あなたはぼくのことを、覚えていてくれるのだろか。
Facebookのレインボーアイコンの意味とは?ノンケの彼と別れた後、彼のプロフィール画像はずっと虹色だった
目次
・ぼくは大学生の頃にノンケの男の子に失恋した
大学生の時にノンケの男の子に失恋して、その後の学生生活は平気そうにふるまっていたけれど、本当は存在を根底から否定されたような虚ろな日々だった。それでもなんとかいくつもいくつも次々に迫ってくる大量の試験やレポートや実習をこなしながら、負けないように流されないようにしがみつくようにして、医学生としての生活をかろうじて送っていた。
失恋の傷は数年すれば癒えたような気がしていたけれど、根こそぎ魂が奪われたような感覚はやはり一貫して精神の底を流れて絶えることはなかった。この感覚は男を好きになる男だという自分の運命から来たものなのか、この人生でさえ愛した人に愛されると信じたところで彼を奪われた悲しみから来るのか、もはやわからなくなってしまった。けれど心の表層の波は平穏に整えられ、もはや彼のことを思い出しても心が乱れないくらいには落ち着いた日々を享受していた。ただ自分が生きているのか死んでいるのかわからない、自分が幽霊か異界の者であるような感覚が生命に深く刻み付けられたままだった。
完全に彼のことをどうでもいいと思える日は訪れるのだろうか。一度愛し合ってしまった以上、そんな日は一生来ないのだろうか。彼はもう、ぼくのことなんてすっかり忘れてしまったのかもしれない。男の肉体に発情した日を後悔として退けて、ただ誰でもいいから女の肉体を抱きしめて男としてこの世に生まれた快楽を謳歌しているのかもしれない。だけどもはや会わないのだから、そんなことはもうどうでもいいことだった。
・大学時代のぼくの2番目の恋について
・虹色はLGBTの象徴!Facebookのレインボーアイコンの意味とは?
ぼくたちが別れて数年後に、彼のFacebookのプロフィール写真がド派手なレインボーアイコンに変わっていた。他にそんなアイコンにしている人はいないので、正直驚いた。後にも先にもレインボーアイコンを使っていたのは友達の中で彼だけだった。
レインボーすなわち虹色は、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の象徴となる色彩であるとされる。2015年6月26日に、アメリカ全州で同性婚は憲法上の権利だと認める判決が下され、全米での同性婚の容認をお祝いするためにFacebookではプロフィール写真を簡単にレインボー仕様にできる仕組みを採用したとのことだった。つまりFacebookのアイコンをレインボーに変えるということは、LGBTに理解を示し、同性婚をお祝いする意思があるということを表現しているということになる。
・ノンケの彼はどういう気持ちでFacebookの写真をレインボーに変えたのだろうか
彼はどういう気持ちでFacebookのアイコンをレインボーに変えたのだろう。それから彼のアイコンはずっとずっと虹色のままだった。ノンケの彼はぼくと出会うまでは、LGBTから最も遠い位置にいるような、なんの縁もゆかりもなさそうな男の子だった。ぼくと抱きしめ合ったり、好きだと言い合ったり、キスしているよな関係になった後でさえ、彼は自分が同性愛的行為をしていることを受け入れられず、不安定にぼくとの関係を拒絶してはまた抱きしめ合ったりを繰り返していた。
それでも最後の日々ではちゃんとぼくと向き合ってくれ、ごまかさずに、男同士で好きだと言い合っていること、一緒に寝て触り合っていること、キスしていることをきちんと受け入れたことを前提としてぼくと語り合ってくれた。その意味でいえば彼の精神はぼくと過ごしながら少しずつ変わり、成長していったのかもしれない。
どこからどう見てもストレートに見える彼も、ぼくと同性愛的経験を積んでいるという点ではLGBTのBに当たるのだろう。しかしそれを彼が認めるとは思えなかったし、ぼくも別にそれを望んではいなかった。彼はただ女を好きな男として、ぼくとの関係を誰にも明かさずに一生を終えるだろう。けれど2人の最後のつらい日々の中で、彼の本能が女の肉体を求めて走り出してしまうことと、ぼくたち2人の魂と肉体が確かに呼び合い愛し合ったことの矛盾が、ぼくの心を引き裂くように苦しめ続けていることを、ぼくは泣きながら彼に話していた。彼もそれに耳を傾けて、ぼくを強く抱きしめたり、ぼくにキスをして慰めてくれたけれど、それでも彼が女の肉体を求めてぼくを去って行くことを止めることは到底できなかった。
・彼はまだぼくのことを覚えているのだろうか
男を好きになる男としてのぼくの悲しみや怒りや苦しみを、きちんと聞いてくれた人として、彼は他の人よりもLGBTを理解していると言えるのかもしれない。彼の中でぼくの存在はちょっとでも生き続けているのだろうか。それとも女の肉体の快楽に紛れて、ぼくたちの同性愛的な日々のことなんかすっかり忘れてしまっているだろうか。彼はぼくたち2人の日々を慈しんでくれるのだろうか、それとも憎んでいるのだろうか。彼とはもう二度と会わないからそんなこと知る由もないけれど、彼のド派手なレインボーの写真を見るたびにふと2人の日々を思い出してしまう。