遠い昔に沖縄は戦に負けて貢がれた。
中島みゆきの樹木をテーマにした歌3「阿檀の木の下で」
・中島みゆきの新曲は「進化樹」
中島みゆきの新曲「進化樹」と「離郷の歌」が、テレビ朝日系ドラマ「やすらぎの刻〜道」の主題歌として4月にはテレビで発表されるようである。「進化樹」と「離郷の歌」という名前以外は、詳細な情報はなにひとつないままだが、中島みゆきの歌には木に関するものもたまにあるよなぁと、「進化樹」という言葉を聞いてふと思い当たったので、ここで紹介していこうと思う。
中島みゆきの樹木をテーマにした歌には、一体どのようなものがあるだろうか。
・「阿檀の木の下で」に見る中島みゆきの凄み
「樹高千丈 落葉帰根」、「倒木の敗者復活戦」に次いで紹介する中島みゆきの樹木に関しる歌のひとつに、「阿檀の木の下で」がある。「阿檀の木の下で」は、中島みゆきの24枚目のオリジナルアルバム「パラダイス・カフェ」のアルバム曲のひとつである。この曲は、中島みゆきの歌の中で唯一沖縄について書かれた歌であるとされ、中島みゆき自身も沖縄について歌っているということを認めている。
この歌はそんなに派手だったり核心的な歌でもなく、どちらかというとささやかで大人しめな印象であるが、中島みゆきコンサート「一会」ではコンサートの構造的に中心的な位置付けとされており会場で驚愕した覚えがある。中島みゆきの歌はこれだから面白い。一見地味で目立たないようなアルバム曲の一曲に過ぎなくても、あるコンサートの中で核心的なメッセージを込めて歌われるように位置付けられると、まるでまったく別の曲にでもなったかのように、クライマックスにふさわしい曲へと変化させられるのだ。
この感動的なコンサート「一会」での「阿檀の木の下で」のパフォーマンスは、映像作品でも鑑賞することができる必見の名場面である。あまりに核心的であるゆえか、コンサートCDには収録されていない。
・聞き慣れない阿檀という植物
「阿檀」という植物の名を、聞きなれない方も多いのではないだろうか。「阿檀」とは、日本では主に沖縄だけに自生する植物のようだ。ぼくも沖縄に移住するまではまったく知らなかったし、沖縄本島にいる間はどれが阿檀という植物なのか見分けることもなかった。ぼくの人生の中で「阿檀」の植物がその存在感を圧倒的に占めるようになったのば、なんと言っても宮古島に移住してからである。
日本という土地から見れば沖縄本島というものは相対的に小さく見えるが、やはり人間という存在からすれば沖縄本島でさえ巨大なものである。それゆえに、なかなか海の近くの自然に親しく触れ合い続けるという経験は乏しかった。琉球諸島の海原という大自然に囲まれ、その周囲に自生する植物たちを強く意識しながら共に生きるようになったのは、まさに宮古島という離島に移住してからである。
宮古島という離島は、沖縄本島に比べてはるかに小さい。それゆえに、すぐに海やその周囲に広がる大自然と触れ合いながら、日常生活を営むことができる。海の水が生き物のようにうごめいているということも、それに季節的な一定の周期があるということも、海の周期と同期して生き物たちが命を育んでいるということも、すべては宮古島が教えてくれた。
そしてその海のすぐそばに、トゲトゲとした痛々しいような、険しく長細い葉をたたえている植物がいたるところに自生している。それこそが阿檀の木であった。
・ぼくと阿檀と琉球諸島と
琉球諸島の大自然というものは面白い。ここにはヤシガニという世界最大の甲殻類がいる。巨大で力強いカニである。この巨大で青い不気味なヤシガニは、なんとカニのくせに阿檀の木を上っていき、阿檀の実を食べて暮らしているのだ。まさに南国の生き物と、南国の植物の関連性がここで見えてくる。
阿檀の実というものは、なんとなくパイナップルのようだが、人間には食べられないということだった。そう言われると食べてみたくなる。ぼくは試しに食べてみたが、なるほど味のしないパイナップルといった感じで、とても食べられるというものではなかった。人々の噂は正しかったのだ。
このヤシガニと阿檀の木の関係は、この後与那国島へ行こうが、黒島へ行こうが、波照間島へ行こうが変わらない琉球諸島の常なる風景であった。ぼくは阿檀と言われるだけで、琉球諸島の宝石のように美しい島々を巡りながら、旅するように生きていた日々を思い出す。雄大な碧い海に囲まれて、自分の命そのものも碧く染まっていくような思いがした。
そしてこのような日々の中で、沖縄県出身の歌姫Coccoがアダンバレエというオリジナルアルバムを発表した。阿檀の木の存在はぼくの中でますます濃厚なものとなっていった。
・琉球諸島の辺境にこそ宿る中心
”波の彼方から流れてくるのは
私の知らない貝殻ばかり
波の彼方から流れてくるのは
私の知らないほぎ歌ばかり”
中島みゆきの「阿檀の木の下で」という歌においては、明らかに第二次世界大戦での日本の沖縄に対する扱いの風景について歌われている。それは大きな国家が小さな地域を踏みにじることも厭わない、見捨てるための残酷さにあふれている。中心さえ保たれていれば、取るに足らない辺境をないがしろにしても構わないという見下しの犠牲の精神も垣間見られる。
”遠い昔のあの日からこの島に人はいない
みんなみんな 阿檀の木になった
波の彼方から流れてくるのは
私の知らない国歌(くにうた)ばかり”
人間や物質が群がり集まっている人の巣さえ安全に保たれていれば、それがより少ない地域は見捨ててもいいのだという根源的な思想は、人間の集団における驕り高ぶりの心で満たされている。人間や物質が集まれば集まるほどに、人間は心を失う。辺境にこそ宿る中心の神聖さを、ぼくは琉球諸島で感じずにはいられない。そこは本来の日本の精神的な原風景であふれている。
“遠い昔にこの島は戦さに負けて貢がれた
誰も誰も知らない日に決まった”
中島みゆきのコンサート「一会」の歌の場面では、恐ろしく虚空に響き渡る飛行機の音が再現され鳴り響いていた。そのとどろきは、映像作品では伝わりきらないほどのリアルさと切実さをぼくたちの心に伝えてきた。ぼくも沖縄に住んでいた時に、飛行機の轟音をよく聞いた。
その歌声は神聖な怒りに満ち、歌が終わりと彼女は両手でひとつの赤い紐を目の前に差し出しては、右、左、右、左と垂らして見せた。あの赤い紐が何を表現していたのかは定かではないが、彼女のステージではよく赤い紐が出現する。夜会の金環蝕では天照大神の住む神代の時代における赤い円環の紐が登場した。今回はそれが一本の直線になり、右に左に垂れ下げられて見せられた。それはまるで完全な円環が切断され、不完全な直線となり、宙を浮いて惑っているような、丸く収まっていた神代の世界に比べて、人間の世界は悲しく心を失くして行き場を喪失しているような、そんな印象を受けた。あるいはあれは、母と子をつなぐ臍の緒かもしれなかった。