武田鉄矢、瀬尾一三、宮崎駿!ぼくが最近ハマっているのはおじいさんたちのラジオを聞くこと

 

おじいさんの話聞くの楽しい。

武田鉄矢、瀬尾一三、宮崎駿!ぼくが最近ハマっているのはおじいさんたちのラジオを聞くこと

・武田鉄矢・今朝の三枚おろし

最近ぼくがハマっていることは、youtubeで武田鉄矢さんのラジオ番組を聞くことだ。番組のタイトルは「武田鉄矢・今朝の三枚おろし」。武田鉄矢さんが何かしらの本を読み、それを自分なりに吸収し得たものを、ラジオで発表してくれるという番組だ。それはさながらラジオから金八先生の授業が流れてくるような懐かしさもあるものの、この番組の魅力はそれだけにとどまらない。

ぼくは最近youtubeでこの番組を知ったのだが、なんとこの番組は1994年から2019年の今に至るまで放送を続けているらしい!なんという継続力!この番組を続けて行くのは本当に大変だろうと思う。常に何かしらの本を読んで知識を取り入れ、さらにそれだけにとどまらずそれを自分なりに咀嚼し吸収し、それをラジオという媒体で人々と共有するという作業なのだから、生半可な気持ちではできないことだろう。常に学び続けるという確固とした意志がなければ成し遂げられない偉業であり、尊敬に値すると言えよう。

紹介される本も多方面からのアプローチで構成されており、宇宙の話から原子力の話、生命の話、縄文時代の話、ビジネスの話、漢字の話、歴史の話、歌の話など実に多種多様である。実にたくさんの内容がyoutubeにアップされているので、自分の興味のある分野を選択してゆっくり聞くことも可能である。毎回一応ひとつの本に沿って番組は進行され、一応ひとつのテーマのようなものがあるものの、たまに全く違う方向へと話が飛んで行き、それが自分の知りたかったことや気になっていたことと重なったりするととても楽しい。

ぼくは金八先生では彼に興味を示すということがなかった。ぼくの中で武田鉄矢といえば、ドラえもん映画の主題歌の人というイメージである。彼の作るドラえもんの主題歌はどれも本当に素晴らしく、金八先生の歌なんかよりもずっと名曲揃いだと思っていた。これはドラえもんの映画ファンの友達の中でも、同意される真実である。武田鉄矢を金八先生の人だけだと思っているような方は、ぜひドラえもん映画と一緒に彼の主題歌にも耳を傾けていただきたい。ドラえもん映画の内容に沿った素晴らしい主題歌を作り出しそれが最後に歌われることにより、ドラえもん映画により一層の深みと感動が与えられるのだ。

しかし今回彼のラジオ番組にハマってしまったことにより、ぼくの中で武田鉄矢はドラえもんのおじさんというイメージに加えて、三枚おろしのおじさんというイメージも定着しつつある。それにしてもこんなにも長い間仕事として本を読み続けるなんて、本当に年をとっても好奇心と飽くなき探究心を枯らさず保ち続けているのだろうと尊敬する。才能とは継続させる力でるということを誰かが言っていたが、それはまさに継続を成し遂げている彼のことでもあるのだろう。

 

・ラジオ瀬尾さん

武田鉄矢のラジオの他にも、ぼくはおじいさんのネットラジオを聞くことを習慣にしている。それは瀬尾一三さんのラジオである。こちらのネットラジオは「ラジオ瀬尾さん」と呼ばれている。

瀬尾一三さんといえば、中島みゆきの編曲を1990年代から現在に至るまで継続して行なっており、また中島みゆきのコンサートや夜会の総監督も務め、今や中島みゆきの活動に欠かせない存在となっている。最初は中島みゆきの話題をたくさん聞けるので瀬尾さんのラジオを聞いていたが、瀬尾さんの中島みゆきとの出会いや、興味深い彼女との関係性、それにまつわる彼の思いや思想を感じ取ることにより、今や彼の人柄にも大いに共感することとなった。

瀬尾さんは中島みゆきのことを「ソウルメイト」「ベターハーフ」などと表現しており、男女の関係の中には性的な部分だけではない良好な関係性を築き上げられるのだという可能性も伺えて非常に興味深い。人間は得てして男女の関係性のゴールを結婚とか動物的な交わりの中に求めてしまうものでるが、そのようなものを超越した魂の関係性の中に住むことをゆるされることの尊さを、彼は伝えてくれている。

こちらのラジオ瀬尾さんは武田鉄矢さんのラジオに比べると、はるかに適当な感じがするが、それゆえに素朴で飾らない瀬尾さんの人間性が垣間見えたり、毒舌な素の部分が面白かったりするという、他にはない魅力がある。もちろん中島みゆきの活動内容をリアルタイムで聞くことができるという大いなる利点もある。

 

・宮崎駿「出発点」「折り返し点」

また、本でいうと最近は宮崎駿さんの本を読んでいる。彼に関する本は数多くあれど、なんだか内容が浅かったり満足できないものも多い。そんな中でぼくが、宮崎駿の思想の真髄に触れることができかつ内容も充実していると認めた本はには「出発点」と「折り返し点」という本がある。

ここには映画の作品に沿って語られる宮崎駿自身の言葉や、著名人との興味深い対談集も多分に含まれており、そのどれもが濃厚な内容と膨大な量なので読む者を飽きさせることがない。あまりに有名な「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」などの詳細で深いインタビューや企画書まで載せられているので読み応えがある。

宮崎駿作品なら、金曜ロードショーで無料で見られるし、日本人ならば誰もが見たことがあると言っても過言ではないだろう。「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」など、何度も見たことがあり自分なりに考察を深めていた作品たちについて、それを創造した人からの実はこういうことだったのだという種明かしにも似た発表や新たなる発見をするのはとても興味深いものがある。ちょうど難解な中島みゆきの「夜会」の映像作品を何度も何度も繰り返し見た歳月の後に、彼女の夜会の本を読むと、思いもよらなかった意図が隠されていたことに驚くような感覚によく似ている。

自分の中に吸収され、昇華され、精製された創作物が、時を超えてその正体や意図に気づかされる感触は、いつになっても趣き深いものがある。自分自身を新しい一面を鏡で見るような、そんな面白さに満ちあふれている。しかしこのような感覚に陥るためには、自分の中に精製された作品群がなくてはならず、そのためには長年の歳月とその作品へと向かい合う真剣な眼差しと深い洞察力が必要とされるのかもしれない。誰にでもひとつやふたつ、深く考え込んでしまう作品や人物に人生で巡り会うことだろう。そのような巡り会いは祝福されるべきものであり、それを深めるという歳月こそは人生の醍醐味であるかもしれない。

 

・おじいさんの創造者に寄り添う頼もしさ

こうやって見てみると、ぼくはおじいさんの言葉や表現ばかり求めていることに気づいた。武田鉄矢や瀬尾一三、宮崎駿はみんなおじいさんだ、にも関わらず、長年活躍し、今なお現役である偉人たちである。どうしてこんなにもおじいさんの思想や作品に惹かれるのだろうか。

インターネット社会において、おじいさんやおばあさんの声よりもはるかに若者の声であふれている。iPhoneやiPadから出てくる情報はどれも、若者からの発信がほとんどだ。それは時代に敏感に反応し、流行的で、新鮮な情報だ。にも関わらず、ぼくはそれらに興味を示すことが少ない。彼らが本当に時代を超えるだけの能力や資質を持っているほど聡明な人物なのか、不明だからだ。

若者は誰でも彼でも発信をしている。目立とうとして必死に大きな声を荒げたり、変な名前や服装で気を引こうとしたり、わざと中身もない炎上をさせることにより有名になろうともがいている。そのような若者たちの群の中で、本物と偽物の区別はつきにくい。もちろんどのような年代にも一定の聡明な人物は隠れ住んでいるわけであるが、若者は発信の母体が多い分、本物というものを見つけにくい傾向がある。この人は聡明そうだとその人にハマってみても、実は長続きさせる能力を持っていなかったとか、時代を超える才能を持っていなかったとか、国を超えては対応できないとか、浅薄な偽物であるという可能性だってなきにしもあらずだ。

それにひきかえおじいさんはどうだろう。自分の才能を開花さえ、時代を超えて生き残ってきたおじいさんの言葉には説得力がある。この人は本当に才能を持続させ時代を超えて素晴らしい作品を作り出す能力があるのだろうかと疑問に思う必要もない。実際に彼らはそれを成し遂げてきての今があるからだ。それゆえに本物であるという保証がついており、その言葉や思想を追いかけて行くことに間違いはないと思わせられるパワーがある。湯水のように沸き起こる若者たちの中から、わざわざほんのわずかな本物を見抜く手間が省ける分だけ時間を有効活用できるというものだ。

紛れもなく彼らがこの国の創造や文化を引っ張ってきた頼もしい本物であり、それを引き継ぐことがぼくたち若者に知らず知らず課せられている使命なのかもしれない。近頃は盛んにインターネット上で「老害」という下品な言葉が用いられているが、人間に「害」をつけている時点で人間性を疑われるものがあり、老いた人々、おじいさんたちのこの上ない価値について再考するべきではないだろうか。

さてしかしそうは言っても、若い集団の中から本物の作品や生き様をリアルタイムで追いかけて行くというその感動的な瞬間を手放してしまうというのもあまりに惜しいものがあるだろう。できることならば本物だと直感的に信じられる人を見つけてその人を時代とともにリアルタイムでフォローして行きたいものであるが、それは巡り会いというか縁のようなものであり、無理に発掘するような種類のものでもないだろう。たまたま巡り会えれば幸福な人生だなと気軽に思えるくらいの気持ちでありたい。

ちなみに今のところぼくが本物だと思っている若い人は、鬼束ちひろであるが、果たしてこの先どうなるだろうか。未来のことは誰にもわからず、真相は闇の中である。それには才能や持続力だけではなく、病気や健康など運によるものも大きいと考えられるからだ。末長く共に人生を行ける創造者と巡り会えることは幸福である。稀有な想像力を保ち続け表現し続けている創造者であるところの中島みゆきを、お母さんがたまたま好きで、ぼくもたまたま好きになったことを誇りに思う。

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