中島みゆきオールナイトニッポンの感動的な最後のハガキ!
不細工だからいじめられ生きづらいという少女に送る中島みゆきANNの感動的な返答と、名曲「怜子」について
目次
・中島みゆきのオールナイトニッポン
中島みゆきは1979年から1987年までの8年間、毎週深夜1時から3時までラジオでオールナイトニッポンの番組を受け持っていた。彼女の喋りは衝撃的であり、当時「わかれうたを歌う暗い女」と言う彼女のイメージからはかけはなれた真逆で正反対の、ガハハと明るく笑いながらのあっけらかんとした軽快な語りが話題を呼び、大人気番組になったらしい。ぼくは生まれていなかったので当時のことはわからないけれど!
番組のほとんどは馬鹿馬鹿しい学校や家族の話から下ネタに至るまで楽しい話題だったのだが、2時間の番組の最後のハガキだけは、「お別れのハガキ」として真面目なハガキや真剣なハガキを読み、それから中島みゆきの歌が流れて番組が終わる、というのが通常の流れだったようだ。
中島みゆきのオールナイトニッポンの音源はインターネット上にもしばしば散見されるが、その中でもぼくがいちばん感動した「お別れのハガキ」は「わたし世界でいちばんのブスです」という書き出しで始まる女の子からのハガキだった。その内容は以下のようなものだった.。
・「わたし、世界でいちばんのブスです」
中島みゆき「今日も遅くまでお付き合いいただきまして 本当にどうもありがとうございました
なんか日本列島は冷え込んでいるようでございますから 風邪に気をつけてくださいね
足元冷え冷え冷え冷えしてるんじゃございませんか
風邪ひかないように ひいた人は 早く治るといいねー
お別れのハガキを読む時間になりました
この方の、住所読まないで ペンネーム 生きるのってつらいねって書いてあります
女の子からです」
みゆきさんこんにちは
わたし、世界でいちばんのブスです 誰が見たってブスです
自分でもわかっています…わかってるんですでも人から変な態度取られるとやっぱり傷つくんですよね
周りの友達から毎日ブスって言われて
街歩いてても吐く真似されて
学級の男子からは睨まれて
おまけに生徒会長の人からは目の前で色んなこと言われてああ目の前が霞んで見えない 字も書きにくい でも頑張って書きます
わたし今年受験です 志望校に願書も出します
だけど…だけどその高校には怖い人がいます
中2の終わり頃、何度も何度も目の前に立って吐く真似して
みんなの笑い者にされました
同じ高校に入ったら また嫌なことされて
毎日泣かないといけないのかと思うと 勉強できません死にたいなって思ったり 私が死んだらあの人たち喜ぶだろうなとか考えます
お母さん恨んだけど、恨んじゃいけませんよね ここまで育ててくれたんだものみゆきさん、こんなわたしでも 生きててよかったって思うことありますよね
堂々と人前歩けるようになれる日 来ますよね
その日を夢見て頑張りますそして そして
みゆきさんのコンサートの日には
今のわたしではないわたしになってみようと思います
「っていただきました」
・「あんたのままのあんたでおいで」
この”世界でいちばんのブスです”という女の子から来たハガキに対しする中島みゆきの返しは次のようなものだった。冒頭の彼女の声は、震えているようにも聞こえる。
中島みゆき「日本中でこの今の番組を聞いてる人!誰がいちばん醜く見えるか、わかると思います!
このハガキをくれたあなた そのくらいのことわかる人が日本中にいっぱいいると思います
今あなたの周りにいる 学校のそういうことを言う
あなたを傷つけた仲間だけが人間だと思わないでほしいと思います
これから色んな人に会っていくことと思います
世の中狭く見ないでくださいね
女の子は金さえかければある程度いくらでも美人になれるとわたしは思います
顔っていうのはいくらでも作れます 金さえかければ
でも金かけて綺麗になれないものもあると思います
コンサートの日は あんたのままの あんたで おいでよね また来週」
・「怜子 いい女になったね」
そしてこのコメントの後に、彼女の歌「怜子」が流れてこの日の番組は幕を閉じた。「怜子」とは、自分に自信を持てなくてひとりで街も歩けなかった怜子という女に、好きな男をとられてしまった女の心情を歌った歌である。しかしここで「怜子」を流したのは、自分に自信がなくても人間関係によっては自分自身を変えていけるんだよという中島みゆきなりのメッセージが込められていたのではないだろうか。
怜子 いい女になったね
惚れられると女は本当に変わるんだね
怜子 ひとりで街も歩けない
自信のない女だったお前が嘘のよう怜子 みちがえるようになって
あいつにでも本気で惚れることがあるんだね
怜子 あいつは誰といても
さみしそうな男だった お前とならば合うんだね人の不幸を祈るようにだけは
なりたくないと願ってきたが
今夜 おまえの幸せぶりが
風に追われるわたしの胸に痛すぎる
(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)
・ぼくたちが聞ける「怜子」には3つがある
ぼくたちが聞ける中島みゆきの「怜子」の音源には2種類がある。彼女の1978年発売の4枚目のオリジナル「愛していると云ってくれ」に収録されている原曲バージョンと、2004年発売のセルフカバーアルバム「いまのきもち」に収録されているセルフカバーバージョンの2つである。
「愛していると云ってくれ」に収録されている「怜子」は衝撃的だ。それは「怜子」がそのひとつ前の曲「元気ですか」と連動しているからである。「元気ですか」は曲というよりも、女がただ暗い部屋でひとりごとをつぶやいているような不気味さと生々しさがある。「元気ですか」は、好きな男の恋人の女性のところに電話をかけて、その好きな男の話を聞き出そうとする惨めで淋しい女の電話口での語りをそのまま収録している。歌ではないのだ。
そして「元気ですか」の最後に「今夜は…泣くと…思います………」と消えそうな儚い女の声で曲が終わると、その後、急に中島みゆきの絶唱が始まる。それが「れ〜〜〜〜い〜〜こ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」という女の叫びである。これが「怜子」の曲の冒頭だ。とにかく説明してもイメージできないと思うので、オリジナルアルバム「愛していると云ってくれ」を購入してぜひこの衝撃的な流れを味わってほしい。「元気ですか」〜「怜子」の流れは、一生に一度は聞いておかなけば損だと言い切れるほどの名演出となっている。
「愛していると云ってくれ」には70年代の大ヒット曲「わかれうた」やドラマ金八先生で流れた「世情」、今でもよくカバーされている女の失恋の名曲「化粧」も収録されている、中島みゆき初期の珠玉の名作である。
「いまのきもち」に収録されている「怜子」は、もっと肩の力を抜いた穏やかな雰囲気がある。「愛していると云ってくれ」の時代には「れ〜〜〜〜い〜〜こ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」と泣き狂うように恨めしく歌っていた女の心も、年をとればここまで穏やかになれるのだという変化の象徴だろうか。ふたつを比べてみると非常に趣深い。ここにも「わかれうた」が収録されているので、ふたつのアルバムを聞き比べてみて1978年と2004年という長い年月の流れに思いを馳せるのも風流だ。
さらに映像作品で言えば彼女のライフワークとも言える音楽劇「夜会」の「シャングリラ」の公演において「怜子」が披露されている。「シャングリラ」の冒頭の場面では中島みゆきが酒場のシンガーとして、これまでの彼女の発表作品の中から数々の名曲を披露する。その名曲群の筆頭として選ばれたのは「怜子」の曲だった。時に物憂げに、時に力強く歌い上げる名曲の数々を鑑賞できる「シャングリラ」の冒頭の部分は、夜会の名場面のひとつと言えるだろう。
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