誕生日に聞きたい!中島みゆきの「誕生」「赤ちゃん」にまつわる隠れた名曲10曲
目次
・中島みゆきの誕生日は2月23日
中島みゆきの誕生日は2月23日だ。なんと令和の時代には天皇誕生日と同じとなり、中島みゆきの誕生日は国民と休日となった。それを記念して(?)ここでは中島みゆきの「誕生」「誕生日」「赤子」にまつわる代表的な楽曲を10曲紹介しようと思う。中島みゆきのお父さんは産婦人科医で、中島みゆきにとって「誕生」「赤子」というものは幼少期から身近な内容だったのだろうか、「誕生」や「赤子」にする楽曲が非常に多いことは、中島みゆきというアーティストの特徴と言える。
「誕生」「赤子」というのはあらゆる人間の根源だ。そんな根源に焦点を当てた楽曲が多いからこそ、中島みゆきの歌はあらゆる年齢の人や、あらゆる国の人に幅広く支持されているのかもしれない。誰もが「誕生」することによってこの世にたどり着き、誰もが生まれた時にはみんな「赤子」だったのだから。
1.杏村から
ふられふられてため息つけば
町は夕暮れ人波模様
子守唄など歌われたくて
途切れ途切れのひとり歌を歌う明日は案外うまくいくだろう
慣れてしまえば 慣れたなら杏村から手紙が届く
昨日おまえの誕生日だったよと
(この記事は著作権法第32条1項に則った適法な歌詞の引用をしていることを確認済みです。)
中島みゆきの歌でまさに「誕生日」というワードが入る昔ながらの心温まる曲。シングル「あした天気になれ」のB面だが、オリジナルアルバムにもベストアルバムにも収録されることもなく、シングルコレクション「Singles」でしか聞くことができない、素朴な隠れた名曲。
2.雪傘
足跡消しながら後ずさる
雪の上逃げる小ぎつねみたいに
小枝の代わりに嘘を抱いて
思い出消しながら遠ざかりましょうHappy Birthday 今日を祝う人が
いてくれるのなら安心できるわ
いつまでひとりずつなんて
よくないことだわ 心配したのよ雪傘の柄に指を添えて
ゆく時を聞いている
同じく「Happy Birthday」というワードが入っている静かな名曲。別れたけれど忘れらない男の家に、彼の誕生日を見計らって訪れると、彼には他に祝われる人がちゃんといて、逃げるように帰ったという女性の切ない名曲。「真夜中の動物園」というオリジナルアルバムに収録されており、動物園らしくきちんと「小ぎつね」が出てくるところが粋な選曲だ。足跡を消すとか、小枝をくわえるとか、きつねのささやかな特徴をよく知っているのは、キタキツネを頻繁に目撃できる北海道出身のみゆきさんだからだろうかと考えると、何となくイメージも膨らむ。
3.やまねこ
女に生まれて喜んでくれたのは
菓子屋と ドレス屋と 女衒の女たらし
嵐明けの如月 壁の割れた産室
生まれ落ちて最初に聞いた声は落胆のため息だった
女に生まれたということでため息をつかれたという、誕生の瞬間から存在を否定された歌詞は衝撃的だ。さらに「嵐明けの如月」という歌詞から、これは2月生まれの中島みゆき自身の個人的な誕生の瞬間を歌詞にしたことが示唆されている。昭和の時代だと、1番目の子供に女の子が生まれると喜ばれないという習慣が残されていたのだろうか。
4.アリア-Air-
やまぬ雨のように考え続けよう
あなたのことだけを考え続けよう
世の中のことなどふり向きもせず不安を予感して泣く赤ん坊たち
不安を予感して恋する大人たち
未来は嘘をつく 予感を嗤うひとりでは歌は歌えない
受け止められて生まれるあてもなく夜の空へ 鳥を放つかのように
あてもなく声に出す 心を放つひとりでは歌は歌えない
受け止められて生まれる
響き合う波をさがして
「ひとりでは歌は歌えない 受け止められて生まれる」と、中島みゆきの本職である歌というものについて語られている本質的な歌。泣き叫ぶ生まれたての赤ん坊も、成熟して恋する大人たちも、ともに同じように不安を予感しているという歌詞は印象的だ。
5.空がある限り
アゼルバイジャンの夕暮れは
女満別の夕暮れと変わらない
歩いているうちにいつの間にか
紛れ込んで続いていきそうだ銃で砕かれた建物や
鉄条網が視界を塞いでも
まるで昔からいるように
わたしはそこにいるだろう肌を包む布がある
わたしは赤子に返る
誰か歌う声がする
わたしは子供に返る空がある限り
わたしの暮らす街
懐かしさもわずらわしさも美しさも汚さも
あなたとわたしの街
「布に包まれた赤ちゃん」というワードが登場する歌。アゼルバイジャンをさまよい歩いていると、歌の主人公は次第に「歌を歌う子供」「布に突かれた赤子」へと返っていく。それはまさに異国を旅していると自分の根源を発見するような感覚を歌っているのかもしれない。
そして自分の根源に突き当たると、どんなに遠い異国にいようとも自分の祖国とそんなに変わることはないのだと、人間というものは根源の部分ではみんな同じで繋がっているのだろうと、普遍的な価値を見出した歌であるようにも聞こえる。「アゼルバイジャンの夕暮れは 女満別の夕暮れと変わらない」「歩いているうちにいつの間にか 紛れ込んで続いていきそうだ」には、異国と祖国が次第に繋がり合い、国境など消え失せてひとつになる感覚が示唆されている。2番に出てくる「パスポートもビザも必要がない」という歌詞も、国境を超越している感覚が生み出されているように聞こえる。
ぼくたちは大人になるたびに世界を様々に分類し、境界線を設ける。その結果として自分の属する集団の幸福を求め合い、争いに発展することもしばしばだ。しかし本当は境界線などないのだと悟ることによって、争いの心を鎮めることができる。大人になるたびに植え付けられた境界線を心から解き放つためには、まさに「赤子」へと返る必要があるのではないだろうか。
6.ピアニシモ
あらん限りの大声を張り上げて
赤ん坊のわたしは喚いていた
大きな声を張りあげることで
大人の間に入れると思った大人の人たちの声よりも
男の人たちの声よりも
機械たちや車の音よりも
ずっと大きな声を出そうとしただって歴史たちが示している
シュプレヒコールもアジテーションもみんな
喚かなければ届くものじゃない
がならなければふり向きもされないなのにあの人がわたしにリクエスト
ピアニシモで歌ってください
ピアニシモで歌ってください
大きな声と同じ力で
ピアニシモで歌ってください
赤ちゃんがあんなにも力任せに泣き叫ぶのは、大きな音が鳴り響く世界において、それらの音を突き破ってでも、自分の声を届かせて自分の存在を主張するためだと、赤ちゃんのたくましい力強さが歌われている。しかし本当に人の心に届けたい言葉というものは、大声でがなったり喚いたからといって伝わるわけではないことが示唆される。大声で主張したりするよりもむしろ、敢えてピアニシモ(小さな声でささやくように)で歌った方が伝わるという場合もあるのだと、ピアニシモで歌っても言いたいことが伝わる技量が重要なのだと、サビの部分では教えてくれるような気がする。
大声を出して我を通すような種類の人の主張ばかりが世の中では目立ち、採用され、声を潜めているささやかな魂たちの意見は無視されるという虚しさと、そんなささやかな者たちに負けないでと励ます名曲「ささやかな花」も存在するが、残念ながらCD音源化されておらず、夜会「2/2」の映像作品のみで聞ける隠れた名曲となっている。中島みゆき自身によって歌われていないが、それでもその名曲さは際立っている。
7.泣いてもいいんだよ
強くなれ泣かないで
強くなれ負けないで
大人になれ泣かないで
大人になれ負けないでぼくたちはいつだって 乳飲み子の頃だって
言われ続け育った
生まれたての赤ちゃんはよく子守唄などで「泣かないで」と大人からあやされがちであるが、赤ちゃんのうちから泣かないでと強要されることで、強くなれと植え付けられることで、人間たちは本当の自分を見失い人の世で生きづらくなっているのではないかという疑問に満ちあふれた歌。それゆえサビでは「泣かないで」と言われ続ける人間たちの呪いを解くかのように中島みゆきが元気に「泣いてもいいんだよ」と歌ってくれる。
8.記憶
もしも生まれる前を
総て覚えていたら
ここにいない人を探し
つらいかもしれない忘れてしまったのは
幸せな記憶ばかり
嬉しかった記憶ばかり
そうであってほしいけれど1人で生まれた日に
誰もが掌に握っていた
未来は透きとおって
見分けのつかない手紙だ何が書いてあるの
生まれてきた赤ちゃんの手には何も握られているようには見えないけれど、実は透き通った手紙をしっかりと掴みながら人は生まれてくるのだと歌われる。しかしそこに何が書いてあるのかを、誰も読むことができない。夜会「ウィンター・ガーデン」のクライマックスに位置付けられる壮大な名曲。前世の記憶を失くしながらも前世の因縁に支配され続けた犬を中島みゆきが演じている。前世から何かを引き継いできたにもかかわらずそれを読み解くことができずに、自分は何を待っているかも忘れてしまった犬の切なさが「何が書いてあるの」という歌詞に表現されているような気もする。
同様の趣旨を歌った曲に、夜会「今晩屋」で披露された「有機体は過去を喰らう」という朗らかな曲がある。その中では「新しき赤子たちの掌には昔がある」と歌われている。
9.誕生
Remember 生まれたとき
誰でも言われたはず
耳を澄まして思い出して
生まれてくれてWelcomeRemember けれどもしも
思い出せないなら
わたし いつでもあなたに言う
生まれてくれてWelcome
この世に生まれた時は誰もが「Welcome」と言われて歓迎されていたのだという、生命と誕生に対する徹底的な肯定にあふれた慈悲深い歌。自身の否定に満たされた誕生を歌った「やまねこ」とはまさに対照的で、「やまねこ」の中で誕生によって否定された自分自身の魂を慰めるための、返歌、鎮魂の歌ともとらえることができる。中島みゆき自身がこの名曲「誕生」について語ったインタビューは、以下の記事で詳細を紹介した。
10.産声
誰かわたしのために
あの歌を歌ってください
まだ息をするより前の
生まれながら知っていた歌を誰かわたしのために
あの歌を歌ってください
生まれくる全ての人が
習いもせず歌える同じ歌
この歌については「夜会工場」の中で中島みゆき自身から説明があった。人間の赤ちゃんは世界中どこで生まれても「ラ」の音階で泣くのだという。産声のイントロはまさにその「ラ」の音である。ぼくたちは世界中の人々を、肌の色や、言語や、宗教、その他色々なもので分け隔て、自分とはどこが違うと探しがちになるが、結局赤ちゃんという根源へと全ての人間を遡らせてしまった時に、同じ「ラ」の音で泣いているのだという普遍性は注目に値する。違っていることばかり、異なっていることばかり、ぼくたちは主張するけれど、結局元をたどればぼくたちはみんな同じなのだ。同じもの同士、似た者同士で争い合い、憎み合い、殺し合うということは虚しい出来事であるに違いない。
「誕生」によって全ての個々の生命に徹底的な肯定を与えた後、中島みゆきは全ての生命に共通する普遍性を「産声」で与えたのだった。映像作品「夜会工場Vol.2」の「産声」の高らかな絶唱は一見の価値あり!
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