炎の中に手を入れた少年のように、ぼくたちは最も恐ろしい異国へと飛翔する

 

少年のぼくは、燃え盛る炎の中に手を入れた。

炎の中に手を入れた少年のように、ぼくたちは最も恐ろしい異国へと飛翔する

・火に決して触ってはならない

火は危ない。火に近づいてはいけないし、火に触ってはいけない。そんな当たり前のことさえ、まだ知らなかった幼い時期がある。小さな頃ぼくは、お母さんと家のキッチンにいた。キッチンのガスコンロから出てくる、燃え盛る青い炎をぼくに見せて「火は熱くて危ないから絶対に触ってはいけないよ」と幼いぼくに念を押した。お母さんとしては火の危険性を伝えることは立派な教育だと思っていたのだ。

しかし幼かったぼくはお母さんにそう告げられ、何がどう危ないのか、一体どれくらい熱いのかものすごく気になり、愚かなことに火の中に思いっきり手を突っ込んでしまったのだ!火というものがどれくらい熱いのか知りたかったくせに、火というものの強烈な熱さに驚きおののき、さらには軽い火傷をして号泣した記憶がある。

 

 

・子供がおそろしいものに手をのばす理由

それにしてもあれほどお母さんに危険だと注意され禁止されたのに、幼い子供というのはどうして危険だと告げられたものに手をのばして挑戦してしまうのだろうか。生まれて間もない子供というものは、怖いとか危ないから避けようという感情よりもむしろ、この世界の中で怖いものはどんなものか、自分の生きている世界において危ないとはどういうことか、それを自分の肉体で経験したいという好奇心の方が強く心の前面に押し出されるものなのだろうか。

怖いと言われているものの中に手を入れてグチャグチャにかき乱してみたい、危ないと聞かされた世界に入り込んでその感触を確かめてみたい、そんな幼い子供の生々しい本能の好奇心が自分にも備わっていたことが思い出される。

 

 

・平等で透明な世界

生まれたばかりの子供はおそれなど知らない。怖いものも、危ないものも、美しいものも、尊いものも、みんなすべてがごちゃ混ぜの世界をまるで炎のように燃え盛りながら生きている。それは分別のつかない、大人から見れば未熟な世界と見下されるだろう。しかしもしかしたらそれは、あらゆる人間が帰り着きたい真理の世界である。

分別のない神聖な世界の中で、幼い子供たちは全てのものに触れたがる。怖いものも美しいものも同じ、危ないものも尊いものも同じ、すべてが平等となった透明な世界の中で、等しくあらゆるものをまさぐりたがる。触ればわかることだろう。何が痛くて何が悲しいかを。触らなければわからないだろう。何が虚しく何がおぞましいかを。

他人に告げられたとてわかるものだろうか。それがたとえ血の繋がった親であろうと。ぼくはぼくで触って確かめる。この肉体も、この心もぼくだけのもの。与えられたひとつの命として、よそ者の感性など入れ込まない。幼いぼくは火をまさぐって初めて、生きた火の熱を知った。それはたとえどんなにおそろしくても、たとえどんな痛みを伴っても、生きる生命としての誇りだったのだろう。

 

 

・〜炎の旅〜

異国を彷徨い歩いているとき、ぼくはまさに火の中に手を入れた幼きあの瞬間を思い出す。この世で最も恐ろしいと語られたものの中に、自らの肉体を投入させた心の中の炎を呼び覚ます。

小さな頃から親に散々言われた。外国というのはとても怖いところだと。行くべきではないところなのだと。行かないで欲しいからこそおそろしいと伝え続けた、親の願いは届かない。世界に対峙して真剣に生きようとする燃え盛る魂は、最も恐ろしいと語られたものを目指したがる。

痛むことをおそれることはない。傷つくことを嘆いたりしない。この世で最もおろそしい世界をこの肉体でまさぐって、その感触を魂へと植え付けたい。あの日、炎の中へと手を入れた少年のように、ぼくは今でも異郷の旅を続けていく。

炎の旅

 

 

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