幸福の果実

 

 

ぼくたちは果実を祝福しよう
果実を満たす肉体が嬉しい
果実が生み出す青さの無限が愛しい
ぼくたちは果実の春に支配される

森の奥深くの秘密の泉のほとりに
少年はその肉体を横たえる
衣を失くしたまま光と風だけをまとう
恥じらいという呪いから解き放たれた

どんなに喪失してもまた生み出されることを
他でもない果実が教えてくれる
春を失っても命を落としても
やがてまた満たされる光を知っている

青い液体は少年の生命のみなもと
王のような万能感を少年は引き受ける
どんなに傷ついても決して朽ちない誇りが
ぼくの生きる道を照らしてゆく

ぼくには果実があってよかった
青い液体を生み出す果実は幸福だ
果実を持たないことは何も持たないことと同じだ
ぼくには果実があってよかった

 

 

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2 件のコメント

  • 最近、情勢的に引きこもりライフが長引くにつれ、おのずと自分の果実に還る機会も増えたかな~と思います。けれど、自分一個だけでは飽き足らずに、どこかで他者の果実も求めて夢想することが多いです。神様はよく自分にも他者にも、お互いが惹かれゆく、似たような果実を創造したな~と御業に感心しますが、医学的に、もしくは生物学的に、人はなぜ果実に執着してしまうのか、どうかあなたの思考で、いつか解き明かしてみてください。いずれにせよ、ぼくたちには、それぞれの果実があって、よかった。

    • 最近、人間は星や花や石を美しく思うのはなぜなのかいくら考えてもわからないという記事を書きました。女性を美しいと感じるのは発情して生殖を促すために人間に必要な機能としても、なんだって星や花や石なんて美しいと感じるように人間は作られているのでしょうか。けれど一方で星や花や石をすごく美しいと感じる確かな自分がいて不思議です。きっと本当に大切な感性は理屈に合わないものなのかもしれませんね。果実も、究極的には星や花や石と似ているのかもしれません。

      人は自分とそっくりな似たものに興味を示すこともあれば、全く逆のものが大好きな人もいますね。似たような果実を追い求める人と、逆の果実を求めるものは何が違うのでしょうか。人間は最初の基本が女性で、発生の段階で男性ホルモンにより男性へと変わっていくと聞きます。どちらの生殖器の部位も全て対応する似た場所があり、結局はどちらにせよ似たものを追い求めるということでしょうか。

      理星人さんは都心に住んでいるのでしょうか?お体に気をつけてくださいね!

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