喜怒哀楽の中で、怒りが最も美しい

 

日本の仏像、不動明王はなぜあんなに怒った表情をしているのだろう。

喜怒哀楽の中で、怒りが最も美しい

・喜怒哀楽の中で美しいもの

人間の感情喜怒哀楽の4つの中で、どれが最も美しいかと問われれば、ぼくは間違いなく「怒」だと答えるだろうう。迷いなくぼくはそのように答えることができる。そしてそのことが、たまに人間を不思議がらせる。

大抵の人間というのは「怒」など嫌いなようである。「喜び」とか「楽しみ」とか、そういう類いの感情が人間にとっても持ち合わせるのにふさわしいものだという空気が世の中には充満しており、実際にぼくも何人かに「喜怒哀楽の中でどれが好きか」と問えばほとんどの人は「喜」や「楽」と答える。あなたはどうだろうか。

ぼくはこの世の怒りが好きだ。その怒りとは、個人的な人間に向けて放つ醜く野暮なものではなく、もっと大きく壮大な、世界に対する透明な怒りだ。ぼくたちは世界に対して常に怒らなければならない。その常識は本当にそうなのかとか、それは思い込みに過ぎないのではないかとか、それはただ洗脳された思考ではないかとか、そんな風にして世界を打ち砕くように必死にもがきながら生きなければならない。

「その常識は本当にそうなのか」という打ち砕きは、まさにぼくの魂のテーマそのものである。

 

 

・神聖な怒り

誰か個人に対する憎しみや妬みのような愚鈍な怒りではなく、まったくそれとは異なる透明で澄明で神聖な怒りに触れた時ほど、この生命は活性化される。しかしたやすく洗脳されやすい浮世で、そのような神聖な怒りに触れられることは稀である。それでも自分自身がそのような神聖な怒りを自分自身の内部に溶岩のようにふつふつと感じるのならば、常にアンテナを張り巡らせ、同じような怒りが世界に発散されていないかと注意を払うべきである。するとそこには必ず同じような怒りが発生しているものだ。

ぼくの中でたまたま見つけた怒りは、たとえば中島みゆきから発生している。彼女は常に神聖な怒りの力に満ちている。ただぼくがそう感じるだけで、勘違いであるかもしれないが、ぼくの中での彼女は常にそうなのだ。常に洗脳された視点ではなく、もっと裸の眼差しで世界と対峙し、向き合い、そして世界に向けて真理とはなにかと問いかけ、表現を投げかけ続けている。彼女の表現は無尽蔵だ。今年もなんと新作の夜会を実行するという。老齢に達してもなお彼女の創造は尽きることなく、人間とはどのように生きるべきをぼくにその生き様によって教えてくれる稀有なアーティストだ。今生きている中で、 彼女ほどの人生の教師がこの世にいるだろうか。

また、怒りというキーワードを前面に押し出して表現された文章でぼくたちに怒りの重要性を強く説くのは、今は亡き岡本太郎だ。彼はこの世を去ってもなお、ぼくのようにこの世に生きている人の心にあらゆる炎を注ぎ込んでいる。生きていようが死んでいようが関係ない、人の心を動かし続ける力は生死など超越して迫ってくるのだというメッセージが、彼から強く伝わってくる。

彼の著書は数多く、ぼくは彼ほどその文章に共感してしまう人を人生でさがし当てない。その中でも彼の信条として頻繁に出てくるキーワードが「怒り」である。 ぼくは生きている彼を見たことない世代なのでわからないが、生前の動画などを見ていると、自分自身でも抱えきれない怒りや底知れぬエネルギーを感じる。それがあまりに強すぎるあまりに、そして純粋で無垢な魂を持ち合わせたあまりに、世間では“変な人扱い”をされていた感もあるのかもしれないが(その時代に生きていないからよく知らないけれど)、それでも大阪万博のシンボルとして太陽の塔の政策を任されたのだから、きっと芸術家として認められていた空気もあったのだろう。

この世には少ないながらも、さがせば必ず神聖な怒りの尊い破片くらいは見つかるものだ。

 

・大日如来の化身

日本のお寺を巡っていると、頻繁に“怒り”に遭遇する場面がある。人はその仏像を不動明王と呼ぶらしい。仏像というものは往々にして穏やかで安らかなお顔をしていらっしゃるものなのに、なぜ不動明王という仏像だけはこんなに強く怒った顔面をしているのだろうと、ぼくは不思議だった。そして不思議がりながらも、不動明王の魅力にすっかり取り憑かれてしまった。この仏像には、自分の根元にある怒りの赤い炎と共鳴する何かがあると感じずにはいられなかったのだ。上に書いたような“神聖な怒り”を感じることができる、もっとも歴史の長い古来からのものがあるのならば、あるいはそれは不動明王かもしれない。

不動明王はぼくの生まれ育った紀伊山脈にも度々出現する。高野山でのことだ。ぼくは世界で最も好きな場所が高野山であり、実家から近いのでよく訪れている。高野山という世界でも類を見ない奥深い山頂の仏教都市の、道端やお寺やあるいは美術館の中に、そのお姿を認めることができる。

高野山は弘法大師・空海の開いた密教・真言宗のための仏教としてある。なんでも不動明王は、密教の中の如来・大日如来の化身であるという。大日如来と言えば密教の中でも最も重要視されている大仏で、大日如来は宇宙そのものであり、またぼくたち人間の細胞のひとつひとつにも住んでいるという。大日如来は宇宙というあまりに大きなものとしても存在しうるし、逆にとても細かい塵ひとつひとつのあらゆる存在にさえ遍く内在しているという不思議な仏様である。その論理から行くと大日如来を媒介として、ぼくたちは宇宙である、それと同時に宇宙はぼくたちということもできるだろう。それは矛盾しているようで、直感的な真理である。

その大日如来の化身だというのだから、密教の中で不動明王は最も重要な存在であると言える。そしてその不動明王を十二の天が守護しているという。「天」とは空のことでなく、インド原産の神々が日本の仏教に取り込まれた際にそれは「天」と呼ばれるようになる。不動明王は十二の天・インド的な神々によって守護されているのだ。

“北の天から南の天へ 乾の天から辰巳の天へ 西の天から東の天へ 未申から丑寅へ 上の天から下の天 日の天から月の天

毘沙門天から閻魔の天へ 風の天から火の天へ 水の天から帝釈天へ 羅刹天から伊舎那天 梵の天から地の天へ 日の天から月の天”

 

という中島みゆきの「十二天」という歌を諳んじることができれば、簡単に十二天の方角とそれに対応する神々を暗記することができるが、これが人生で役に立ったためしはない。しかしこの歌も神聖な怒りに満ちた必聴の歌である。「夜会」という彼女のライフワークの劇のために書き下ろされた歌であり、CDにもなっているが、夜会のDVDでの流れの中で観るとその透明な怒りの力に圧倒されることに間違いはない。

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・不動明王の怒りの理由

それでは不動明王という仏像様はなぜ怒っているのだろうか。ぼくはインターネットで検索してみたが、そこには大抵「仏教に帰依しない人間に対して仏教を信仰しなさいとお怒りになっているお姿だ」というふうに、怒りの理由が書かれている。本当にそうなのだろうか。ぼくには納得がいかない。お寺のホームページにもそのように書いてあるし、それが通説だと言えるのかもしれないが、世間でなんと言われていようと、ぼくにとってこれは直感的に納得のいかないものだった。

通例の説明で納得いかないとすれば、自分自身で納得するような理由を作り上げるしかないのだろうかと思い悩んでいた時に、ぼくはとても心にストンと落ちる納得のいく素晴らしい不動明王の解説を見ることができた。例によってそれは高野山においてである。

高野山には「霊宝館」という美術館があり、紀伊山脈の山の中とも思えぬほどに様々な仏教的美術品を鑑賞することができる。巨大な二対の曼荼羅「金剛界曼荼羅」と「胎蔵界曼荼羅」は必見であるし、その他多くの仏像も安置されている。その中にもちろん不動明王の仏像もある。その前に書かれていた不動明王の説明の概要は次のようなものであった。

“不動明王がこのようなお顔をしているのは、世の中の人を助けようと必死の形相をしているからである”

そうなのだ。人間に対してこのような怒った顔をしているはずがない。それはなんて浅薄な思想だろう。そうではなくて、世の中で迷い苦しみもがいている人々を、必死に助けようとするあまりに、このような険しいお顔になってしまっているのだ。なんて慈悲深いお顔だろうか。ぼくはこの説明文に出会えて心からよかったと思った。真実はいつも高野山に潜んでいるのだ。

人が生きることは苦しみであると仏教では説かれている。そしてこの世は苦しみにまみれた海のようでもあり、仏教ではこの世の中を「苦海」と呼ぶこともあるという。そのような苦しみに満たされた浮世で生きる人々は、世界へと向き合おうとすればするほど、真剣に真理を求めようとすればするほど、必死の形相になるに相違ない。不動明王の険しいお顔の形相は、この世を必死に生き抜いているぼくたちの生き写しのお顔だ。だからこそ、ぼくは不動明王に心を奪われてしまっていたのだ。

愚かな洗脳に流されてこの世で何も考えずに生きるのは容易かろう。「常識」というものを盾にして自分自身をよく守り濁った世界に浸ることができれば、悲しまずに生きることもできるだろう。しかしそのような生き方では、決して不動明王のお顔の険しさに触れることはできない。それでは生まれてきた甲斐がないと、ぼくの根源の炎は確信している。どれほどに傷つきながらでも、ひどく冷たい水を遡りながらでも、神聖な炎を絶やすことなく、濁世を生き延びてみせよう。共に行ける人はいますか。

たとえこの命が終わったとしても、炎は決して消えはしない。

 

 

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