き続けるというあの不思議な感覚を、ぼくは未だに忘れることができない。夏のスペイン巡礼の道の風景は幻想的で、どこまでも広がる波打つ麦畑、ホタテ貝の道標に導かれた永遠に続きそうな巡礼路、風が鳴り止むことのない青空と荒野の風景は、ぼくの心の中に焼き付き離れることがない。
最終的にはサン・ジャン・ピエ・ド・ポーを出発点として、最終目的地の聖地・サンティアゴ・デ・コンポステーラへたどり着くことができたけれど、ぼくは今でもたまに夢の中で、まだスペイン巡礼の道を歩いている。もしかしたらぼくの巡礼の旅は、永遠に終わることがないのかもしれない。魂の巡礼の旅は、ただただ物質としての道を空間的に移動し、スタート地点からゴール地点までたどり着いたからといって、そんなにも容易く達成されるものではないのかもしれない。
ぼくの魂はまだ、スペイン巡礼の道を歩いている途中だ。永遠に終わらない、魂の巡礼の道を歩んでいる途上だ。
・世界一周の旅の中で、ぼくは男を好きな男だということを忘れかけていた
スペイン巡礼の道の出発地、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーで不思議な出来事があった。ぼくはスペイン巡礼の旅に出かける前にも、台湾一周の旅や、インドネシア横断の旅、ロシア・シベリア鉄道の旅、冬のヨーロッパを巡る旅、南欧を巡る旅などの冒険を繰り返していた。医師の仕事を中断して世界一周の旅に出ようと決めていたので、そのように多様な旅を続けていることは当然の成り行きだった。
世界中の旅を繰り返すうちに、ぼくは自分という存在が透明になっていくのを感じていた。自分がどのような種類の人間で、どのような群れの中に所属し、自分がどう特別でどのような珍しい生き方をしているのかをすっかり忘れてしまっていたのだ。それはすなわち、ぼくは男を好きになる男だということを忘れてしまっていたことを意味していた。
自分が男を好きになる男であることなんて、どうでもよかった。そのことによってかつては深い絶望に突き落とされたりもしたけれど、旅に出てしまえばぼくの存在は透明となり、まるであらゆる分裂の中点に位置しているような感覚になった。男でも女でもどうでもいい、大人でも子供でもどうでもいい、人間でも動物でもどうでもいい、聖でも俗でもどうでもいい、生きていても死んでいてもどうでもいい、その代わりにただその中点に自分の存在を配置し、どちらにも属さずにどちらにも属しているような、境界線上に自らの魂を見出す感覚を旅はぼくに授けてくれた。
・「君には重大な秘密がある」
若い肉体に引き起こされる強烈な性的発情も、無尽蔵に体内に生産される濃厚な青い液体も、ぼくの関心をとらえないままスペイン巡礼の旅へと導かれた。ぼくはもう、自分が男とを好きになる男であることなんてどうでもいいと感じていたし、聖なる旅を前にそんなことは忘れてしまっていた。
しかしスペイン巡礼を始めようとぼくがサン・ジャン・ピエ・ド・ポーへと辿り着いたその日に、ぼくは自分が男を好きな男であることを突如として思い出さされてしまった。それはサン・ジャン・ピエ・ド・ポーで宿泊していたフランス人の宿のおじさんと会話していた時のことだった。
おじさんとは特に取り止めもない会話をし、ぼくの過去の旅の話や、ぼくの書いている旅のブログを見せて「君は感受性が豊かなんだね」などという意見をもらったりして時は過ぎた。夜も遅くなり就寝の時間となり、会話を終了して部屋へ戻ろうとすると、おじさんはいきなりおもむろに、「君のスペイン巡礼の旅がよいものになるように祈っている。君には秘密がある」とつぶやいた。
おじさんの「君には重大な秘密がある」という言葉の意味が全くわからなくて、ぼくは不思議な顔をしていると「君は男の子と女の子どっちが好きなんだい?」と聞かれた。おじさんとの会話で全くそんな話題をしていなかったので、突然のことに驚いたが、素直に男の子ですと答えた。
あのおじさんは一体何だったのだろう。結局スペイン巡礼の旅は素晴らしかったが、当然のことながら同性愛に関わるような出来事が起こることはなかった。しかしスペイン巡礼の旅の始まりの前夜、ぼくが800kmを歩くという人生で初めての不思議な挑戦をしようとする直前に、いきなりなんの脈絡もなく自分が男を好きになる男、同性愛者だということを振り返させられてしまったことには、何かしらの意味があったような気がしてならない。もしかしたらあのおじさんは聖なるスペイン巡礼の精霊で、ぼくにとって同性愛者であるということは重要なひとつのかけがえいのない要素だからカミーノの旅の中でさえ忘れるべきではないと忠告するために、ぼくの目の前に現れてくれたのだろうか。
その真相はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーのおじさんにしかわからないことだが、ぼくの中では必死に人を愛した日々と、スペイン巡礼のせいなる旅路が、何の関係もないはずなのに意識の中で不思議と繋がってしまうのだった。
・同性愛について