美味しいお店を知っている男子が魅力的だというのは本当か?

 

美味しいお店を知っている男子が魅力的だというのは本当か?

・女子「美味しいお店を知っている男は魅力的」
・美味しいお店を知っている男が魅了的だというのは本当か?
・知っていることと知らないこと、記憶力と感性の交錯
・「美味しいお店を知っている男」は単なる記憶する男に過ぎない

・女子「美味しいお店を知っている男は魅力的」

女子の話を聞いていると(ゲイの人も言っていたが)、美味しいお店に連れて行ってくれる男は魅力的だという意見をよく耳にする。女子からすればいろんなお店を知っている男とデートすれば美味しいものを食べられて得だし、嬉しいし、もしも将来その人と結婚しても私に美味しい食べ物をきちんと運んで来てくれる能力が高いと本能的に判断され、美味しいお店をよく知っている男は魅力的だと見なされる傾向にあるのだろう。まぁそれは一理あるし、確かに店を何にも知らない男よりはちょっとくらい知っている男の方がいいに決まっているだろう。

しかし誰も知らないような美味しいお店をよく知っている人が”魅力的”と言われるほどに素晴らしいというのは本当だろうか。

 

 

・美味しいお店を知っている男が魅了的だというのは本当か?

ほとんどの女子の意見に反して、ぼくは美味しいお店をよく知っているからといってその人が魅力的だとは決して思わない。ましてや美味しいお店をたくさん知っているからといって自分は魅力的な男だと思い込み偉そうにふんぞり返っているような男はくだらないとすら思えてしまう。

だってよく考えてみてほしいのだが、そういう人ってただ単に美味しいお店を”知っている”だけではないか。”知っている”ことって、そんなに素晴らしいことだろうか。

 

 

・知っていることと知らないこと、記憶力と感性の交錯

人間は「知っていること」「記憶していること」を素晴らしい能力だと認識する傾向にある。たくさんの物事を知っている人は「物知り」だと尊敬されるし、記憶力がズバ抜けて高いような人は学校などでも優秀な成績を修め一目置かれる存在になるだろう。逆にものを知らないことは「恥じ」としてとらえられ、自分の知らないことを誰かに尋ねるような場合でも「不勉強で申し訳ないのですが…」「物を知らなくてお恥ずかしいのですが…」などという自分を見下すような前置きをしながら質問するという風習が日本ではしばしば目撃される。

しかしぼくはいつも思うが「知らないこと」って当然のことではないだろうか。この世界には知るべき情報が無限にあるのに、その全てを把握して認識することなどできない。全てを知っている人など、この世に存在しないだろう。人生の時間は有限だし、国家や空間的な制約もあるし、ひとりの人間は世界の物事の全てを認識できることなんてありえない。例えばどんなに天才と呼ばれるような記憶力の優れているような人でも、東京で生まれ育ったならば沖縄の土着的な風習について沖縄人よりも細かく深く知ることはできないだろう。それと同じように平安時代を生きた物知りな人でも、現代にタイムスリップしたならばそこらへんの女子高生よりもスマホの使い方がわからなくて全くものを知らない人だと判断されるだろう。

人間にはそれぞれの人生において、時間的、空間的な制限があるのだから、Aのことはよく知っているけれどBのことについては全く知らないとか、Cのことにはものすごく詳しいけれどDのことになるとちんぷんかんぷんだとか、こっちのことは知っているけれどあっちのことは知らないとか、そういう「知の範囲」と「無知の範囲」がそれぞれの人間の中には確実に存在し、「知の範囲」も「無知の範囲」もひっくるめて自分自身だと受け入れながら生きていくのが人間として当然の生き方ではないだろうか。

忘却に慈しみをあげよう

つまりぼくが言いたいのは、知らない分野があるということは全ての人間にとって当然の現象であり、決して恥ずかしいことなんかじゃないということだ。もちろん「物を知らなくてお恥ずかしいのですが…」などと謙遜する必要もないし、むしろそんな態度で生きているとしたら無駄にやたらと自分を見下しがちとなり精神状態を悪化させるだろう。人間にはそれぞれ知っている分野と知らない分野があるのだから、自分がそれについて知らなくても当然だと偉そうにふんぞり返って自信たっぷりに生きているくらいでちょうどいいのだ。

重要なのは、時間的、空間的に限られ制約された人生の中で、たまたま自分が詳しくなった物事をきちんと駆使して、その記憶の欠片と自らの独自の感性を絡め合わせ、限られ制約された自分という存在が無限の世界に向かって何を表現できるのか、それをしっかりと追求していくことではないだろうか。偏った記憶の断片と、偏った独自の感性の下で、それぞれの人間がそれぞれ自分にしかできない表現を世界に向かって解き放つとき、世界は彩りに満ちた美しい風景を保つことが可能となるのではないだろうか。

 

 

・「美味しいお店を知っている男」は単なる記憶する男に過ぎない

だいぶ話が逸れてしまったような気がするが、結局ぼくの言いたかったことは「美味しいお店を知っている男」というのは、ただ単に美味しいお店の名前と場所を脳内で”記憶”しているだけの男であって、その男自身が美味しいものを作り上げ自らを表現できる能力を持っているわけではないということだ。その男が持つ能力といえば、美味しいお店を把握するという記憶力だけであり、自分で何かを創り出したり表現しているわけではないという点から、ぼくの中では全く魅力的な存在とはならない。美味しいお店を知っていることなんてどうでもいいから、自らの腕と味覚を駆使して、自分自身で美味しい料理と作り上げ、自らの世界観を料理で表現できるような男の方がはるかに魅力的ではないだろうか。

 

 

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